ホンダ・NR

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ファイル:HONDA NR HCH.jpg
HONDA NR(市販車)

ホンダ・NR(エヌアール)とは、本田技研工業が開発したオートバイであり、当初は競技専用車両として開発されていたが、後に一般市販車として製造販売された。

NR500

ファイル:Honda NR500.jpg
1979年型NR500(ゼッケン5は片山敬済)

開発の経緯

NR5001979年ロードレース世界選手権(通称:WGP)にホンダが復帰するに際して開発した4ストロークエンジン搭載レーサーである。革新的な技術のもとに勝利するというテーマから、New Racingを略してNRと名付けられた。

当時のWGPはスズキのRGシリーズやヤマハ・YZR500に代表される2ストロークエンジン車がタイトルを独占していた時代であったが、ホンダが社として、“うちは4ストローク屋”という意識[1] から4ストロークエンジンを推進していたこと、他社の真似はせず独自の技術を開発するという創業者・本田宗一郎以来の社風、また以前の参戦では最高峰500ccクラスのライダー・タイトルを獲得できなかったこと等の理由から、4ストローク500ccでの開発が決定した。

また、技術者を育成し、開発した技術を市販車に生かすという「走る実験室」としての目的も兼ねており、開発チーム(NRブロック)はレース経験のない若い技術者を中心に結成された。

UFOピストン

ファイル:Ovalpiston.jpg
NR500のピストン周り。

2ストロークエンジンはクランク軸の1回転ごとに爆発行程が1回あるが、4ストロークエンジンは2回転に1回と半分であるため、同じ排気量と回転数では4ストロークエンジンの出力は2ストロークエンジンより低い。しかもNRの開発が開始された当時のWGPのレギュレーションは、現在のMotoGPとは違い4ストローク車に排気量のハンディキャップは与えられず、また最大シリンダ数が4気筒と制限されていたため多気筒化による高回転化による出力の向上もできなかった。

そこでNRブロックの総責任者であった入交昭一郎は2つの気筒の円を直線で繋いだ形の長円ピストンを発想し、最大4気筒というレギュレーションを満たしつつ8気筒と同じ32本の吸排気バルブ、8本の点火プラグとコネクティングロッドを備えたV型4気筒長円ピストンエンジンを開発した。こうして理論的には2ストロークに対抗できる4ストロークエンジンが完成した。

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この異形ピストンは関係者の間でUFOピストンの名で呼ばれ、技術開発(特にピストンリング)にまつわる特許申請の都合上、NR500および長円ピストンエンジンの研究が終了する1984年頃までピストン形状が長円であることは秘密とされた。

他にも、過大なエンジンブレーキによる後輪のロックを防ぐバックトルクリミッターや、アルミモノコック・フレーム倒立フロントフォーク、16インチホイールなどの新しい技術が採用された。

WGPでの苦戦と開発の断念

1979年

1979年6月のプレス発表で初めて公に存在を示したNRだが、実際にグランプリにデビューしたのは8月に入ってからの第11戦イギリスGPだった。片山敬済ミック・グラントという二人のライダーに託されたNRは、予選では片山がトップから7秒遅れのタイムで予選通過、グラントはトップから8秒遅れで予選通過タイムを出すことができなかったが主催者の特別措置によってなんとか決勝に出場することができた[2][3]。しかし決勝ではスタート直後にグラントが自らのマシンから噴き出したオイルに乗って転倒した上にマシンは炎上、片山も点火系のトラブルで数週でリタイヤを喫してしまう[2]。片山とグラントは最終戦フランスGPにも出場したが二人とも予選落ちという、NRにとっては基本的な性能の面でグランプリを戦うレベルに達していないということが露呈したデビューイヤーとなってしまった[2]

1980年

1980年のNRはアルミモノコックフレームではなく、鋼管ダイヤモンドフレームを採用して登場した。一般的なスチールフレームの半分以下という軽量さが利点のアルミモノコックフレームであったが、実戦になるとキャブレターのセッティング変更にもエンジンの積み下ろしをしなければならないという整備性の悪さが深刻な問題となり、シーズン直前のテストでモノコックフレームの廃止が急遽決定した[4]。新たに設計する時間的な余裕がなかったため、この年のフレームはマン島TTレースなどで実績のあったイギリスのフレームビルダーのものが採用された[5]。エンジンも大幅な仕様変更を受け、前年のサイドカムギアトレーンからセンターカムギアトレーンとなって耐久性が大幅に向上するとともに出力も19,000rpmで120ps以上にまで高められた[6]。その反面、耐久性向上のための対策の影響もあってエンジン重量は65kg程度にまで増加してしまい、約50kgだった同時代の他社の500cc2ストロークエンジンに対しては不利な要素となった[7]

しかし、いざレースとなるとエンジンは前年に比べて格段に戦闘力が向上していたものの、今度は元々基本設計が古かったフレームの剛性不足が問題となった[8]。この年はフィンランドGP、イギリスGP、西ドイツGPの3戦に出場し、片山敬済がイギリスで15位、西ドイツで12位と完走するものの前年に続いてNRはポイントを獲得することはできなかった。それでもフィンランドGPの直前にミサノで行われたインターナショナルレースに出場した片山が5位に入賞しており、前年の「走ることすら難しい」という状況からは脱しつつあった[8]

1981年

1980年のシーズン中から新たな専用フレームの設計に着手されており、1981年のNRは当時のスタンダードであるスチールパイプのダブルクレードルとなった[9]。エンジンはヘッド周りのコンパクト化などによって理想的なバンク角である90度となってますます高回転化され、材質の変更や加工精度の向上などもあってほぼ当初の目標である130ps/19,500rpmの出力と56kgまでの軽量化を達成した[7]

この年のNRはグランプリの開幕戦から片山の手によってエントリーし、第6戦までで13位完走が1回と相変わらず結果は残せていなかったものの、成績が悪い原因は始動性の悪さとマイナートラブルによるものが大きくレーシングマシンとしての実力はライバルに追いつきつつあるように思われた。このことは日本国内でNRの開発を担当していた木山賢悟全日本選手権第6戦の鈴鹿200kmでNRの初優勝を飾ったことでも証明された。そしてNRのポテンシャルを確認するために片山と木山以外のライダーを乗せることが検討され始め、当時AMAスーパーバイクにおけるホンダのエースであったフレディ・スペンサーのNRでのグランプリ出場が決定する[10]

まず7月にラグナ・セカで開催されたインターナショナルレースに出場したスペンサーは予選ヒートレース(レース形式の予選)でYZRを駆るケニー・ロバーツを破って1位を獲得。2ヒート制の決勝レースでは両ヒートともリタイヤに終わったものの、第1ヒートではリタイヤするまで2位を走行するという速さを見せた。そして8月のイギリスGP、予選11位からスタートで出遅れたスペンサーはベストタイムを更新しながら追い上げ、5位まで浮上したところでエンジントラブルによってリタイヤとなった。原因は2万回転以上にまでエンジンを回しすぎたことによるバルブスプリングの破損だった。この年のこれ以降のレースにNRが姿を現すことはなく、デビューからの2年間に比べれば大きく進歩を遂げたもののこの年もNRはポイントを獲得することなくシーズンを終えた[10]

一方、NRブロックでは1980年の終わり頃から2ストロークエンジンの開発が密かに始まっており、1981年の12月にはモトクロス用125ccエンジンをベースとした500cc3気筒エンジンを積む軽くコンパクトな新型2ストロークマシンが完成していた[11]

1982年

ファイル:Honda NR500 1983.jpg
1983年東京モーターショーに展示されたカーボンフレームのNR500

この年、格段の進歩を遂げた前年型から更なる熟成を目指したNRであったが、スペンサーや片山といった主だったライダーにはこの年デビューした2ストロークマシンのNS500が与えられ、グランプリでNRに乗るのはロン・ハスラムのみとなった。しかし開発のウェイトはNSに大きくシフトしており、前年の終わりから開発が始まっていたNRのアルミフレームが実戦に登場したのは9月になってからの日本GP(全日本選手権)だった。結局、全日本選手権では木山が上位入賞を記録したが、グランプリでは数戦で完走を果たしたものの最高位はベルギーGPの11位に留まり、NSがデビューシーズンで早くも勝利を挙げていたこともあってNRブロックはNSの開発に総力を注ぐこととなり、NRは遂にグランプリでポイントを獲得することなくこの年をもって実戦開発は終了した。前記の日本GPが、NR500が姿を見せた最後の実戦となった[12]

翌1983年の第25回東京モーターショーで、1台のNR500が展示された。これはフレームやスイングアーム、フロントフォークのインナーチューブといった足回りがカーボン繊維強化プラスチック(CFRP)、エンジンブロックはマグネシウム、ボルト類はチタン製という当時としては最新の素材をふんだんに使用したもので、NRプロジェクトの集大成として135psのエンジン出力と125kgの車体重量を目指して試作されたものだった[13]。ちなみに1982年型のNS500は122ps/118kg[14]、同じく1982年型のヤマハ・YZR500は130ps/122kg[15]である。このマシンはあくまで実験車に留まり、レースを走ることはなかった。

幻のNR250 TURBO

NR500でのWGPへの挑戦は失敗に終わったが、開発チームはその後も密かにツインターボを搭載したV型2気筒エンジンを試作。NR500のエンジンを二分割したものにターボチャージャーを前後シリンダーに1基ずつ装着し、PGM-FIで燃料を供給。1983年10月には過給圧2.0で153ps/18500rpmを記録したこの試作エンジンを俗にNR250ターボと称する。

当時のWGPのレギュレーションでは500ccクラスに過給器付きの250ccエンジンで参戦することが認められていたため、このNR250ターボでWGP500ccクラスに再挑戦する計画であったが、最高出力を追求するあまり低・中回転域での出力が不足していたり(後に排気デバイスの採用で緩和)、ターボラグの発生によるスロットルレスポンスの悪さ、F1でのターボ禁止の動き、そして耐久性の不足といった理由により開発は中止された。

また、その研究で得られた技術を活かしVT250ターボを開発するも当時の運輸省がターボ車を認可しなかったために幻の市販車となった。またこの件については、当時の馬力自主規制をはるかに上回る出力を発揮してしまったためにお蔵入りしたという説もある。

WGPでの全戦績

ライダー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
1979 テンプレート:Flagicon 片山敬済 VEN
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テンプレート:Flagicon ミック・グラント VEN
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DNQ
1980 テンプレート:Flagicon 片山敬済 ITA
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SPA
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DNS
GBR
15
GER
12
テンプレート:Flagicon ミック・グラント ITA
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-
1981 テンプレート:Flagicon 片山敬済 AUT
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Ret
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テンプレート:Flagicon フレディ・スペンサー AUT
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FIN
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1982 テンプレート:Flagicon ロン・ハスラム ARG
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AUT
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YUG
-
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15
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-
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-
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-
  • 凡例
  • 当時は10位までポイントが与えられた。
  • 1980年の片山敬済は序盤3戦にスズキRG500で出場し、ポイントを獲得している。

WGP以外でのNR500の戦績

WGPでは全く成績の奮わなかったNR500であるが、日本では1981年6月の鈴鹿200kmレース・国際AB500ccクラスで木山賢悟がポールポジションを獲得。6月14日の決勝では無給油で200kmを走り切る作戦で後続の2ストローク勢に約2秒の差を付けての勝利を飾っている。

また、アメリカのラグナ・セカで同年7月に開催されたインターナショナル・レースの予選ヒート(レース形式の予選)においてフレディ・スペンサーがケニー・ロバーツらのWGPライダーを押さえてゴールインしている。しかしこれはあくまでも予選であったし、ロバーツらが乗ったのは最新鋭のレーサーでもなかった。(翌日の決勝は第1・第2ヒート共にメカニカルトラブルでリタイア)

仕様

1979年 0X
エンジン - 水冷4サイクル・DOHC32バルブ・100度V型4気筒
排気量 - 499.5cc
最高出力 - 115ps以上/19,000rpm
最大トルク - 4.6kgm/16,000rpm
乾燥重量 - 130kg
変速機 - 常時噛合式6段
フレーム形式 - モノコック
懸架方式 - 前・テレスコピック(倒立)、後・スイングアーム
ホイールサイズ - 16インチ
1980年 1X
最大出力 - 120ps程度
フレーム形式 - ダイアモンド?
懸架方式 - 前・テレスコピック
ホイールサイズ - 18インチ
特記 - バックトルク・リミッター採用
1981年 2X
エンジン - 水冷4サイクル・DOHC32バルブ・90度V型4気筒
排気量 - 498cc
最高出力 - 135ps/19,500rpm
懸架方式 - 前・テレスコピック、後・スイングアーム
1982年 NR500-4 全日本選手権最終戦・日本GP用最終モデル
エンジン - 水冷4サイクル・DOHC32バルブ・90度V型4気筒
排気量 - 499.49cc
最高出力 - 128ps/19,000rpm
最大トルク - 4.8kgm/15,000rpm
フレーム形式 - ダブルクレードル
特記 - フレームがアルミ製
1983年 3X 東京モーターショー出展モデル
排気量 - 499.5cc
フレーム形式 - ダイアモンド
特記 - マクドネル・ダグラスの協力によりフレーム、ホイール、フロントフォークインナーチューブ、スイングアームがCFRP製で、エンジンにもチタン合金やマグネシウム合金を多用

NR750

NR750は32バルブ水冷V型4気筒DOHC749ccのエンジンを搭載した耐久レース用の競技専用車両である。

開発の経緯

不本意なまま終わったNR500の挑戦にけりを付けるべく、またNRブロック立ち上げ当初からの目的であった将来の市販化に向けた耐久テストを兼ねて、1984年末から開発に着手。当初は1986年のデイトナ200マイルレースへの参戦を目標に開発が進められたが、1986年度から競技専用車両の参戦が禁止されたため、翌1987年ル・マン24時間耐久ロードレースに目標を変更[16]して開発された。

NR750の戦績

WGPやNR250ターボでの経験を生かし徹底的に熟成されたエンジンは、1986年10月の時点で156.5psを発揮。翌1987年4月のル・マン24時間レースではマルコム・キャンベル、ジルベール・ロイ、根本健という、職業ライダー1人にジャーナリスト2人の3人組をライダーに採用[17]するなど、参戦はレース制覇だけではない違う目的を持っていたと考えられる。ゼッケン90で出場し、予選をトップのRVF750から0.3秒遅れの2位で通過。決勝ではスタートから3時間半後にエンジントラブルでリタイアという結果に終わったが、長きに渡って開発された楕円ピストンエンジンの優位性は、ある程度証明されたといえるだろう。

同年秋にはオーストラリアのスワンシリーズ3レースにも参戦し、第2戦第1ヒートでマルコム・キャンベルのライディングによって優勝。NR750が国内外のメジャー・レースで勝利したのはこの1勝のみである。

仕様

NR750
エンジン - 水冷4サイクル・DOHC32バルブ・85度V型4気筒
排気量 - 748.76cc
最高出力 - 155ps/15,250rpm
最大トルク - 7.76kgm/12,500rpm
乾燥重量 - 155kg
変速機 - 常時噛合式6段
フレーム形式 - アルミニウム製ダイヤモンド
懸架方式 - 前・テレスコピック、後・スイングアーム(プロアーム

NR(市販車)

テンプレート:Infobox オートバイのスペック表 NRとは、1992年に本田技研工業が発売した、楕円ピストンエンジンを搭載した750ccのオートバイである。

開発の経緯

NRブロック立ち上げ当初からの「開発した技術を市販車に生かす」という目的を具現化すべく、1981年から楕円ピストンエンジンを搭載したオートバイの量産化計画が立ち上がり、周辺技術の研究がスタート。開発当初は耐久レーサーNR750のレプリカとして計画されていたが、同社のVFR750R(RC30)との競合を避け、また当時のオートバイブームとバブル景気もあって、純粋なレプリカモデルではなく、ホンダの2輪フラグシップとしての車両コンセプトに変更された。

NRの開発に伴い、油圧タペット調整機構や現在のHYPER-VTECに繋がるバルブ休止機構、可変フライホイールなどの量産化技術が確立され、またNRでの採用は見送られるがD-CBSと呼ばれる前後連動ブレーキも開発された。

楕円ピストンエンジン

巷では、NRをして「楕円ピストン」の代名詞とする場合が多いが、本当の意味で「楕円ピストン」になったのは市販車のNRであり、レース用のNR500とNR750は共に「長円ピストン」であった。

長円は二つの半円を直線で繋げた陸上競技のトラックのような形状である。長円は楕円と比較しピストン面積に対する給排気バルブの面積比をより大きく取れ、給排気効率は高い。しかし半円から直線に繋がる部分で曲率が不連続になるためにピストンの気密性を維持することが困難であり、同時に加工が難しく量産に向かないという問題がある。

そこで、正規楕円の周囲に沿って移動する円が形成する曲線の形状である正規楕円包絡線形状が採用された。この形状は、ピストン面積に対する給排気バルブの面積比を長円とほぼ同レベルに確保することができる上、曲率の変化が連続であるため気密性・加工性とも良好であり、量産化を実現した。

エンジンについての詳細は楕円ピストンエンジンを参照のこと

市販と世間の反応

1990年のモーターショーでプロトタイプを発表、1992年5月25日に300台限定で販売された。ロリス・カピロッシのライディングによって当時の750cc市販車の最速記録をいくつか樹立するなど高い性能を示す。しかし、販売を前にバブルが崩壊、値段も520万円と高額なため納車段階でのキャンセルが相次ぎ、生産終了後、数年たっても新車で購入可能なほど売れ残ってしまうという憂き目を見ることになる。

2005年をもって、すべての部品製造などが終了。フラグシップとしての役割も中途半端なまま、NRは姿を消すこととなった。

世界記録

1993年8月28日8月29日、イタリアのナルド・サーキットにおいて樹立。挑戦したクラスは750cc部門、ライダーにはロリス・カピロッシを起用。使用したNRは最大出力155ps/15,500rpmまでチューニングが施され、また保安器類を取り外し、サブフレームを簡略化、フロントブレーキも片方取り外すなどして185kgまで軽量化したものが用意された。

なお、ローリングスタートの初回挑戦では1マイル平均304.032km/hを記録している。

備考

  • HRCのホームページで、歴代ワークスマシンとして唯一、NRの集合写真やオーバルピストンの写真をパソコン用の壁紙として配布している。

関連項目

脚注

  1. HONDA 50Years ホンダ50年史146頁『ホンダ2ストローク技術への執念』より
  2. 2.0 2.1 2.2 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(P.28)
  3. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.27)
  4. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.37)
  5. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.45)
  6. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.47)
  7. 7.0 7.1 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.57)
  8. 8.0 8.1 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.50)
  9. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.55)
  10. 10.0 10.1 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.61)
  11. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.79)
  12. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.62)
  13. 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.64)
  14. 『RACERS Volme01』(2010年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0717-2(p.72)
  15. 『RACERS Volme02』(2010年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0821-6(p.52)
  16. 世界耐久選手権賞典外のオープン参加であった。
  17. ジャーナリストではあるが、根本は1973年の全日本ロードレース選手権フォーミュラ750クラスチャンピオンであり、またジルベール・ロイも数多くのレース参戦経験がある。

参考文献

  • 富樫ヨーコ 『ホンダ二輪戦士たちの戦い(上)-異次元マシンNR500』 講談社<+α文庫>、2000年。
  • 富樫ヨーコ 『ホンダ二輪戦士たちの戦い(下)-快走マシンNS500』 講談社<+α文庫>、2000年。
  • 『ホンダ50年史』 八重洲出版、1998年。
  • 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(2006年、八重洲出版)ISBN 4-86144-045-9

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Motorcycle-stub テンプレート:ホンダのオートバイの車種