ヤマハ・YZR500

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ヤマハ・YZR500(ワイゼットアールごひゃく)は、ヤマハ発動機がオートバイロードレース世界選手権全日本ロードレース選手権500ccクラスに開発・投入した、競技専用二輪車両(オートバイ)の車種名。YZRとは“Y”ヤマハの“Z”究極の“R”ロードレーサーの意。

なお、ヤマハでは前年のYZRのスペックを反映した競技専門車TZをプライベートライダー向けに1980年から1983年に発売しており、YZR500の市販車とも言えるTZ500が存在する(価格は1983年型で280万円)。

YZR500の歴史

ファイル:Yamaha YZR500 (2002).jpg
最後の2002年型 (OWL9)

1973年、YZR500の第一号車として水冷2ストローク並列4気筒エンジンを搭載した0W20(オーダブル20)がデビュー。ヤーノ・サーリネンの手により、同年のフランスGPで初勝利。以後YZR500は1981年までピストンバルブ並列4気筒エンジンで進化を続け、その間にジャコモ・アゴスチーニ1975年)、ケニー・ロバーツ1978年1980年)というチャンピオンを生んだ。日本車が世界GPの500ccクラスでライダータイトルを獲得したのは、1975年のアゴスチーニ+YZR500が初(メーカータイトルはホンダ1966年に獲得している)。排気系はオーソドックスな前方排気から、複雑にとぐろを巻いた排気管でチャンバー容量を稼ぐようになり、さらには2気筒前方排気、2気筒後方排気へと変貌していった。

1981年シーズンにスクエア4ロータリーディスクバルブエンジン搭載の0W54がデビュー。最終戦でバリー・シーンが優勝に導く。

1982年、前年デビューしたスクエア4エンジンの熟成型0W60に加えて、新たにV4(V型4気筒)エンジンを搭載した0W61が登場する。しかし早すぎた投入となったか、3年連続チャンピオン経験者のケニー・ロバーツや2年連続チャンピオン経験者のバリー・シーンにすら手に余る難題を抱えていた。同時出走したスクエア4の0W60はグレーム・クロスビー(ロバーツの補佐役)によりランキング2位を得る。なお0W61などのヤマハV4は、正確に言うとV4(1本のクランクシャフトに4つのピストン)ではなく、スクエア4の変形タイプ(2本のクランクシャフトを持つ)だった。

1983年。2ストローク500cc・ロータリーディスクバルブの2軸クランクV4エンジン(スクエア4の変形)を、新設計のセミ・モノコック型アルミフレーム(アルミ・デルタボックスフレーム)に搭載した0W70がデビューする。この「デルタボックスとV4エンジン」というパッケージは、その後のYZR500の基本形となった。ケニー・ロバーツが6勝をマークしランキング2位。1984年、V4エンジンはシーズン途中にロータリーディスクバルブからクランクケースリードバルブに仕様変更を受け、メインフレームも大きく進化。ロバーツの後輩であるエディ・ローソンがシーズン4勝を上げ世界タイトルを獲得する。1985年以降も毎年熟成を重ね、1986年/1988年にローソン、1990年1992年ウェイン・レイニーがそれぞれライダースチャンピオンを獲得している。

テンプレート:MGP、ヤマハはヨーロッパの有力コンストラクターに対して1990年型YZR500(0WC1)のエンジン販売を開始し、同時に0WC1の車体情報を公開した。これにより1992年のグリッドにはROCやハリスといった自社製のフレームにYZRのエンジンを搭載したマシンが並び、500ccクラスの活性化に貢献した。1992年からテンプレート:MGPまでのコンストラクターズタイトルでは、ROCヤマハとハリスヤマハがそれぞれ4位・5位を占めている[1]

2002年、WGP最高峰クラスがGP500から4ストロークマシン主体のMotoGPへ移行。2ストローク500ccマシンにも参戦の道は残されたが、レギュレーションの関係から4ストロークマシンでなければ勝てない状況となり、ヤマハの最高峰グランプリマシンの座を4ストロークのYZR-M1に譲り30年の歴史に終止符を打った。 テンプレート:-

特徴

  • YZR500のテンプレート:MGPモデルである0W70は始動性が悪かった。当時のスタート時のエンジン始動は押しがけであったが、ダッチTT(オランダGP)において、ケニー・ロバーツは押しがけ17歩目にして、やっとYZR500に乗ることができた。それに対して、フレディ・スペンサーは5歩目でNS500に乗っていた。ケニーは予選でポール・ポジションを獲得していたのだが、9位にまで落ちてしまい、シェブロン・ブリッジを過ぎる時には16位にまで落ちていた[2]。YZR500の始動性の悪さについて、当時は、NS500の3気筒に比べてV形4気筒のエンジンレイアウトを持つYZRの特性によるもの、と言われていた[3]。一説に0W70がロータリーディスクバルブを採用していたのが原因だという[4](NS500はリードバルブ)。K・ロバーツ(シニア)は予選で好位置を得ながらもスタートで後続に沈んでしまい、レコードを連発しながらも結局はトップに届かないレース展開が多かった。
  • 80年代後半からのホンダ・NSRとスズキ・RGV-Γとの熾烈な争いでは、エンジンパワーに優れ最高速重視のNSR、軽快な車体で強力なブレーキングを得意とするRGV-Γに対してYZRは優れたハンドリングによる高いコーナーリング性能を武器としていた。

歴代モデル

各モデルの説明はヤマハ発動機のWGP参戦50周年アーカイブ[1]を参考にする。

OW20 (1973 - 1974)
ヤマハ初のワークス500ccマシン。TZ750と同時開発。クロムモリブデン鋼管フレームに水冷2ストローク並列4気筒・ピストンリードバルブエンジン (494cc、最高馬力80PS以上) を搭載。
OW23 (1974 - 1975)
1974年ベルギーGPから登場。500cc専用に設計され、カセットミッションの採用により整備性が向上した。1974年、1975年にメーカータイトルを獲得。
OW35 (1977)
エンジンのボア×ストローク変更(54×54mmから56×50.6mm)、シリンダーピッチの変更、パワージェット付きキャブレターの採用などにより高出力化を図る(最高出力100PS以上)。
OW35K (1977 - 1978)
1977年終盤より投入。排気タイミングを制御するYPVS(ヤマハパワーバルブシステム)を採用。
OW45 (1979)
市販TZ500のベースモデル。YPVSの信頼性向上、VMキャブレターを採用し加速特性を改善。
OW48 / OW48R (1980)
軽量化を図り、シーズン中に角型アルミパイプフレームを採用。OW48Rはエンジンの左右外側1番・4番シリンダーを後方排気とする(Rはリバースの略)。
OW53 (1981)
並列4気筒YZR500の最終モデル。OW48ベースの角型アルミフレームにOW48Rの両外側後方排気エンジンを搭載。
OW54 (1981)
ヤマハ初のスクエア4エンジンを搭載し、ロータリーディスクバルブ吸気を採用。OW53と併用された。
OW60 (1982)
スクエア4エンジンを継続使用し、ベルクランクを介する新型サスペンションを採用。
OW61 (1982)
500ccGPレーサーとしては初の2ストロークV型4気筒エンジンモデル。アンダーループのないフレーム構造、横置きリアサスペンションなどの新機軸にも挑戦。
OW70 (1983)
OW61の発展系で、アルミ製デルタボックスフレームを採用。前輪は17インチホイール。後期型ではサスペンションをボトムリンク式に変更。
OW76 (1984)
シーズン中にクランクリードバルブ吸気を投入し、出力特性と始動性を改善。
OW81 (1985 - 1986)
2本のクランクシャフトを互いに逆回転させ、ハンドリングに影響するジャイロモーメントを抑制。エンジンケースをストレスメンバー化。供給先がワークスのマールボロ・ヤマハの他に、ソノート・ヤマハ、チーム・ロバーツへも拡大され、1975年以来のメーカータイトルを獲得。
OW86 (1987)
新レギュレーションの騒音規制に対応。ラジエターの冷却性能を上げ、カウルのエアダクトを拡大。メーカータイトルを2連覇。
OW98 (1988)
エンジンVバンク角を60°→70°に変更。下側排気管を右2本出しとし、左右非対称型リアアームを採用。イギリスGPよりカーボンディスクブレーキを投入。メーカータイトル3連覇。
OWA8 (1989)
走行状態を記録するデータロガーを搭載。
OWC1 (1990)
ディメンジョンを変更し操縦安定性を改善。メーカータイトルを獲得。プライベーターのROCやハリスにエンジンを供給する際のベースモデルとなる。メーカータイトル獲得。
OWD3 (1991)
最低重量130kgへの引き上げに対応。電子制御リアサスペンション(CES)を装備。メーカータイトル連覇。
OWE0 (1992)
ホンダ・NSR500に続き、ハンガリーGPより位相同爆式エンジン(ビッグバンエンジン)を投入。
OWF2 (1993)
アルミ押出し材の「目の字」断面パイプを採用して剛性強化。エースライダーのウェイン・レイニーはフレームの感触を好まず、第8戦以降は0WC1ベースのROCフレームに変更。メーカータイトルを獲得。
OWF9 (1994 - 1995)
フレームを展伸材(パネル材)に変更。1995モデルは走行風でエンジン吸気を加圧する手法を採用。
OWJ1 (1996)
エンジンのボア・ストロークを56×50.6mm→54×54mmに変更。ピストンは耐熱性に優れるパウダーメタル鍛造。フレームのシートレールを廃す。
OWH0 (1997)
エンジンVバンク角を70°→75°に変更。ドライブ軸位置を上昇。
OWK1 (1998 - 1999)
新規定の無鉛ガソリンに対応。エンジンVバンク角を75°→70°に再変更。他には圧縮比、マフラー形状、キャブレター(ミクニケーヒン製)などを変更。
OWK6 (2000)
OWK1をベースに車体各部の見直し、カウル形状の刷新。1993年以来7年ぶりのメーカータイトル獲得。
OWL6 (2001)
車体ディメンジョンほかを各部を見直し、ライディングスタイルに合わせて2種類のリアアーム(ショート/ロング)を用意。
OWL9 (2002)
28代目の最終モデル。エンジン搭載位置を前進し、フロント荷重を増加。

主なライダー

太字はチャンピオンを獲得したライダー(括弧内は年度)。他メーカーでチャンピオンを獲得した年度は除く。

ロードレース世界選手権

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参考文献

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

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外部リンク

テンプレート:Motorcycle-stub

テンプレート:ヤマハのオートバイの車種
  1. ヤマハ発動機株式会社 - YZR500の足跡にみるヤマハフィロソフィー
  2. 『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(p42 - p47)より。
  3. 『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(P92)より。
  4. 『レーサーズ Vol.02』(三栄書房、2009年)ISBN 978-4-7796-0821-6(p.61)