音威子府駅
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テンプレート:駅情報 テンプレート:駅情報 テンプレート:Double image aside 音威子府駅(おといねっぷえき)は、北海道中川郡音威子府村字音威子府にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW61。電報略号はオト。
概要
かつては宗谷本線と天北線の分岐駅であり、交通の要衝だった。天北線廃止後、音威子府村の予算により、木造駅舎から現在の交通ターミナル駅舎に改築された。今でも中頓別町、浜頓別町、猿払村などの旧天北線方面や枝幸方面へ向かうバスとの乗換駅として重要な拠点であり、特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」が停車する。JRの特急列車の停車駅の中では、最も人口の少ない自治体に存在する。
歴史
- 1912年(大正元年)11月5日:国有鉄道の駅として開業。一般駅
- 1914年(大正3年)11月7日:宗谷線(→宗谷本線→北見線→天北線)延長開業。
- 1919年(大正8年)11月1日:名寄機関庫音威子府分庫設置。
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)11月8日:天塩線(→天塩南線→天塩線→宗谷本線)開業。
- 1930年(昭和5年)5月16日:音威子府機関庫が名寄機関庫音威子府分庫となる。
- 1970年(昭和45年)10月:チップ工場完成、チップサイロ用専用線敷設[1]。
- 1971年(昭和46年)12月1日:駅裏にシェル石油油槽所完成、専用線使用開始[1]。
- 1978年(昭和53年)6月30日:名寄機関区音威子府支区廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物・荷物扱い廃止。
- 駅裏のシェル石油油槽所が、当駅貨物取扱廃止とともに閉鎖された。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承。
- 1989年(平成元年)5月1日:天北線廃止。
- 1990年(平成2年)5月1日:音威子府村により駅舎改築。
駅構造
- 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、あわせて2面3線を持つ地上駅である。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
- 社員配置駅、みどりの窓口設置(窓口営業時間:8時40分 - 16時40分)。自動券売機がないので、近距離切符、入場券もみどりの窓口で購入となる。営業時間外に列車に乗車する際は無人駅同様の扱いとなる。
- 旧天北線代替バスを運行する宗谷バスの出札所が併設されている。
- 駅舎内に「天北線資料室」があり、現役当時の資料が展示されている。
駅名の由来
駅周辺
音威子府村市街地。商店街・住宅地がある。
- 北海道道12号枝幸音威子府線・北海道道391号音威子府停車場線
- 国道40号・国道275号
- 道の駅おといねっぷ
- 音威子府村役場
- 美深警察署音威子府駐在所
- 音威子府郵便局
- 北星信用金庫音威子府支店
- 北はるか農業協同組合(JA北はるか)音威子府支所
- 北海道おといねっぷ美術工芸高等学校
- 音威子府村立音威子府中学校
- 音威子府村立音威子府小学校
- 幼児センター
- 北海道大学中川研究林
- 音威富士スキー場
- 高橋昭五郎彫刻の館
- 山村都市交流センター
- 原菓子舗 - 音威子府名物「鮭みそパン」(鮭の形をしたみそパン)の販売元
- NPO法人 ecoおといねっぷ工場 - 音威子府羊羹・味噌製造元、旧シェル石油油槽所
- 天塩川
常盤軒そば店
- 当駅の駅舎内にある立ち食いそば・うどん店。駅舎改築前はホーム上にあった。
- 営業時間9:30 - 16:00、水曜日定休(ただしお盆前後など営業することもある。2010年度は8月11・18日営業)。閉店時間繰り上げあり、定休日以外に臨時休業あり。
- 立ち食い店ではあるがすぐ隣にベンチがあるので、どんぶりを持ったままにはなるが座って食べることも可能。
- 土産用そば(生、乾麺)、そばつゆも販売している。
- そばは村内に営業所・工場を有する畠山製麺が製造する。そばの実だけではなく、皮も全て挽いて粉にするため、真っ黒で風味の強い独特のそばであり、そばつゆもそばの強い風味に負けない濃い味のものとなっている。
- 蒸気機関車が宗谷本線を走行していた古くから旅行者の間で知られていたもので、「音威子府そば」として村の名産品となっている。2004年に放送された列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜でも紹介された。
脚注
バス路線
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- テンプレート:Color宗谷本線
かつて存在した路線
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 天北線
- 音威子府駅 - 上音威子府駅