ぼんちおさむ

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ぼんち おさむ1952年12月16日 - )は、日本のお笑いタレント俳優漫才コンビ「ザ・ぼんち」のボケ担当。吉本興業所属。大阪市出身。本名は長瀬 修一(ながせ しゅういち)。旧芸名はおさむ血液型はO型。興國高等学校卒業。

なお、父親が宮崎県出身で、本人も「宮崎はボクのふるさととも言えるルーツですね」とコメントしている。

概要

少年時代、土曜日となれば吉本新喜劇道頓堀アワー松竹新喜劇とお笑い番組のTV放送に夢中だったという。高校卒業後、曾我廼家明蝶が主宰する明蝶学院の演劇科で学び、喜劇役者を目指すがその演劇科が閉鎖となり、タイヘイトリオに師事し漫才に転向する。里見まさと(旧芸名・まさと)と組んだ「ザ・ぼんち」時代には、「そーなんですよ川崎さん」(山本耕一の真似)、「潮来の伊太郎~あれ~」(橋幸夫の真似)、「おさむちゃんで~す」などのギャグ1980年代前半の漫才ブームの頂点を極めた。

特に「お~」から始まり「ちゃんで~す」で終わるまで顔を真っ赤にしていきみまくる「おさむちゃんで~す」のギャグで知られる。2000年に放送されたNHKラジオ「漫才ブームを振り返る」(ナイター雨傘番組)では、「おさむ」「ちゃんでーす」の間があるのは気合を溜めているから、とコメントしている。

弟子にジミー大西吉田ヒロ、元ジパング上陸作戦チャド・マレーンつばさ・きよしのぼんちきよしなどがいる。

歌唱力も中々のもので、加山雄三のものまねは絶品である。1981年、『恋のぼんちシート』でレコードデビュー。オリコンでは最高位第2位という、漫才師が出したレコードとしては最大のヒット曲となった。 そして、2011年現在まで漫才師としては唯一、日本武道館で公演を行った。

フジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』では、西川のりおとのコンビで「ひょうきんベストテン」コーナーに出演。毎回、奇抜な衣装で登場し、本物のアイドル歌手をびっくりさせた。一時期、のりおとのコンビで兄弟デュオ・狩人の、似せようとする気は全く無く2人でわめき散らすように歌うだけの物真似を行い、スタッフに大ウケした。以降、事あるごとに狩人の「あずさ2号」を絶叫しながら歌うギャグがオチのように使われた。しかしこのギャグは鉄道ファンから抗議が殺到したばかりか、当時の国鉄長野鉄道管理局(現:JR東日本長野支社)からもクレームが入り、すぐに中止された。

コンビ解散後は俳優としての活動も始め、テレビ朝日系のテレビドラマ『はぐれ刑事純情派』に里見刑事役で長年レギュラー出演した。2004年、フジテレビ・フジネットワークの特番『27時間テレビ』でコンビは復活した。「ザ・ぼんち」の再結成に伴い、漫才一本に専念するため里見刑事役を降板した。

テレビ朝日系の番組『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』に出演した際には、番組冒頭の挨拶で「おさむちゃんで~す」と発するためにテレビ朝日の社屋のあちこちを奔走し、ようやく自己紹介した直後に番組が終了するという、前代未聞の事態となった。放送後、番組の公式BBSには苦情が殺到した。

舌を鳴らす、突然飛び上がるなどの芸を持っているが、意図した芸ではなくトゥレット障害によるものであると言われる。バラエティ番組の収録時はともかく、『はぐれ刑事純情派』の収録でも出るので、共演者や制作陣に迷惑がかからないよう、タイミングを見計らって本番に入っていたようである。ただ、それでも鳴ってしまったり飛び上がってしまうことはあり、そのたびにNGになってしまったという。芸人仲間には「たまに出るけど気にせんとって」と言っていたらしいが、それも含めてギャグと認識され、「面白い兄さん」と評価されていた。

ジェリー・ルイスの大ファンで、踊りや髪型などかなりの影響を受けている。本人もいつかマーティン&ルイスと共演したいと語っていた。

また、ジャスボーカリストとしても関西のライブハウスのステージにも立っている。

川島なお美と親戚である。[1]

出演

映画

テレビ番組

バラエティ

演芸中継

ドラマ

脚注

  1. 千鳥のぼっけぇTV!」2011年5月13日放送より

関連人物