セゲド

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テンプレート:世界の市 セゲドハンガリー語:Szegedブルガリア語Сегетクロアチア語Segedinドイツ語Szegedin/Segedinラテン語Partiscumルーマニア語Seghedinセルビア語Сегедин, Segedinスロバキア語Segedínトルコ語Segedin)は、ハンガリー南部に位置する都市チョングラード県の県都。セルビアルーマニアの国境に近い。

地勢・産業

ティサ川沿いに位置する。ティサ川は、肥沃な土をもたらすという点ではセゲドに大きな恵みをもたらし、現在でもパプリカの生産地として有名である。しかし、その一方でティサ川の洪水はセゲドに何度も被害を与えた。とりわけ、1879年の洪水では壊滅的な打撃を受けている。温泉地としても知られ、多くの保養客が訪れる。

近隣の都市としては、約40キロ南西のスボティツァセルビアヴォイヴォディナ自治区)、80キロ北西のケチケメートなどが挙げられる。

歴史

古代ローマ帝国の時代に建てられた都市がセゲドの起源である。セゲドという名称は、12世紀末のハンガリー王ベーラ3世の時代よりあらわれ、中世における商業ネットワークにおいての交易地などとして重要な役割を果たした。16世紀から17世紀にかけてはオスマン帝国の支配下に入った。その後、ハプスブルク家の支配下に入った。1879年の大洪水で壊滅的な打撃を受けたが、ヨーロッパ諸国の援助によって復興を果たした。第一次世界大戦直後、一時的にクン・ベーラによってソヴィエト政権が成立するが、それを鎮圧したホルティ・ミクローシュはこの都市に拠点を置いた。

文化

街のシンボルともいえる大聖堂(誓約教会)には、一万本のパイプを用いた、ヨーロッパで第二の規模のパイプオルガンが置かれている。(最大のものはミラノの大聖堂。)

学問

大聖堂とその広場を囲むようにして校舎の立ち並ぶ、国立セゲド大学がある。中欧を代表する大学の一つで、1872年フランツ・ヨーゼフ1世により創立。 第二次世界大戦時より数多くの優秀な教授が働き、中でもセント=ジェルジ・アルベルト1937年ノーベル生理学・医学賞を受賞した同大学の元学長。医学部歯学部薬学部農学部理学部法学部美術学部など多数の学科を有する。また大学には英語講義による医学部歯学部薬学部が設置されていて、多くの留学生で賑わう。

セゲド出身の人物

姉妹都市

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ギャラリー

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関連項目


外部リンク

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