青蓮院

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テンプレート:日本の寺院

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宸殿前庭、右近の橘、左近の桜

青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗寺院青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。山号はなし。開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。現在の門主(住職)は、旧東伏見宮家東伏見慈晃

概要

青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王(天皇皇子伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。日本三不動[1]の1つ「青不動」のある寺としても知られる。

歴史

三千院妙法院などとともに、青蓮院も比叡山上にあった房(小寺院)がその起源とされている。青蓮院は比叡山東塔の南谷にあった青蓮坊がその起源であり、門跡寺院となって山下に移ったのは平安時代末期の行玄大僧正の時である。久安6年(1150年)、鳥羽上皇の后・美福門院は青蓮院を祈願所とした。また、上皇の第7皇子覚快法親王が行玄の弟子として入寺し、以後、皇族や摂関家の子弟が門主を務める格式高い寺院となった。山下へ移転した当初は三条白川(現在地のやや北西)にあったが、河川の氾濫を避け、鎌倉時代に高台の現在地へ移った。ここにはもと十楽院という寺があり、青蓮院の南東にある花園天皇陵は「十楽院上陵」(じゅうらくいんのうえのみささぎ)と称されている。

歴代門主(住職)のうち、3代の慈鎮和尚慈円歴史書愚管抄』の著者として著名である。慈円は関白藤原忠通の子で、歌人としても知られ、天台座主を4度務めている。また、17代門主の尊円法親王伏見天皇の第6皇子で、名筆家として知られる。尊円法親王の書風は「青蓮院流」と呼ばれ、江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流である。

室町時代には後に室町幕府第6代将軍足利義教となる義円が門主を務めた(同じく第15代将軍足利義昭興福寺一乗院の門主であった)。

また衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした蓮如もここで得度を受けている。

江戸時代天明8年(1788年)、天明の大火で内裏が焼失した折、青蓮院は後桜町上皇の仮御所となった。このため、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡に指定されている。

近代に入り、明治26年(1893年)の火災で大部分の建物が失われた。

戦後はこの寺の復興に努力した永井執事との争いがこじれ、ストライキ騒ぎが起きたり、日本労働組合総評議会が門前に赤旗を並べたこともあった。また1993年4月25日には過激派(中核派)の放火により好文亭が焼失したが1995年に再建された。

境内・伽藍

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門前の大クスノキ親鸞聖人の手植えと伝わる)

本堂、宸殿、小御所、華頂殿(書院)、叢華殿、好文亭(茶室)などがあるが、いずれも古いものではない。各建物(好文亭除く)は渡り廊下でつながれている。庭園は室町時代の相阿弥作と伝える築山泉水庭、江戸時代の小堀遠州作と伝える霧島の庭などがある。境内西側には京都市天然記念物のクスノキの巨木(5本)がある。青蓮院では、例年春と秋に期日を区切って夜間拝観を実施し、庭園のライトアップを行っている。

  • 本堂 - 境内奥(南側)に西面して建つ方三間、宝形造の小堂。堂内の厨子には青蓮院の本尊である熾盛光如来の曼荼羅を安置するが、通常は公開していない(天台宗開宗1,200年を記念し、2005年9月28日より同年12月28日に公開された)。熾盛光如来とは仏頂尊の一尊で、天台宗最大の秘法といわれる熾盛光法(国家鎮護、皇室の安泰などを祈る修法)の本尊であるが、この如来を寺院の本尊とするのは珍しい。寺伝では文禄5年(1596年)作の掛軸で、中央に種子「ボロン」(bhruuM)で表した熾盛光如来、周囲に八大菩薩を表したものという。本堂の東裏には国宝の青不動画像の複製が安置されている。
  • 小御所 - 本堂の北側に建つ入母屋造桟瓦葺きの建物。天皇の仮御所として使用された建物を明治26年(1893年)の焼失後に復興したものである。小御所東側の池を中心とした庭園は室町時代、相阿弥の作と伝え、その北方の「霧島の庭」(霧島つつじを植える)は小堀遠州の作と伝える。小御所近くにある「一文字手水鉢」は豊臣秀吉の奉納と伝えている。
  • 宸殿 - 小御所の西側に建つ、寺内で最も大きな建物。入母屋造、桟瓦葺きで、明治26年(1893年)の焼失後の復興である。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇の位牌を祀る堂である。障壁画浜松図(襖12面、戸襖4面、壁3面の17面)が重要文化財に指定されている。なお、1962年に襖のうち1枚が心ない拝観者により切り取られ行方不明となっている。宸殿西方の四脚門(御幸門)は、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもので、明治26年の火災をまぬがれている。
  • 好文亭 - 青蓮院を仮御所としていた後桜町上皇が学問所として使用した茶室。1993年に放火で焼失し、2年後に復元されたものである。主室は四畳半台目の茶室で、他に四畳半3室、水屋、仏間がある。
  • 植髪堂 - 境内北方、拝観入口の左方に離れて建つ。3代門主慈円について得度した親鸞の剃髪が奉られているといわれる。1759年に建立され、1880年現在地に移転。ちなみに、境内の楠の巨木は親鸞の手植と伝えられている。
  • 長屋門 - 拝観入口の手前右手に建つ門で、宸殿西方の四脚門と同様、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもの。
  • 将軍塚大日堂-寺の南東、東山の山頂に位置し、青蓮院の飛び地境内となっている。桓武天皇が平城京遷都にあたり、王城鎮護のため将軍の像を埋めた所と伝え、京都市街の見晴らしがよい。ここにも庭園があり、春・秋には夜間拝観が実施される。2012年より大護摩堂建立工事が行われており2014年10月に「青龍殿」として落慶。これに併せて10月8日~12月23日まで、国宝青不動明王のご開帳と、青龍殿の一般公開が行われる。

文化財

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不動明王ニ童子像(青不動)

国宝

  • 不動明王ニ童子像-「青不動」と通称される平安時代後期の仏画。奈良国立博物館に寄託されている。園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動とともに三不動と言われている。2014年10月に将軍塚飛び地境内に大護摩堂の「青龍殿」が完成後はこちらに安置される予定である。

重要文化財

青蓮院旧蔵の重要文化財

以下は諸般の事情により、第二次大戦後に青蓮院の所有を離れた重要文化財である。[2]

  • 絹本着色普賢延命像(奈良国立博物館蔵)
  • 光厳院宸翰消息(出光美術館蔵)
  • 正親町天皇宸翰消息(広島・耕三寺蔵)
  • 陽光院筆消息(広島・耕三寺蔵)
  • 後陽成天皇宸翰消息(閏七月十七日)(個人蔵)
  • 慈円僧正消息(残欠7通)(文化庁保管)
  • 大手鑑百八十六葉(個人蔵) 
  • 伏見天皇宸翰歌集断簡(広沢切)[3]
  • 伏見天皇宸翰宝篋印陀羅尼経(大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵)
  • 後崇光院筆新続古今集(個人蔵)
  • 後桜町天皇宸翰心経百九巻(個人蔵)
  • 後桜町天皇宸翰六字名号(個人蔵)
  • 涅槃経集解 巻七十一残巻[4]
  • 法華経 化城喩品(大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵)
  • 箔散料紙法華経 方便品(大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵)
  • 別異弘願性戒鈔(広島・耕三寺蔵)

主な門主

映画と青蓮院

大正から昭和にかけて、活動写真の撮影場所として門前の構えが重宝された。見識も高い寺で、映画人が心やすく出入りすることはできなかったが、門前の撮影だけは許された。この時代の撮影謝礼金は映画館の招待券十枚程度で、当時で五円ほど、これは上等旅館の一泊料金に相当し、現在なら二万円弱というところだった。

長い石段は馬の出入りが自由にできず、考証的に不合格と言ってよかったが、この門前の厳めしさと気品が雰囲気に合い、各撮影所が「町奉行所」とか「薩摩屋敷」として多用した。

稲垣浩監督は昭和16年に阪東妻三郎主演の映画『江戸最後の日』で、薩摩屋敷としてこの門前を使った。ところがこの門前は北向きであるので冬季は門前に日が当たらず、夏季は楠が茂って門の半分を隠し太陽を遮ってしまい、しかも仰角度から狙えず、キャメラマン泣かせの場所だった。

昭和23年に清水宏監督が青蓮院に立て籠り、『蜂の巣の子たち』という映画の構想を練った。戦災孤児や不良児たちを十数人この寺に収容し、その甦生を指導しながら彼らの日常生活や生態をドキュメント風に写し撮ったのである。門前のほかは映画撮影のための入門を許さなかった青蓮院だが、当時この寺は経済的に困窮していたために相互扶助が生じたようで、実現しなかったが一時は「清水監督をこの寺の住職に」との話もあったという[5]

脚注

  1. 日本三大不動とされるものは青蓮院の青不動金剛峯寺赤不動三井寺黄不動の他に不動院岩屋堂の黒皮不動明王(黒不動)、瀧泉寺の目黒不動など諸説ある
  2. 文化財保護委員会『指定文化財総合目録 美術工芸品篇』(昭和33年版)において青蓮院の所有とされている物件を挙げた。
  3. 本物件は、1980年版『国宝・重要文化財総合目録』(文化庁編、第一法規、1980)では所有者不明の部に収録されている。
  4. 本物件は、1980年版『国宝・重要文化財総合目録』(文化庁編、第一法規、1980)では所有者不明の部に収録されている。
  5. 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)

関連項目

拝観案内

  • 9:00 - 17:00 拝観料 500円

外部リンク

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