ハナショウブ

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テンプレート:生物分類表 ハナショウブ花菖蒲Iris ensata var. ensata)はアヤメ科アヤメ属多年草である。シノニムI. ensata var. hortensis, I. kaempferi.

解説

ハナショウブはノハナショウブ(学名I. ensata var. spontanea)の園芸種である。6月ごろに花を咲かせる。花の色は、白、桃、紫、青、黄など多数あり、絞りや覆輪などとの組み合わせを含めると5,000種類あるといわれている。大別すると、江戸系伊勢系肥後系の3系統に、原種の特徴を強く残す長井古種長井系)を含め、4系統に分類でき、古典園芸植物でもある。他にも海外、特にアメリカでも育種が進んでいる外国系がある。

近年の考察では、おそらく東北地方でノハナショウブの色変わり種が選抜され、戦国時代江戸時代はじめまでに栽培品種化したものとされている。これが江戸に持ち込まれ、後の三系統につながった。長井古種は、江戸に持ち込まれる以前の原形を留めたものと考えられている。

アヤメ類の総称として、ハナショウブをアヤメと呼称する習慣が多く見られる(施設名、創作物などで)。一方でショウブと呼称して、ハナショウブを指すこともあるが、菖蒲湯等に使われるショウブは、ショウブ科(古くはサトイモ科)に分類される別種の植物である。「いずれがアヤメかカキツバタ」という慣用句がある。どれも素晴らしく優劣は付け難いという意味であるが、見分けがつきがたいという意味にも用いられる。見分け方はアヤメの項の見分け方を参照のこと。

伝統品種群の系統

江戸系
江戸ではハナショウブの栽培が盛んで、江戸中期頃に初のハナショウブ園が葛飾堀切に開かれ、浮世絵にも描かれた名所となった。ここで特筆されるのは、旗本松平定朝(菖翁)である。60年間にわたり300近い品種を作出し名著「花菖培養録」を残し、ハナショウブ栽培の歴史は菖翁以前と以後で区切られる。こうして江戸で完成された品種群が日本の栽培品種の基礎となった。
伊勢系
伊勢松阪の紀州藩士吉井定五郎により独自に品種改良されたという品種群で、「伊勢三品[1]」の一つである[2]。昭和27年(1952年)に「イセショウブ」の名称で三重県指定天然記念物となり、全国に知られるようになった。
肥後系
肥後熊本藩主細川斉護が、藩士を菖翁のところに弟子入りさせ、門外不出を条件に譲り受けたもので、「肥後六花」の一つである。満月会によって現在まで栽培・改良が続けられている。菖翁との約束であった門外不出という会則を厳守してきたが、大正時代にこれを売りに出した会員がおり、瞬く間に中心的な存在となった。
長井古種(長井系)
山形県長井市で栽培されてきた品種群である。同市のあやめ公園は1910年明治43年)に開園し、市民の憩いの場であった。1962年昭和37年)、来訪した中央の園芸家によって三系統いずれにも属さない品種群が確認され、長井古種と命名されたことから知られるようになった。江戸後期からの品種改良の影響を受けていない、少なくとも江戸中期以前の原種に近いものと評価されている。現在、34種の品種が確認されている[3]。長井古種に属する品種のうち13品種は長井市指定天然記念物である。

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自治体の花

県の花
市の花
区の花
町の花

花菖蒲の名所・花菖蒲園

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長井あやめ公園

北海道・東北

関東

中部

近畿

中国・九州

脚注

  1. 菖蒲、菊、撫子
  2. 江戸の商人には三井高利に代表される伊勢出身者が多く互いの行き来も盛んであり、紀州藩士も参勤交代が頻繁であった。このことから、実際には江戸系の影響を受けたであろうことが有力視されている。
  3. 花菖蒲 長井古種物語(長井市観光ポータブルサイト)
  4. 永田敏弘、『色分け花図鑑 花菖蒲』、学習研究社、2007年、ISBN 978-4-0540-2924-8、159頁

関連項目

外部リンク

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