BJW認定デスマッチヘビー級王座
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(デスマッチヘビー級王座から転送)
テンプレート:Infobox プロレスベルト BJW認定デスマッチヘビー級王座(ですまっちへびーきゅうおうざ)は、大日本プロレスが認定する王座。タイトルマッチ、並びに挑戦者決定戦は、デスマッチでのみ行われる。
基本ルール
- 場外でのカウントアウトなし
- ピンフォール・タップアウトは原則としてリング内のみ(どこでもフォールが取れるエニウェアルールは不採用が、特例として採用されたケースもある)
- 30分一本勝負(2007年4月までは時間無制限1本勝負)
- 挑戦者は、王者に勝てると思うような試合形式を提示する権限を持ち、会見までにタイトルマッチ当日の試合形式を発表する。空位の王座決定戦については、対戦者間での合意により試合形式を決定する。
ベルトについて
初代ベルトは正面とサイドに椅子がデザインされており、「イス色のベルト」と呼ばれていた[1]。デザインはファンからの公募によって決定した[2]。ところが、CZWのザンディグがそのベルトを保持したまま帰国し、提携が切れたためベルトが帰らず、新たなベルト作成を余儀なくされた[1]。
こうした経緯で作られた2代目ベルトには、後に伊東竜二によってクモの巣状に有刺鉄線が張られた。しかし、2012年に入ると金属面の老朽化が見られるようになったため、3代目ベルトのデザインを募集にかけて更新することを決定した[2]。
2013年4月28日の後楽園大会にて、3代目ベルトが披露され、椅子、蛍光灯、画鋲があしらわれたデザインとなった。同年5月5日横浜文体より使用を開始している。
なお、2012年に山川竜司が引退する際、初代ベルトのレプリカを作成し、贈呈した[1]。
歴代王者
レスラー | 戴冠回数 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得した場所(対戦相手・その他) | |
---|---|---|---|---|---|
初代 | ザ・グレート・ポーゴ | 1 | 0 | 1998年8月9日 | JR新川崎駅小倉陸下広場、松永光弘 |
第2代 | 松永光弘 | 1 | 0 | 1998年8月23日 | 鶴見緑地駅前花博記念公園広場 |
第3代 | シャドウWX | 1 | 1 | 1998年9月23日 | 後楽園ホール |
第4代 | アブドーラ・ザ・ブッチャー | 1 | 0 | 1999年1月10日 | アクロス福岡 |
第5代 | シャドウWX | 2 | 1 | 1999年2月28日 | 後楽園ホール |
第6代 | 山川竜司 | 1 | 1 | 1999年5月30日 | JR新川崎駅小倉陸下広場 |
第7代 | シャドウWX | 3 | 2 | 1999年8月10日 | 鶴見緑地駅前花博記念公園広場 |
第8代 | 山川竜司 | 2 | 0 | 1999年12月4日 | 横浜文化体育館 |
第9代 | 本間朋晃 | 1 | 1 | 2000年1月2日 | 後楽園ホール |
第10代 | ザンディグ | 1 | 2 | 2000年7月2日 | 後楽園ホール |
第11代 | 本間朋晃 | 2 | 0 | 2000年11月23日 | 横浜文化体育館、王座預かり |
第12代 | ザンディグ | 2 | 1 | 2001年5月4日 | 札幌テイセンホール、金村キンタロー |
第13代 | 松永光弘 | 2 | 0 | 2001年8月19日 | 横浜文化体育館 |
第14代 | ザンディグ | 3 | 0 | 2001年12月2日 | 横浜アリーナ、王座返上 |
第15代 | 金村キンタロー | 1 | 1 | 2003年3月30日 | 横浜文化体育館、シャドウWX |
第16代 | 伊東竜二 | 1 | 6 | 2003年8月24日 | 横浜文化体育館 |
第17代 | アブドーラ小林 | 1 | 0 | 2005年12月21日 | 横浜文化体育館 |
第18代 | 佐々木貴 | 1 | 1 | 2006年3月31日 | 後楽園ホール |
第19代 | 伊東竜二 | 2 | 0 | 2006年9月10日 | 横浜文化体育館、王座返上 |
第20代 | 佐々木貴 | 2 | 2 | 2006年12月3日 | 横浜文化体育館、“黒天使”沼澤邪鬼 |
第21代 | “黒天使”沼澤邪鬼 | 1 | 1 | 2007年8月26日 | ディファ有明 |
第22代 | 伊東竜二 | 3 | 1 | 2007年12月14日 | 横浜文化体育館 |
第23代 | シャドウWX | 4 | 3 | 2008年5月4日 | 桂スタジオ |
第24代 | 宮本裕向 | 1 | 4 | 2008年12月19日 | 横浜文化体育館 |
第25代 | 伊東竜二 | 4 | 6 | 2010年5月4日 | 横浜文化体育館 |
第26代 | アブドーラ小林 | 2 | 7 | 2011年12月18日 | 横浜文化体育館 |
第27代 | 石川修司 | 1 | 4 | 2013年1月2日 | 後楽園ホール |
第28代 | 木高イサミ | 1 | 4 | 2013年11月4日 | 横浜文化体育館 |
第29代 | 伊東竜二 | 5 | 0 | 2014年5月25日 | 名古屋ダイアモンドホール |
第30代 | 宮本裕向 | 2 | 2014年6月15日 | 広島県立広島産業会館東館 |
試合形式
- ザ・グレート・ポーゴ
- 松永光弘
- シャドウWX
- アブドーラ・ザ・ブッチャー
- シャドウWX
- 山川竜司
- シャドウWX
- 山川竜司
- 本間朋晃
- ザンディグ
- 本間朋晃
- ザンディグ
- 松永光弘
- ザンディグ
- 2001年12月2日(爆破ガラスデスマッチ)松永光弘から奪取
- しばらくの間をCZWデスマッチ王座として管理されたものの、CZWが大日本プロレスから撤退したことで、やがて大日本プロレスへと返還された。
- 2001年12月2日(爆破ガラスデスマッチ)松永光弘から奪取
- 金村キンタロー
- 伊東竜二
- 2003年8月24日(金網デスマッチ) 金村キンタローから奪取
- この試合は、大日本にとっての500試合目のデスマッチとなった。
- 2003年12月24日(蛍光灯&ボブワイヤーボード&ガラスボードデスマッチ) アブドーラ小林の挑戦を退け初防衛
- 2004年4月29日(ガラスボード+α蛍光灯デスマッチ) 2度目の防衛に成功 挑戦者はBADBOY非道
- 2004年5月13日(持込凶器蛍光灯デスマッチ) 3度目の防衛に成功 挑戦者はマッドマン・ポンド
- 2004年7月18日(蛍光灯300本デスマッチ) 4度目の防衛に成功 挑戦者はgosaku
- 2004年12月18日横浜文化体育館(10アイテムス・デスマッチ) 5度目の防衛に成功 挑戦者BADBOY非道
- 2005年6月8日横浜文化体育館(蛍光灯300本デスマッチ) 6度目の防衛に成功 挑戦者は佐々木貴
- 2003年8月24日(金網デスマッチ) 金村キンタローから奪取
- アブドーラ小林
- 佐々木貴
- 伊東竜二
- 佐々木貴
- "黒天使"沼澤邪鬼
- 伊東竜二
- シャドウWX
- 5月4日・桂スタジオ大会(蛍光灯ボード&持ち込み凶器デスマッチ) 伊東竜二から奪取
- 7月13日・横浜文化体育館大会(夏の横浜 ケージ&蛍光灯&激辛スパイスデスマッチ)初防衛。挑戦者は葛西純
- ※激辛スパイス:ギネス・ワールド・レコーズに認定されている世界一辛いトウガラシ「ジョロキア」を原材料にした「デスソース」をベースに、WX独自に香辛料をブレンドしたスペシャルスパイス。
- 8月10日・大阪府・鶴見緑地花博記念公園水の館付属展示場(ノーロープ有刺鉄線ファイヤーデスマッチwithファイヤーボード) 2度目の防衛に成功 挑戦者はアブドーラ小林
- 11月3日・岩手県・岩手県営体育館大会(デスマッチダブルプロデュース) 3度目の防衛に成功 挑戦者は佐々木貴
- 宮本裕向
- 12月19日横浜文化体育館大会(有刺鉄線爆破ボードデスマッチ) シャドウWXから奪取
- 2009年7月12日横浜文化体育館大会(廣島 大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ 〜one night carnival again〜)初防衛。挑戦者は竹田誠志
- 2009年9月30日高岡テクノドーム大会(蛍光灯445本デスマッチ) 2度目の防衛に成功 挑戦者はアブドーラ小林
- 2009年12月4日横浜文化体育館大会(蛍光灯&立体足場スキャフォールドデスマッチ) 3度目の防衛に成功 挑戦者は佐々木貴
- 2010年3月19日後楽園ホール大会(ダブルガラスボード&インディアンストラップデスマッチ) 4度目の防衛に成功 挑戦者は木高イサミ
- 伊東竜二
- 2010年5月4日横浜文化体育館大会(金網&蛍光灯200本デスマッチ)宮本裕向から奪取
- 2010年7月30日後楽園ホール大会(ガラス&蛍光灯+αデスマッチ)初防衛 挑戦者は竹田誠志
- 2010年10月17日後楽園ホール大会(デスマッチ3大アイテム蛍光灯&ガラスボード&画鋲4万9205個デスマッチ) 2度目の防衛に成功 挑戦者は石川修司
- 2010年12月19日横浜文化体育館大会(蛍光灯450本デスマッチ) 3度目の防衛に成功 挑戦者はアブドーラ小林
- 2011年5月5日横浜文化体育館大会(ブロック&蛍光灯オブジェ+αデスマッチ)4度目の防衛に成功 挑戦者は佐々木貴
- 2011年6月27日後楽園ホール大会 (蛍光灯200本 ツインタワー 凶器持ち込みデスマッチ) 5度目の防衛に成功 挑戦者は星野勘九郎
- 2011年9月10日(現地時間)CZWフィラデルフィアアサイラムアリーナ大会 (カミカゼデスマッチ)6度目の防衛に成功 (両者ドロー) 挑戦者はCZW UVU王者MASADA
- ※ノーロープ有刺鉄線&ラダー・ベルト奪取・ダブルタイトルデスマッチ
- アブドーラ小林
- 2011年12月18日横浜文化体育館大会(クライマックス・ゲーム・オブ・デス) 伊東竜二から奪取
- 2012年2月26日後楽園ホール大会(アルティメット・オープンフィンガー 五寸釘デスマッチ)初防衛 挑戦者は竹田誠志
- 2012年5月5日横浜文化体育館大会(自作凶器持ち込み 蛍光灯306本デスマッチ) 2度目の防衛に成功 挑戦者は石川修司
- ※蛍光灯の本数は互いの体重合計306(kg)から決定。石川133kg+小林173kg(正式体重は135kg、小林は本数が足りないと思うため、体重を増やす)。
- 2012年6月21日後楽園大会(蛍光灯444本使用デスマッチ「TOKYO DEATH CITY」) 3度目の防衛に成功 挑戦者は"黒天使"沼澤邪鬼
- 2012年7月30日後楽園大会(デスマッチ・オブ・ザ・ワールド) 4度目の防衛に成功 挑戦者はドレイク・ヤンガー
- ※ロープ2面に連なるように並べられた蛍光灯、2種類の蛍光灯オブジェ(東京タワー・エンパイアステートビル)、五寸釘ボードを設置。
- 2012年9月25日後楽園大会(粉骨砕身・画竜点睛デスマッチ) 5度目の防衛に成功 挑戦者は木高イサミ
- ※蛍光灯、カリビアン・ボブワイヤー、3m以上の高さのラダーを設置。
- 2012年10月29日後楽園大会(廣島 大治組プレゼンツ 立体足場建築現場デスマッチ) 6度目の防衛に成功 挑戦者は宮本裕向
- 2012年12月9日横浜文化体育館大会(SEVEN COLORS DEATHMATCH)7度目の防衛に成功 挑戦者は伊東竜二
- ※7度目の防衛戦にちなみ、コンクリートブロック、五寸釘ボード、蛍光灯、有刺鉄線、剣山、小林持ち込み凶器(ギターを模した蛍光灯オブジェ)、伊東持ち込み凶器(注射器)、計7つの凶器を使用。
- 石川修司
- 2013年1月2日後楽園ホール大会(ガラスボード&新春デスマッチ) アブドーラ小林から奪取
- ※「新春」をテーマに、石川は各種アイテム入り福袋を、小林は門松風の蛍光灯オブジェを用意。
- 2013年3月17日広島県立広島産業会館東館大会(YMCAデスマッチ)初防衛 挑戦者は宮本裕向
- ※広島出身の西城秀樹の代表曲をテーマに、Y→有刺鉄線、M→ミルク→海のミルク→牡蠣、C→チェアー(椅子)、A→安芸の宮島厳島神社の鳥居→蛍光灯鳥居
- 2013年5月5日横浜文化体育館大会(蛍光灯+ガラスボード+剣山611個デスマッチ)2度目の防衛に成功 挑戦者は伊東竜二
- ※石川修司の提案により、剣山555個を目標に全国から提供を呼びかけ、集計した結果611個が集まり、その剣山が全て使用された。
- 挑戦者決定決勝戦:4月10日後楽園ホール大会 (デスマッチ3本勝負) vs 木高イサミ
- 挑戦者決定戦:一騎当千~DEATH MATCH SURVIVOR~(デスマッチ・シングルリーグ戦)2月24日開幕。
- 出場選手
- 2013年6月30日後楽園ホール大会(ブラッドレインデスマッチ)3度目の防衛に成功 挑戦者は竹田誠志
- ※ロープ1面には蛍光灯、もう1つの反対面には蛍光灯3本ずつの束が取り付けられ、コーナーとリング下にはガラスボード、蛍光灯テーブル各2つを設置。竹田も半分切るの空き缶ボードを持参。
- 2013年8月25日名古屋国際会議場大会(金網デスマッチ「Cage of DeathMatch All Stars」)4度目の防衛に成功 挑戦者は"黒天使"沼澤邪鬼
- ※アイテムはゴミ箱入り蛍光灯、有刺鉄線ボード、画鋲、ガラスボードを設置。
- 2013年1月2日後楽園ホール大会(ガラスボード&新春デスマッチ) アブドーラ小林から奪取
- 木高イサミ
- 伊東竜二
- 2014年5月25日名古屋ダイアモンドホール大会(デスマッチ3本勝負)木高イサミから奪取
- 1本目:TLCデスマッチ(×伊東 - イサミ○)
- 2本目:ブロック&蛍光灯デスマッチ(○伊東 - イサミ×)
- 3本目:鉄檻蛍光灯デスマッチ(○伊東 - イサミ×)
- トータルスコア2-1で伊東の勝利
- 次節:2014年6月15日 広島県立広島産業会館大会 挑戦者は宮本裕向
- 2014年5月25日名古屋ダイアモンドホール大会(デスマッチ3本勝負)木高イサミから奪取