金村キンタロー

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金村 キンタロー(かねむら キンタロー、本名:金村 珩皓(かねむら ゆきひろ)、1970年8月9日[1] - )は、三重県津市出身[1]の男性プロレスラー。身長・六尺三寸(約190cm、正式身長は178cm、体重・五十八貫(217.5kg、正式体重は112kg)。在日韓国人であることを公言しており、韓国名は金珩皓(キム・ヘンホ、김행호)。血液型B型。

以前は金村ゆきひろとしてファイトしていた。元妻は元全日本女子プロレス中見川志保で、W★ING時代に中見川が参戦したことで知り合った。

あだ名は「理不尽小僧」。恩師である冬木弘道のあだ名「理不尽大王」にちなんでいる。また、ファン(特にハッスルに来ている人たち)からは「キンちゃん」、黒田哲広からは「オヤジ」と呼ばれている。

アパッチプロレス軍興行で、味方冬樹K-DOJO)からリングコールされる際に「伊勢湾の暴れん坊、アイ・アム・プロレスラー」と紹介される(リングアナが味方以外の場合は、この紹介はされない)。

経歴

デビュー、W★ING

中学校時代に友人から見せられた世界オープンタッグ選手権のビデオでテリー・ファンクに魅せられ、プロレスラーを目指す[1]。ラグビー部に所属していた高校時代、全日本プロレスの試合会場で入門を直訴したが、タッパないから無理と渕正信に不合格を言い渡されている[1]

高校卒業後、上京してアニマル浜口ジムへ入門。1年後、浜口から剛竜馬を紹介されて、パイオニア戦志の新弟子となる[1]1990年12月20日、パイオニア戦志の愛知・半田市民ホール大会での齋藤彰俊戦にてデビューした[1]後、同団体が崩壊する前に退団。その後、剛竜馬とのトラブルを避けるために、青柳政司が主宰する空手道場の誠心会館所属扱いとなり、誠心会館の自主興行に参加した。

1991年8月7日、旗揚げされたW★INGに参戦[1]。W★INGでは、参戦していたミゲル・ペレス・ジュニアらに可愛がられ、メイン戦線に出るようになる[1]。1992年5月5日にはザ・グラップラーを破り、デビュー1年4か月でPNWヘビー級王座を獲得した[1]。5月7日の後楽園ホール大会における初防衛戦では、スーパー・インベーダーを相手に世界で初めてのテーブルクラッシュを敢行した[1]。12月18日の福島大会では、ペレス・ジュニアからWWC認定カリビアンヘビー級王座を奪取し、1993年2月には戴冠したままプエルトリコなどへの初の海外遠征を行っている[1]

エースであった徳田光輝、齋藤彰俊、ミスター・ポーゴ松永光弘らが次々と離脱する中、最後まで団体に留まり命知らずのデスマッチを展開し、エースと目されるようになる。1993年10月に行われたスクランブル・ファイヤーデスマッチでは、邪道外道非道に大火傷を負わされて、長期欠場となった[1]。それだけでなく邪外にはいつも惨い虐めを受けていたようで、憲法がなかったらぶっ殺すとまでインタビューで語るほどその恨みは深い(ただし、大火傷はあくまでアクシデントである)。

FMW参戦時

1994年3月13日の大会を最後にW★INGは活動を停止。5月23日にビクター・キニョネスが旗揚げしたIWAジャパンに参戦したものの、わずか4か月で離脱。その直後にFMW札幌中島体育センター大会に乱入。ポーゴ、松永らとW★ING同盟を結成して、大仁田厚ら正規軍と争う。大仁田引退後は、W★ING金村と改名。1997年に大仁田率いる「ZEN」に加盟するも、すぐに離脱し、冬木弘道、ミスター雁之助らとTNR(チーム・ノーリスペクト)を結成した。雁之助、邪道、外道、非道とは「ブリーフブラザーズ」として、ブリーフ姿でリングに上がり、コントも披露。人気を博す。現在入場時にやっている「ブリブラダンス」は、ここから始まった。

WEW、アパッチプロレス軍

2002年2月のFMW倒産後は冬木と行動を共にし、WEWに参加しながら、様々なプロレス団体に参戦。ある1年間で一番試合をしたレスラーになるほどである。

2002年7月のZERO-ONEの第2回火祭りAブロック公式戦での大谷晋二郎戦で金村が開始ゴング前から場外で先制攻撃を行ない、両者がリングインした時にゴングが鳴り、その瞬間に大谷がバックをとりフルネルソンからドラゴン・スープレックスを放ち、何と3秒で決着がつくといった失態ともいえるプロレス史上に残る最短試合記録をつくってしまい、翌日発行の東京スポーツ誌の一面を飾る(直後のWEW興業の前説で金村はその不名誉な記事が掲載の東スポを持参し、その日の裏表紙が松坂慶子ヌードの記事で同じ日に表紙になり幸せだと冬木に語る)。

2003年3月19日に冬木が亡くなった後、5月5日の川崎球場大会でに冬木の代わりとして橋本真也と電流爆破マッチを行った[1]。2004年8月30日、黒田哲広らと共に「アパッチプロレス軍」を旗揚げ[1]

2005年には長州力と対戦し敗れ、長州の軍門に下った。新日本プロレスにシリーズ参戦し、C.T.Uと過激な抗争を繰り広げ、メジャー系プロレスファンの憎悪を浴びていた。それにあたり、金村は「おれらみたいなチンピラ(リングに)上げている地点で新日本は終わりや。」、一部新聞誌のインタビューコーナーでインディーを批判した坂口征二新日本相談役に「アンタのリングで一番ヒートしているのはC.T.Uとアパッチの戦い。現場を見てから物言え。」などと、新日本への批判を連発した。最終的にC.T.Uの抗争はアパッチプロレスのリングまでもつれ込み、4月14日のアパッチプロレス後楽園ホール大会で金村、黒田、非道vs邪道、外道、獣神サンダー・ライガーストリートファイト6人タッグマッチで激突し、金村組が勝利することで幕を下ろした。

ハッスル出場時は、「HUSTLE 03」と書かれた赤い半そでのジャージを着て(ハッスル14から)入場し、ハッスルハードコアブラザーズとして、同じFMW出身で同世代の田中将斗、黒田と共に活躍している(このタッグは、ハッスルと大日本プロレスでしか見ることが出来ない、「激レア」モノと呼ばれている)。金村が出る試合だと必ず金村の入場曲が流れて、その試合のタッグパートナーとブリブラダンスをする(大日本では、田中将斗の登場曲になる場合もある)。ハードコアを得意としているから高田モンスター軍には無類の強さを発揮しているのだが、チーム3Dとは何回か戦っているが、未だに勝ったことがない。金村のハッスルでの楽しみはドクロンZの胸をもみもみしてチューをすることらしい。最近はドクロンZが出てこないのであまりやっていなかったが、ニューリン様ハッスル軍に入った時、ドクロンZのことなどすっかり忘れたように好きになってしまった。ハッスル・ハウスvol.20の時にハッスル19のタッグパートナーとしてニューリン様と組みたいということでTAJIRIと言い争っていた。その時に、金村が「俺のほうが先輩や。先輩の言うことを聞け!」と先輩ヅラまでした。それを見てニューリン様が「TAJIRIとキンタローはキモいから組みたくねーんだよ!」と言われて、失恋した。

2006年9月24日、冬木の創設したWEWヘビー級王座を懸けて真壁刀義と「ストリートファイト有刺鉄線バリケードマッドチェーンデスマッチ」で対戦するも敗北。11月18日に真壁に再挑戦するも完敗。

2007年4月のハッスルシリーズに金村似のマスクマンキンターマンが登場、黒田哲広似のクロダーマンケビン・ランデルマン似のランデルマンと組んで参戦し、モンスター軍に雇ってもらえるよう頼むも、あっさり拒否された。

2007年6月24日真壁を破りWEWヘビー王座を奪還するも、7月29日に開催された初防衛戦で矢野通に敗北しベルトを失っている。それからは怪我もあり、対新日本から一歩引き、大日本では小幡優作のアシストに回る。

2008年2月18日、同年1月20日に大日本プロレスの女性社員に対し猥褻行為を行ったとして、1月24日をもって同団体への無期限出場禁止処分を受けていたことが発覚。2月20日に黒田を伴い謝罪会見を行う。しかし、髪はボサボサ、ネクタイも締めず胸元がはだけてしまっているという誠意が見られない姿であった。またアパッチプロレス軍も、金村を解雇処分並びに参戦無期限禁止とすることに加え、団体としての活動を無期限自粛することとなった。金村自身もレスラー活動を停止する。

2月22日のアパッチ新木場大会で、アパッチプロレス軍を解雇となり、運営会社「CF企画」の親会社「キャッシュボックス」預かりとなることが発表されている。3月11日、被害者との和解が成立。3月27日、折原昌夫主催のメビウス新宿大会にて復帰。事件後に引退も検討していた中、折原自身が金村に説得と参戦オファーを申し出したことによる。

4月、大仁田厚から復帰を否定されたことにより闘論するなか、ロックアップでタッグ対戦が決定する。

6月16日、金村、黒田、田中で、「インディペンデント・ハードコア・ブラザーズ」を結成。このチームを中心としたプロレス集団「XWF」の旗揚げを発表した。しかしXWFは2009年5月の第2弾興業を最後に活動停止となる。

アパッチプロレス軍(第2次)

2010年頃は、ZERO1を中心とした活動をしていた。10月、アパッチプロレス軍復活を発表。

第2次アパッチでは負傷欠場が多いが、団体の層の薄さのため長期欠場が許されず、完治せぬまま復帰しており、他団体参戦はあまり多くはない。

2014年6月18日、後楽園ホールで「冬木弘道13回忌メモリアル〜金村キンタロー25周年大会」を開催した[2]

タイトル歴

入場曲

大一番試合にのみ使用。

主な得意技

巨体が生み出すパワーが武器。試合運びは巧みでそのような型式の試合にも対応できる。特にハードコアマッチの経験は豊富で、場外乱闘や椅子、机を使用した攻撃も得意とする。

爆YAMAスペシャル
トップロープダイビングセントーン。金村のフィニッシュ・ホールド[2]。重量級のボディが降ってくる姿はフィニッシュ・ホールドの説得力十分である。
ヒューマン・トーチ
相手を担ぎ上げ、尻餅をつくような体勢で相手の後頭部をマットに叩きつける技。開脚式のサンダーファイヤーパワーボム。井上京子ナイアガラ・ドライバーに似ているが、相手を持ち上げた時の体勢が若干違っている。
サムソン・クラッチ
師匠の冬木弘道(サムソン冬木)の技。相手に背後からクラッチされた状態からクラッチを切り、尻餅をつくように後ろへ倒れ込みつつ相手の足首を掴み、前方回転し丸め込む。
椅子チャンバラ
それぞれにパイプ椅子を持ちチャンバラの如く打ち合うムーブ。
サンダーファイヤー・パワーボム
大仁田厚の得意技。パワーボムの状態で抱え上げ、自分の顔ではなく肩に相手の臀部がくるようにするパワーボム。
牛殺し投げ
投げっ放しジャーマン・スープレックス

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:BJW認定デスマッチヘビー級王座
  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 「レスラーヒューマンストーリー第196回 金村キンタロー」、『週刊プロレス』No.1741、平成26年6月11日号(5月28日発行)、79-82頁、2014年。
  2. 2.0 2.1 「理不尽小僧、もう一旗!」、『週刊プロレス』No.1745、平成26年7月9日号(6月25日発行)、90-91頁、2014年。