カルロ3世 (ナポリ王)

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カルロ3世/カーロイ2世

カルロ3世(Carlo III, 1345年ナポリ - 1386年2月24日ヴィシェグラード)は、アンジュー家出身のナポリ王(在位:1382年 - 1386年)及びハンガリー王(カーロイ2世、II. Károly, 在位:1385年 - 1386年)。

ナポリ王ロベルトの末弟ドゥラッツォ公ジョヴァンニの孫で、ナポリ王カルロ2世の曾孫に当たる。父グラヴィナ伯ルイージはジョヴァンニの次男であり、元来カルロはアンジュー家(アンジュー=シチリア家)のうちでも傍系の生まれである。

1369年マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォと結婚したが、マルゲリータは同族の従妹であるだけでなく、ナポリ女王ジョヴァンナ1世(カルロの又従姉に当たる)の姪でもあった。マルゲリータの母マリア・ディ・カラブリアテンプレート:Enlink, 1329年 - 1366年)がジョヴァンナの妹だったのである。

同族の又従兄に当たるハンガリーおよびポーランドの王ラヨシュ1世は、ナポリ王位を狙ってジョヴァンナ1世と敵対していた。カルロはラヨシュ1世の命を受け、1382年にジョヴァンナ1世を殺害し、自らがナポリ王カルロ3世となった。ジョヴァンナ1世の養子ルイ1世・ダンジューとの抗争も発生したが、1384年にルイ1世が死去、抗争は収まった。

同年にラヨシュ1世が男子の継承者を持たずに死去した。ラヨシュ1世の長女マーリアとその夫ジギスムント神聖ローマ皇帝カール4世の次男、後の皇帝)が王位を継承することになっていたが、その即位に対してハンガリー国内では反対派も多く、1385年にカルロ3世は反対派から迎えられ、ハンガリー王カーロイ2世として即位した。しかし翌1386年、カルロ3世はマーリアの母親エリザベタ・コトロマニッチによって暗殺され、マーリアとジギスムントが王位に復帰した。

1378年教会大分裂が発生しており、カルロ3世はローマ教皇ウルバヌス6世からナポリ王位を承認されたが、アヴィニョン対立教皇クレメンス7世はルイ1世をナポリ王とした。この対立はカルロ3世の暗殺後も尾を引き、ルイ1世とカルロ3世それぞれの子・ルイ2世・ダンジューラディズラーオはアヴィニョン派、ローマ派に分かれて王位争奪戦を繰り広げていった。

家族

妃マルゲリータとの間には1男2女が生まれた。

関連項目

先代:
ジョヴァンナ1世
ナポリ王
1382年 - 1386年
次代:
ラディズラーオ1世
先代:
マーリア
ハンガリー王
1385年 - 1386年
次代:
マーリア(復位)
ジグモンド