マジカル頭脳パワー!!
テンプレート:半保護 テンプレート:複数の問題 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 マジカル頭脳パワー!!(マジカルずのうパワー)は、日本テレビ系列で1990年10月27日から1999年9月16日にかけて放送されていた番組・ゲームバラエティ番組である。
本項では特別番組『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』についても記述する。
目次
概要
1994年3月26日までは、毎週土曜日20:00 - 20:54(以下の放送時間はすべてJST)、同年4月14日以降は毎週木曜日19:54 - 20:54(正式には19:55 - 20:54、木曜日初回の1994年4月7日は19:00 - 20:54)1999年4月22日以降は同日19:58 - 20:54に変更。
最高視聴率は1996年5月2日に記録した31.6%(関東地区)[$ 1]。歴代日本テレビゴールデンタイムバラエティ番組で最も高い数字である。瞬間最高視聴率は40.9%。その後も平均20-25%を推移する怪物番組であった。
○時00分ではなく他局の番組より少し早く番組を開始する、いわゆるフライングスタートを日本のゴールデンタイムで最初に行った番組といわれる[1]。
日テレ系列の土曜20時枠でのクイズ番組は1985年10月 - 12月にあった「おもしろ人間ウォンテッド!!」以来、4年10か月ぶりとなる。
沿革
視聴率は、開始当初は、初回が7.0%、第2回が6.0%(歴代最低)、第3回が6.2%と第11回まで一桁が続いたが[2]テンプレート:Refnest、開始から5か月後の第19回(1991年3月16日放送分)では16.8%を記録テンプレート:Refnest。以後、裏番組が次々と打ち切られる中、視聴率は上昇を続けたが、東京ドームの巨人戦中継などによる放送返上がたびたび起こり視聴者からの意見が声として新聞のラテ欄に掲載されたこともあるほどの反響だった[3]。1994年4月からは、それまで木曜8時台に放送されていた『木曜スペシャル』と枠交換を行い、木曜日の放送となった(『木曜スペシャル』は『スーパースペシャル』に改称)[4]。また、木曜8時台の1時間番組になるのは1973年9月までの「木曜スペシャル」以来20年半ぶりとなる(なお、「木曜スペシャル」は同年10月から90分番組になっている)。
木曜日に移動しても番組の人気は変わらず上昇し、特に1995年 - 1996年頃は「マジカルバナナ」、「マジカルアクション伝言バトル」などの人気クイズで毎回20%以上の高視聴率を記録した。1995年5月11日放送分では視聴率が30.9%と、初の30%超えを達成した[$ 2]。1995年と1996年の4月-9月はなるべく本番組の放送回数を多くするため野球シーズン時も読売ジャイアンツの東京ドームでの試合が組まれるだけで、巨人が敵地で戦う試合の中継[5]はほとんど組まれなかった。
1996年10月10日の放送を最後に、番組の顔であった所ジョージが降板、翌年の1997年以降、「マジカルバナナ」「マジカル伝言バトル」「エラーを探せ!」などの人気クイズを次々に撤廃させた。 1999年になると1桁の視聴率に転落することまで出てきたこともあり、同年9月16日に終了した。
内容
クイズルール
解答者は、知識を問うようなものではなく、パズルや推理クイズなどで頭の柔らかさを競う。番組の構成は時期により大きく異なり、初期はほぼ全問書き問題、後期以降はクイズというよりはゲーム色の強いコーナーが中心であった。解答者の人数は当初5人であったが、その後段階的に増えていき、末期の頃には10人に増えていた。9年間の放送で全252種類のクイズ・ゲームが考案された。しかし、番組の内容が変わるたび視聴者から様々な意見が寄せられたため五味が読売新聞に番組内容を変更した趣旨等を説明した事もある[6]ほど反響も大きかった。
得点は「頭脳指数」と表され、最も多くの得点を稼いだパネラーには「トップ頭脳賞」が与えられた(マジカルミステリーツアー獲得パネラーが出た回は除く)。トップ頭脳賞の商品は、当初は万年筆など世界のステーショナリークッズで、レギュラー解答者でほとんど毎回トップを取っていた所ジョージが万年筆をコレクションとした。その後はJTBの旅行券10万円分(1993年2月 - 1995年2月)→DC(現・三菱UFJニコス)のギフトカード10万円分(1995年3月 - 4月)→日本信販(現・三菱UFJニコス)のギフトカード10万円分(1995年4月 - 1999年9月)がプレゼントされた。
さらにレギュラーの時にパネラーが1000点以上の得点を挙げた場合には、世界の七不思議「マジカルミステリーツアー」(世界一周旅行)へ招待された。
番組内コーナーの変遷
初期は芦ヶ原伸之が監修した影響が強く、スーパーコンピュータ「マジカル君」が出題をするという設定のもと早押しクイズもなく、例示されたパズルや、「マジカルミステリー劇場」を中心とした推理クイズなどの書き問題であった。1991年春からは早押しクイズ(ヒントクイズ)が登場。まだこの時は、1人が正解したら終了するという、他のクイズ番組でも行われていた標準的な形式のヒントクイズだった。視聴者の投稿クイズ(パズル)のコーナーもあり、採用された際の賞品は時価10万円の純銀パズル(タングラム)であった。 当時の早押しクイズは頭脳指数が200から時間ごとに10減り、0までとなり、正解が出るまで解答権があるが誤答だと一回休みになった(一回休みの際は、黒地に赤い字で「一回休み」と立ち上がる)。
1991年秋からは「恐怖の居残り早押しクイズ」と称したものが中心となった(ルールはマジカル頭脳パワー!!のクイズ・ゲーム#恐怖の居残り早押しクイズを参照)。この形式の代表的なクイズは「あるなしクイズ」である。1991年11月9日から1993年11月13日までの約2年間はセットの解答者席に檻が出てきたそれ以降は檻は廃止されたものの、1995年1月までこの形式のクイズは続いた(1995年3月16日の90分SPと2001年12月29日の復活SPでは、それぞれ一時復活)。視聴者の投稿クイズの賞品は、番組特製時価10万円相当の純銀製タングラム(初期~中期)、トミー(現・タカラトミー)から発売された同番組のボードゲームと「あるなしクイズ」ビデオのセット。 「恐怖の居残り早押しクイズ」になると、頭脳指数は200(途中から100)から-50となり、VTRを最後まで流すだけではなく、全員が正解するまで続くようになった。ただ檻時代は全員が正解した後に、映像を最後まで流すことがあった。また、書き時代にはマイナスポイントの概念がなかったため、マイナス表示もパネラーが手書きしたものだった。しかし、この形式になって以降、デジタル表示でマイナスを出すようになった。
1993年までは番組内で出題されるクイズは全てパネラー席で実施されていた。1994年1月8日の『大マジカル』に登場した「マジカルシャウト」はパネラー席の外で行うクイズであり、当初は「シャウト」のみパネラー席の外で行っていたが、同年秋頃に「マジカルアート」パネラー席の外で行うクイズが徐々に増え始め、末期はパネラー席で行うクイズはほとんど存在しなかった。
1995年-1996年頃には「マジカルバナナ」・「マジカルチェンジ」・「マジカルインスピレーション」など、言葉遊び、連想ゲーム、リズム系クイズが一世を風靡し、人気を集めた。また、特に長い時間を割いた「マジカル伝言バトル」(1994年-1997年)では、伝達ミスなどの面白いハプニングが毎回のように起こった。
1998年以降になるとクイズの要素は次第になくなっていき、ゲームが主体となっていった。
出演者
司会者
メイン司会者
- 板東英二(1990年10月27日(第1回) - 1999年9月16日(最終回)、2001年12月29日復活スペシャル)
- 初回から最終回まで出演した唯一の人物(2001年の復活スペシャルの直前番組では「マジカルの顔」として紹介された)。この番組ではネクタイをして出演することが多く(ネクタイをしない回もあった)、標準語でクイズの説明を行ったりパネラーの珍回答によく突っ込んでいた。
- 司会者としての他に、6チーム制時での大マジカル(本命チームが所ジョージ1人だったため)・パネラー7人体制時での「マジカルアート」にて助っ人として参加しており、積極的に答えを当てにかかっていた。
マジカル・オペレーター
- 初代(1990年10月27日(第1回) - 1992年10月10日):木村優子
- 2代目(1992年10月24日 - 1999年9月16日(最終回)):永井美奈子
- 復活SP(2001年12月29日):魚住りえ
- 3人とも出演当時は日本テレビアナウンサーだった[7]。
解答者
レギュラー解答者
- 1枠
- 司会の板東と並んで番組の顔ともいえる存在。トップ頭脳賞及びマジカルミステリーツアーの獲得回数を他の解答者より大きく引き離しており、司会の板東英二や出演者、視聴者も認める最強の解答者であった[9]。同時に「板東」VS「所」の構図が徐々に浮き彫りになり、彼らの掛け合いが、この番組を盛り上げる要因にもなった。当時の賞品であった万年筆をコレクションにし、ジャケットの裏に数え切れないほど付けて登場したこともあった[10]。また所は意図的に珍解答をし番組を盛り上げることもあった[11]。
- 居残り早押しクイズ全盛期は頭の回転力が凄まじく、1993年には、問題出題の前にボタンを押し、早々と正解させた記録もある。そのため、他の解答者が嫉んでいたのかミステリーツアーを阻止してなかなか1000点以上獲得できなかった。また普通の問題では、所ジョージの頭の良過ぎるゆえすぐに回答されてしまうことが多いため、スタッフが所ジョージ対策として考えたのが「マジカルスキャナ」や「新・立体文字クイズ」だった。制作スタッフのエピソードとしては、例えば「マジカルズーム穴うめワード」にて、所ジョージのあまりの正解の早さにスタッフの驚愕している音声が何度も電波に乗ってしまったことがある。[12]。また、初めてマジカルミステリーツアーを獲得した際は、次週放送から旅行のために2週間(2本撮りのため)番組を休んだ[13]。また、1991年11月9日放送では「タレント早押しクイズ」の出題者として登場したこともあった。視聴者からの出題クイズで得点がマイナスになってしまった場合、出題者に彼のサインが贈呈される事もあった。
- 「マジカルミステリー劇場」では、自作の板東英二人形「スーパー板ちゃん」を出して板東に突っ込まれるが、その後「世界ふしぎ発見!」から借りてきた本物のスーパーひとし君を出して、この番組のレギュラー解答者である板東を驚愕させたことがある。
- 実力の高さからか、1991年秋及び1994年正月 - 1995年春の「大マジカル」と、200回SPでは彼のみ単独で登場した。また、レギュラー放送では圧倒的な強さのため常に好成績であり、全パネラー中最下位となったのは1995年5月25日放送回の1回のみであったが、「大マジカル」では後述のハンデの影響もあって3回連続最下位となった[14]。
- 「マジカル最強の頭脳」(2001年復活SPより)と言われ、番組開始から番組を支えていた所であったが、全盛期の1996年になると「クイズをテンポよく進める」というスタッフの主張に対し、「出演者のやりとりも大事にしたい」という主張の対立が起き、1996年10月10日放送の「大マジカル」で降板することになった(当時は番組を卒業したとしていた)。
- レギュラー降板後には所曰く「板東さんに『所さん、頼むから出て』とお願いされて」1997年9月18日放送の90分SPに1度だけ出演し、1999年9月16日放送の最終回でもVTR出演した。2001年の復活スペシャルでは5年ぶりに正式に復帰し、その頭の切れは健在であった。
- 2枠
- 1991年-1992年頃、ゲスト出演した和田アキ子が2枠席につき、千堂あきほが4枠席についたことがあったが、1993年以降は和田アキ子が出演しても千堂は2枠席、和田は4枠または5枠席についていた。また、1991年-1992年の上半期に千堂が不在のときは(初期は正式なレギュラーではなかったため)蓮舫らがついていた。
- 1994年7月14日の放送で所ジョージ、俵孝太郎に次いでマジカルミステリーツアーを獲得(女性パネラーとしては初)した時は嬉しさのあまり涙した。
- レギュラーになって間もない1995年11月2日には山咲千里が2枠席につき、加藤が4枠席についたことがある。また、1996年2月1日には北野大が2枠席につき、加藤が3枠席についたこともあった。1998年11月5日からは準レギュラーとなり、加藤が出演しない回は女性ゲスト(主に中山エミリ)が2枠についた。
- レギュラーになる前は毎回珍解答を連発し、所ジョージに毎回つっこまれていた。レギュラーになった当初も珍解答を連発することがあった。
- 女性パネラーの中ではマジカルミステリーツアー獲得数は最多の3回であった。
- マル禁ワードの回数は全部で25回のワースト記録を持っており(このことで後に自らミスマル禁と称していた)、「マジカルバナナ」や「マジカルチェンジ」ではハラハラとしているため、答えた後はよく耳をふさいでいた。
- 「大マジカル」では、パネラー最多の5チームに在籍経験がある(5チーム在籍経験があるのは他にも定岡正二がいる)。
- 絶頂期時代の解答席8枠中、8枠を除く7つの解答席についたことがある(1枠は90分スペシャルにおいて所ジョージや今田耕司とペアを組んで、5~7枠はゲスト解答者で)[15]。
- 3枠
- 初期~中期の頃の知的・ご意見番的パネラー。所ジョージに次ぐトップ頭脳賞獲得回数を誇り、1992年1月18日放送回では所ジョージに次いでマジカルミステリーツアーを獲得した[16]。初期の筆記問題は自らの知識をいかしてボーナスをもらえることがよくあったが、逆に答えがわからないとあきらめて白紙回答になることがあった。また、居残り早押しクイズで最後まで正解できなかったあるいはギリギリで正解した際、「なんだ下らない(あるいはなんだバカらしい)」と言うのがお決まりだった。また、1993年9月4日放送回の「あるなしクイズ上級編」での問題が素晴らしかったのか、板東の独断で投稿した視聴者に「仁者不憂」というサインを書いたことがあった。
- 最後尾
- 基本的には最後尾であるが、後期まではゲストパネリストがグループで出場する場合は最後尾から2番目(初期は、末席がグループでなくても最後尾から2番目についたこともあった)[17]。
- 「*:レギュラー解答者の中でなかなか1000点獲得ができず[18]、他の解答者が1000点突破した際は紙吹雪に参加せずに1人だけ悔しがったということもあったが、最終回前の1999年9月9日放送では最後のゲームにおいて最初で最後の1000点を突破する快挙を達成した。
- 歴代すべてのパネラー席セット(全筆記問題時代パネラー席→檻付きパネラー席→ボックス型パネラー席→レギュラー最後のパネラー席)時期を経験した唯一のレギュラー解答者であり、解答者の中では最多出演記録を持つ。
ゲスト解答者
ゲストパネリストの解答席の位置は、4枠から最後尾の席の隣までだった[19]。1995年4月からは4枠または3枠から最後尾の席の隣まで、1998年11月からは3枠または2枠と4枠から最後尾の席の隣までだった。
- SMAP(1994年1月 - 1996年4月までほぼ隔週出演。これ以前にも何度か一部のメンバーが出演していた)
- TOKIO(1995年2月 - 1998年4月までほぼ隔週出演。SMAPが反対番のときは2人1組、V6が反対番の時は当初は2人1組、後に1人)[20]
- V6(1996年4月25日初登場、最初はほぼ隔週での出演だったが、1998年4月23日以降レギュラー[21]、年少組3人(三宅健・森田剛・岡田准一)は「Coming Century(カミセン)」、年長組3人(坂本昌行・長野博・井ノ原快彦)は「20th Century(トニセン)」としても出演。TOKIOが反対番のときはカミセン・トニセン(全員)→後にカミセン・トニセン(2人1組)→後に1人)[22][23]
歴代セット
司会者席の変遷
- 初期 - 中期前半
- 初期は板東英二がピンクやブルーをバックに(第1回のみ例外)座って司会をしており、木村優子が頭脳指数を表示するデジタルパネルをバックに座っていた。
- 1991年11月9日に居残り早押しクイズが導入されると板東が立ちながらの司会になり、司会者机も下部に赤色のLEDを表示したものに変更。このLEDの上には後に『MAGICAL ○○○○』(○は西暦)とデジタル文字(パネルではない)で表示されるようになった。また木村はグラフィカルなパネルをバックに座るようになった。1992年5月のセットチェンジの際には司会者机が大きくなっている。
- 1992年10月24日に永井美奈子がマジカル・オペレーターになると板東と同じく立ちながらやるようになった。これにより頭脳指数を表示するデジタルパネルが廃止された。また1993年6月12日と1993年10月9日に司会者席のバックがタワーを模したバックに変更されている。
- 中期後半 - 後期
- 1994年10月13日からは司会者机と司会者席のバックがフルモデルチェンジされた(バックは目を模したセットである)。
- 1997年10月16日からは「マジカルブランコ」のセットのスペースを空けるために司会者席のバックが無くなる。
- 末期
- 1998年7月30日からのセットチェンジの際に、司会者席の場所が今までと逆になった。また、司会者机がさらにフルモデルチェンジされ、LEDが緑色に変わり、その上には『MAGICAL』とゴシック体で表示するだけになった。司会者席のバックもフルモデルチェンジされ、モニターセットが設けられた。
- 復活スペシャル
- 2001年12月29日の復活スペシャルでは板東英二と魚住りえの司会者席のバックは、1994年10月13日 - 1997年10月9日の2001年12月29日バージョンで、司会者机のセットは1994年10月13日 - 1999年9月9日の2001年12月29日バージョンだった。
解答席の変遷
- 番組放送開始から1992年4月18日放送分までは5席、以降放送回が進むごとに解答者席が増えていき、番組終了時は10席だった。
- 解答席の色は1枠■青、2枠■黄緑、3枠■ピンク、4枠■水色、5枠■黄色、6枠■オレンジ、7枠■紫、8枠■朱色、9枠■赤、10枠■緑。なお、9枠以降は8枠までの解答席の枠順が全く逆になった後増設されたものである(後述)。また1997年1月30日・2月6日放送分は3枠■水色、4枠■ピンクで、1995年3月16日・1997年4月17日・24日・5月8日・6月12日放送分は4枠■黄色、5枠■水色と入れ替わっていた。放送開始から檻が出てくる1991年11月以前は4枠は■黄色、5枠は■青緑とそれ以降と逆。
- 初代(1990年10月27日 - 1991年11月2日)
- 解答席の下に筆記問題解答用のモニターが装備されており、バックは黒(正解したときは赤に変わる)で白字で表示される。解答者を映すとモニターが見えないため、視聴者には解答を書いたモニター画面がテロップで表示される。解答席上部とネームプレート上部には青いランプがあったが、1991年5月25日放送分からネームプレート上部の青いランプが赤いランプとなって、早押しの解答ランプとして使用される。解答席後部の得点板の両横にはピンクのランプ、得点板の下には横に細長い赤いランプが12本あり、正解すると点滅していた。ネームプレートは黒地に白で名前が書かれており、名前の下にローマ字表記がなされている(第1回のみ白地に黒でローマ字表記はなし)。
- 2代目(1991年11月9日 - 1993年11月13日)
- 解答席に居残り早押しクイズで使う電動で動く檻とヘッドホンが装備され、ヘッドホンは解答席の後ろにあるホルダーに引っ掛ける。また、居残り早押しでは起立している、檻が閉まっているため解答席のボタンでは押しにくいので、手で握るタイプの早押しボタンとなっており、使用しない時はヘッドホンホルダーの近くのホルダーに引っ掛ける。解答席後部の得点板の下に赤いランプ(早押しの解答ランプも兼ねている)、赤いランプの下に横に細長いランプが6本あり、正解すると点灯・点滅していた。筆記問題用の解答モニターもあったが、1992年4月18日に筆記問題がなくなり、1992年5月9日に6枠に増設されるとモニター部分が「MAGICAL roulette system」と書かれた赤い早押しランプに変わり(1992年7月4日放送分のみ5枠)、あるなしクイズ上級編で正解すると解答席が電動で前に動き、解答者が解答席から司会者席に移動していた[29]。早押しランプは1993年5月に形が変わり、「roulette system」の文字が消え、「MAGICAL」のみになった。
- 1992年2月1日放送分から、メインの得点板の上部にもう1つ得点板が設置された。これは居残り早押しクイズで、解答者が立っているとメインの得点板が見にくいため設置されたもので、クイズ開始時に上部の得点板に得点を表示、正解すると上部の得点板で得点が加点・減点され、メインの得点板に表示される。また、上部の得点板の上部に18個の豆電球が並んでおり、早押しランプの役割となっていたが、解答モニターがなくなった頃からは、得点板上部の周りに緑色のランプが点灯するようになり、正解すると点灯、早押しでは解答ランプとなっているが、イラつき早押しマジカルスキャナでは、本来早押しボタンを押した解答者に緑色のランプが点灯した。
- 1993年10月30日と11月13日放送分は、檻付きの解答席で7枠という珍しい形態であった。これは視聴者代表小学生枠を設けるためである。
- 3代目(1993年12月4日 - 1998年7月23日)
- 大幅にセットチェンジされ、解答ボックスが電動で上下に動くタイプになった。居残り早押しクイズで正解すると解答ボックスが上がり、マイク付きヘッドホンは解答ボックスの下に引っ掛けるようになっていた。ネームプレートは日本語表記のフルネームのみになった。このセットは1998年7月23日放送分までとおよそ4年半にわたって続くことになった。
- 居残り早押しクイズが廃止されるとヘッドホンがなくなり、それと交替する形で「マジカルバナナ」等のリズム系クイズが登場されてからは解答ボックスにマイクが付いた。リズム系クイズでアウトになると解答ボックスが上がる状態になっていた。また、1996年7月4日放送分からはパネラー席の色に合わせたランプが得点板の上に装備される。このランプは「超瞬間お手上げクイズ」のときには手を上げるとランプが赤く光り、一目で手を上げたか上げなかったかを判断できるようになった。パネラーが座るイスは7枠時代は青いソファーであったが、1995年1月19日放送分に8席に増設されてから普通のイスになった(8枠が初登場した1994年12月22日放送分の90分SPでは8枠でも青いソファー)。
- 解答ボックスのネームプレートの下には赤いランプがあり、早押しクイズでは解答ランプとして、くっつきバトルロイヤル・リズム系クイズでは解答権のある解答者を示すランプとして点灯していた。得点板の周りには緑色のランプ、得点板の下に3色LED式のパネル、パネルの下に細長いランプが6本あり、正解・勝ち残るとランプは点灯・点滅、パネルもグラフィカルな点滅をする。
- このLEDはオープニングは緑色のバックに赤色で当番組のシンボルマークが表示されたり、【MAGICAL】とスロットのように順番に表示されたり、1~7枠で一文字ずつ「M」「A」「G」「I」「C」「A」「L」と表示されていた(8枠増設後はシンボルのMマークで固定)表示回答中は赤色をバックに橙色で左右のテンプレート:Colorsテンプレート:Colorsが上に上がる表示をし、居残り早押しクイズで正解したり、リズム系・勝ち残りクイズで最後まで勝ち残ると緑をバックに赤と橙色で○が表示されたり(「超瞬間○×クイズ」の時には○と回答したときのみ黒をバックに赤一色のテンプレート:Colorsだった)、逆に居残り早押しクイズで不正解だったり、リズム系・勝ち残りクイズで失格になったりすると黒をバックに赤一色でテンプレート:Colorsと大きく表示され、パネラー席で行わないクイズの場合は緑をバックに橙色の波のような線(テンプレート:Colors)が右から左へ流れるように表示するなどさまざまな演出があった。
- 4代目(1998年7月30日 - 1999年9月9日)
- 5代目(2001年復活スペシャル)
- 2001年12月29日の復活SPでは3代目を模したセットをモチーフにしており、解答者席の後部はLCD液晶ディスプレイに変わった。クイズの正解、マジカルチェンジなどの勝利時には黄緑をバックに赤い縁取りのテンプレート:Colorsが表示された。更に数多くの小さな黄色のテンプレート:Colorが近づくようになった。不正解、アウト時には黒をバックに黄色のテンプレート:Colorsが表示され、さらに数多くの水色の小さなテンプレート:Colorが回転するように演出された。マル禁ワードでマイナス50点の場合は紫をバックに赤のテンプレート:Colorsが表示され、「禁」文字が左右に揺れていた。その他の場合は水色をバックに当番組のシンボルマークが表示される。
- 番組初期は、スペシャル『大マジカル頭脳パワー!!』で各チーム代表者による早押しの時など、パネラーの解答が正解、不正解に関わらず流されていたが、後年は正解に限り、口元を「ナイショ」の文字で隠し、効果音で解答者の声を消すシステムになった。
- 『大マジカルスペシャル』時はレギュラー全期間・2001年の復活SPの全てひな壇上の回答席にパネラーが座っており、チーム中1人が参加する個人戦時のみ、通常のセットを使用していた。個人戦用の通常セットのネームプレートにはチーム名が書かれていた。
大マジカルスペシャル
- 初代
- 2代目
- 3代目
- 4代目
- 5代目
解答席の変遷順
レギュラー放送の席
スペシャル放送の席
ヘッドホンの色
- 1991年11月9日 - 1993年11月13日:黒
- 1993年12月4日 - 1995年3月16日:水色・赤・緑・黄・オレンジ・ピンク・黄緑(水色と黄と赤は2個)
- 2001年12月29日:銀
- 1993年12月以降はパネラー席と同じヘッドホン、マイク付きヘッドホンでもある。
スペシャル
大マジカル頭脳パワー!!スペシャル
春や秋・年末年始にはスペシャル版『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』が放送されていた。
- 通常時と異なり、スペシャルではチーム戦となる。参加チームは最初6チームだったが、1991年秋と1993年秋のスペシャルは7チーム、1995年春のスペシャルから8チームに増えた。
- 最初はチームは3人1組でチーム名はメンバーに合わせたネーミングだったが[34]、1994年から「本命」「対抗」「名門」「絶好調」「一発逆転」「大穴」という競馬用語のようなチーム名になり、同時にチーム名も成績別編成になって人数がチームごとに異なるようになり、「本命」チームは所ジョージ1人だけということもあった。このハンデは大きく、レギュラーでは屈指の強さを誇る彼も成績別編成になってからの『大マジカル』で優勝したのは復活スペシャルも含めて2回[35]だけである。また、珍回答を連発していた松村邦洋が「本命」チームに入ったことも大きいといわれている(所・松村の2人だけのチームになる前の1993年春の大マジカルでも3人1組の「桜」チームで同じチームになっていた。実際、所・松村が「本命」チームで優勝したのは2001年の復活スペシャルのときのみである)。なお、1995年春からは、これに「一番人気」と「要注意」が増え、8チームになった。
- 1997年になるとどのチームも3-4人に固定されるようになった。ただし、一番人気チームは5人以上の回もあった。一番人気チームは毎回SMAP、TOKIO、V6とジャニーズ事務所所属のタレントで構成されていた(回によって全員出演する回と数名欠席している回がある)。
- なお、一番人気チームは2001年の復活スペシャルでは「絶好調」チームとなっており、ジャニーズ枠が撤廃されている。また、絶好調チームのあった5席目は「気合十分」チームとなっていた。また、6番目と7番目の「要注意」チームと「一発逆転」チームも入れ替わっていた。
- 書き問題の解答は通常、バックは黒・白字で表示されるが、スペシャルの場合のみ水色バックに黒字で表示された。
- 優勝チームには優勝賞金として100万円が渡された。ただし、初期ではメンバー全員で割り切れるように数円の端数(1,000,002円、1,000,005円など)があった。また、2チームが並んで優勝したことが数回あったが、その場合は決勝戦は行わず、両チームに100万円ずつ渡された。また、1997年春は優勝賞金が200万円であった。
- 『大マジカル頭脳パワー!!』の放送時間は通常は120分(19:00 - 20:54)だが、中期から後期にかけては150分(18:30 - 20:54または19:00 - 21:24)が11回あり、1回だけ90分(19:54 - 21:24)もあった。
歴代優勝チーム
タイトル | 放送日 | 優勝チーム | 得点 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
第1回 | 大マジカル頭脳パワー‼ スペシャル MAGICAL SPECIAL 1991 SPR |
1991年3月30日 19:00 - 20:54 |
ヒロイン・チーム (森尾由美・杉本彩・千堂あきほ) |
990点 | |
第2回 | 大マジカル頭脳パワー‼ スペシャルII MAGICAL SPECIAL 1991 FALL |
1991年10月12日 19:00 - 20:54 |
所ジョージチーム (所ジョージ) |
1140点 | |
第3回 | 大マジカル頭脳パワー‼ スペシャルIII THE 3rd MAGICAL SPECIAL |
1991年12月28日 18:30 - 20:54 |
マジカルチーム (所ジョージ・高田純次・ラサール石井) |
2120点 |
|
第4回 | 大マジカル頭脳パワー‼ スペシャルIV THE 4th MAGICAL SPECIAL |
1992年4月11日 19:00 - 20:54 |
一文字チーム (所ジョージ・間寛平・東ちづる) |
1510点 | |
第5回 | 大マジカル頭脳パワー‼ スペシャルV THE 5th MAGICAL SPECIAL |
1992年10月3日 19:00 - 20:54 |
独身モテモテチーム (川合俊一・諸星和己・千堂あきほ) |
1590点 | |
第6回 | マジカル頭脳パワー‼ 超大お年玉スペシャル THE 6th MAGICAL SPECIAL |
1993年1月2日 18:30 - 20:54 |
梅チーム (千堂あきほ・村野武憲・高木ブー) |
1822点 | |
第7回 | マジカル頭脳パワー‼ めちゃ超大スペシャル THE 7th MAGICAL SPECIAL |
1993年4月3日 18:30 - 20:54 |
あざみチーム (桑野信義・大澄賢也・小柳ルミ子) |
1670点 | |
第8回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 超進化クイズ誕生スペシャル THE 8th MAGICAL SPECIAL |
1993年10月9日 18:30 - 20:54 |
40代チーム (小柳ルミ子・間寛平・高田純次) |
1620点 | |
第9回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 超激烈バトルロイヤル スペシャルターボ‼ THE 9th MAGICAL SPECIAL |
1994年1月8日 19:00 - 20:54 |
対抗チーム (ラサール石井・千堂あきほ) |
1840点 |
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第10回 | 大マジカル頭脳パワー‼ バトル王スペシャル THE 10th MAGICAL SPECIAL |
1994年4月7日 19:00 - 20:54 |
一発逆転チーム (間寛平・そのまんま東・早坂好恵・麻木久仁子・マルシア) |
2190点 | |
第11回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 新バトル王スペシャル THE 10th MAGICAL SPECIAL |
1994年10月13日 19:00 - 20:54 |
名門チーム (山咲千里・北野大・麻木久仁子) 一発逆転チーム (森口博子・酒井法子・早坂好恵・川合俊一・飯島愛) |
2200点 | |
第12回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 決定!1994芸能界最強 バトル王スペシャル THE 12th MAGICAL SPECIAL |
1994年12月29日 18:30 - 20:54 |
本命チーム (所ジョージ) |
1830点 |
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第13回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 今世紀最強! クイズの王様スペシャル‼ THE 13th MAGICAL SPECIAL |
1995年4月6日 19:00 - 20:54 |
対抗チーム (千堂あきほ・今田耕司・東野幸治) 一番人気チーム (SMAP【中居正広・木村拓哉・香取慎吾・森且行】) |
2160点 |
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第14回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 20世紀クイズ番組史上最強! 最高!最新のスペシャル THE 14th MAGICAL SPECIAL |
1995年10月12日 19:00 - 21:24 |
要注意チーム (風見しんご・飯島愛・加藤紀子・早坂好恵) |
2260点 |
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第15回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 1995年クイズ番組No.1 超(秘)の最新型クイズが いっぱいスペシャル‼ THE 15th MAGICAL SPECIAL |
1995年12月28日 19:00 - 21:24 |
一番人気チーム (SMAP【木村拓哉・香取慎吾・草彅剛・稲垣吾郎・森且行】) |
2530点 | |
第16回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 今年はこれが流行する (秘)最新型クイズ 見逃せないぞ‼スペシャル THE 16th MAGICAL SPECIAL |
1996年4月11日 19:00 - 21:24 |
要注意チーム (風見しんご・飯島愛・早坂好恵) |
2210点 | |
第17回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 視聴率の限界に挑戦! 今夜しか見られない (秘)珍クイズスペシャル THE 17th MAGICAL SPECIAL |
1996年10月10日 19:00 - 21:24 |
要注意チーム (風見しんご・早坂好恵・荻野目洋子) |
2490点 |
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第18回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 今年はコレが大流行‼ 初登場おもしろクイズで 大新年会スペシャル THE 18th MAGICAL SPECIAL |
1997年1月9日 19:00 - 21:24 |
本命チーム (今田耕司・加藤紀子・清水圭) |
2250点 | |
第19回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 春だ!みんなウキウキ おもしろ最新クイズで 楽しもうスペシャル‼ THE 19th MAGICAL SPECIAL |
1997年4月3日 19:00 - 21:24 |
本命チーム (今田耕司・加藤紀子・清水圭) |
2640点 | |
第20回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 超おもしろ新クイズ& 新ゲームがいっぱい スペシャル! THE 20th MAGICAL SPECIAL |
1997年10月9日 19:00 - 20:54 |
名門チーム (ラサール石井・北野大・麻木久仁子) |
2070点 | |
第21回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 今年はコレが大流行‼ 最新ゲーム&クイズで 大新年会スペシャル THE 21st MAGICAL SPECIAL |
1998年1月8日 19:00 - 20:54 |
対抗チーム (ラサール石井・風見しんご・西田ひかる) |
1880点 | |
第22回 | 大マジカル頭脳パワー‼ 春だ!みんなワクワク 最新ゲームとクイズで 楽しもうスペシャル‼ THE 22nd MAGICAL SPECIAL |
1998年4月2日 19:00 - 20:54 |
一番人気チーム (TOKIO【松岡昌宏・山口達也・国分太一・城島茂】) |
1950点 | |
第23回 | 大マジカル頭脳パワー‼ あの有名人がこ~んなことまで しちゃうぞ!超(秘)(秘)(秘) スペシャル‼ THE 23rd MAGICAL SPECIAL |
1998年10月22日 19:00 - 20:54 |
一番人気チーム (TOKIO【長瀬智也・松岡昌宏・山口達也・国分太一・城島茂】) |
2510点 | |
第24回 | 大マジカル頭脳パワー‼ あなたは超クイズに 必ず3回ひっかかるぞ スペシャル‼ THE 24th MAGICAL SPECIAL |
1999年1月7日 19:54 - 21:24 |
対抗チーム (ラサール石井・中山エミリ・山咲千里) |
1450点 | |
第25回 | 20世紀のクイズ名場面 そして今夜だけ大復活 マジカル頭脳パワー‼ 21世紀芸能界No.1頭脳 決定戦スペシャル MAGICAL SPECIAL 2001 |
2001年12月29日 18:30 - 20:54 |
本命チーム (所ジョージ・松村邦洋) |
1690点 |
あるなしスペシャル
1992年に放送された、あるなしクイズをメインとしたスペシャル。「大マジカル」以外の初のスペシャルでもある。このときは2チーム対抗戦で、スペシャル限定の巨大檻が登場した。
- 1992年8月15日 『マジカル頭脳パワー!! あるなし夏休みスペシャル』
- 「所チーム」対「板東チーム」での対抗戦。板東英二が初めてクイズに解答した。
- 優勝商品はは賞金199万9,998円。
- 1992年10月10日 『マジカル頭脳パワー!! 紅白あるなしスペシャル』
- 紅組(リーダー:和田アキ子)対白組(リーダー:所ジョージ)による男女対抗戦。
- 優勝賞品は松茸100万円分。
- 初代マジカル・オペレーターの木村優子が出演した最後の回。また、問題VTRをストップせずに正解シーンをワイプ映像とテロップのみで処理した、所謂「スキップ方式」が初登場したのもこの回であった。
勝利チームは夏は所チーム・秋は白組と、いずれも所ジョージが所属するチームの勝利に終わっている。
90分スペシャル
この時は2000点突破でマジカルミステリーツアーにご招待というルール。全体のセットはレギュラー放送と同じだが、放送時期に合わせた小道具などが使われている。
- マジカル初の90分スペシャル。セットは全体的にクリスマス仕様で、司会者机の表記もクリスマス仕立て。
- この回で8枠が初登場。
- 「マジカルインスピレーション」がこの回で初登場。
- 「おぼえてしりとりバトル」がこの回で初登場。
- 俵孝太郎がレギュラーとして最後の出演。
- 歴代スペシャル視聴率1位だった回。
- 「マジカルジグゾー」がこの回で初登場したが1回で終了。
- 「居残り早押し」のVTRクイズと「マジカルアクション伝言バトル」などのゲームが混じった回。
- 1995年9月21日 『マジカル頭脳パワー!! 200回記念! 大感謝!! スペシャル!!』THE 200th ANNIVERSARY SPECIAL
- この回から2人1チームの6チーム制。ただし所ジョージはこの回のみ単独。
- この回では珍しく、間寛平が2枠(ペアの相手は2枠レギュラーの千堂あきほ)、北野大が6枠(ペアの相手は定岡正二)についていた。
- トップ頭脳賞はこの回から日本信販のギフトカード20万円分。
- 『200回記念』と記されているが、実際は200回目ではない。
- 「超インスピシャウト」がこの回で初登場。
- 「マジカルイマジネーション」がこの回で初登場。
- 1995年12月14日 『マジカル頭脳パワー!! 超お楽しみクリスマススペシャル』MAGICAL CHRISTMAS SPECIAL
- この回から2000点突破すると「ペアで」マジカルミステリーツアーにご招待。
- 前年同様、セットはクリスマス仕様。
- 「スペシャルバナナ」がこの回で初登場。
- 「マジカルクラップ」がこの回で初登場。
- 「マジカルインスピアート」がこの回で初登場。
- この回から2人1チームの8チーム制になる。ただし8枠のTOKIOのみ5人1チーム。
- 「マジカルカード」がこの回で初登場。
- 定岡正二はスケジュールの都合上、途中で退席した。
- 1996年9月19日 『マジカル頭脳パワー!! この秋大流行㊙最新型クイズ見逃せないぞ!!スペシャル』MAGICAL 90minute SPECIAL 1996 fall.
- 「マジカルプッシュ知らなきゃ押しつけろ!!」がこの回で初登場。
- 「マジカルジャンケン」がこの回で初登場。
- 「マジカル連想伝言バトル」がこの回で初登場。
- 永井美奈子が日本テレビアナウンサーとして最後の出演。
- 1996年12月19日 『マジカル頭脳パワー!! 家族みんなでお楽しみクリスマススペシャル』MAGICAL CHRISTMAS SPECIAL
- 「マジカル裏バナナ」がこの回で初登場。
- 「マジカルラッパ伝言バトル」がこの回で初登場。
- 「マジカルテン こえたらドボン!!」がこの回で初登場したが1回で終了。
- 事実上最後の90分スペシャル。
- 「マジカル笑って何ホーン」がこの回で初登場。
- 「マジカルタイム」がこの回で初登場。
- 「マジカルぞうさん」がこの回で初登場。
- 「ものまねワンダーランド」がこの回で初登場。
- 「マジカルカラーアート伝言バトル」がこの回で初登場したが1回で終了。
- この回で「伝言バトル」「マジカルインスピレーション」「マジカルプッシュ」など、長い間続いてきたクイズが多く終了した。
- 約1年ぶりに所ジョージがゲストとして登場。ただしレギュラー時の1枠ではなくゲスト扱いで8枠で本命チームでチームを組んでいた松村邦洋とペアでクイズに臨んだ。
その他のスペシャル
- レギュラー放送特別ルール
- 放送時間が通常でも、特別ルールで放送された回があった。1994年4月14日放送回(木曜に移転して最初のレギュラー放送で、かつレギュラー100回を突破した回)では、トップ頭脳賞はいつもの倍のJTB旅行券20万円分、マジカルミステリーツアーはペアで招待という特別ルールで放送されていた。1997年7月10日放送回ではレギュラー放送にもかかわらずペア戦があった(8枠のMAXは4人1グループ)。
- 木曜スペシャル 史上最強クイズ番組決定戦 クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! VSマジカル頭脳パワー!! 夢の対決!!
- 1993年5月20日に放送。当時、逸見政孝と渡辺正行が司会を担当していた同じ日本テレビ系の看板クイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』チームとの対決特番。両番組の司会者・出演者・セット・問題が登場し(ただし得点システムは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で使われた「ショーバイマネー」で、単位は「萬」であった)、永井美奈子が初めてクイズに挑戦している。もともと両番組は後述する「スーパークイズスペシャル」などで番組同士で交流があったために実現したものであった。このときに負けた番組の司会者が勝った番組に解答者として出演するという賭けをしていた。結果は『マジカル頭脳パワー!!』チームが勝利し、同年7月3日に放送された『マジカル頭脳パワー!!』に逸見が解答者として登場した。
- スーパークイズスペシャル(1996年秋までは『クイズスーパースペシャル』)
- 春と秋の改編期に行われた、日本テレビの番組対抗スペシャル番組。通称「4時間クイズスーパースペシャル」。日本テレビのさまざまな番組から問題が出題され、その中に『マジカル頭脳パワー!!』からのクイズもあった。当初は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をメインとした内容だったが、1995年からは『マジカル頭脳パワー!!』がメインとなった。
- 最終回スペシャル
- 最終回となった1999年9月16日放送分では、人気が高かったクイズ上位20種類を発表する「マジカル人気クイズランキングベスト20」や過去の名珍場面で9年間を振り返った(クイズは出題されなかった)。また、1996年10月10日にレギュラーを降板していた所ジョージが『スーパークイズスペシャル』の収録の休憩時間に「いじわる実験室」で過去に出題された問題に挑戦したVTRも放送された(スタッフは所にもっとたくさんの問題を用意していたようだが、所は「こりゃ、まいった。」という感想を残して途中でスタジオから退出していったため、用意した全ての問題を出題することはできなかった)。また、同じく1995年10月12日にレギュラーを卒業していた千堂あきほも4年ぶりに出演した。なお、スペシャルと題されているが放送時間は通常通りの約1時間であった。出演者は下記の通り。
- 司会 板東英二・永井美奈子
- 歴代レギュラー解答者の中から出演 所ジョージ(上記の通りVTR出演)・今田耕司・田中律子・千堂あきほ・加藤紀子・間寛平・V6
- 歴代ゲスト解答者の中から出演 西田ひかる・山咲千里・中山エミリ・久本雅美・ラサール石井・江川卓・森口博子・風見しんご・松村邦洋
最終回で発表されたマジカル人気クイズランキングベスト20は以下の通り。全盛期のものがトップ3に入ったが、末期に行われたゲームが上位に多くランクインする一方、初期の書き問題および居残り早押しクイズは少なかった。
第1位 | マジカルバナナ |
---|---|
第2位 | マジカル伝言バトル |
第3位 | マジカルシャウト |
第4位 | あるなしクイズ |
第5位 | エラーを探せ! |
第6位 | マジカル超ぴったり |
第7位 | マジカルポーズ・何が落ちた? |
第8位 | マジカル可能?不可能? |
第9位 | マジカルイマジネーション |
第10位 | マジカルミステリー劇場 |
第11位 | さかさま指令 |
第12位 | 有名人を探せ! |
第13位 | マジカルものまね動物園 |
第14位 | シャッフルクイズ |
第15位 | マジカルメリーゴーラウンド |
第16位 | いじわる実験室 |
第17位 | マジカルスキャナ |
第18位 | マジカルインスピレーション |
第19位 | マジカルチェンジ |
第20位 | 立体文字クイズ |
- スーパースペシャル2001 マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル!! MAGICAL SPECIAL 2001
- 番組終了から2年3カ月ほど経った2001年12月29日、本番組の復活スペシャルが放送された。前半30分間には『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー!!』など20世紀中に日本テレビで放送されたクイズの名場面を振り返るシーンもあった。マジカルオペレーターは魚住りえが担当。また、セットもこの回のために新しく作られた。当時フランスに語学留学していた加藤紀子もこの日のために一時帰国した。
- クイズは全盛期の内容が多かったが、「あるなしクイズ」(2問)・「立体文字クイズ」・「マジカルスキャナ」の3つの人気居残り早押しクイズもあった。チームはレギュラー時代同様8チームだったが、「一番人気」チームは「気合十分」チームに変わり、絶好調チームのあった5席目に付いた(絶好調チームは一番人気チームのあった3席目に移動)。クイズルールはレギュラー時代と同じだったが、ルールがレギュラー時代途中で変わったものは新旧ルールが混在し、「マジカルスキャナ」は以前の映像のみで、3Dデジタイザーがなく(1994年春までのルールを採用)、サーモグラフィの代わりに、物体を潰すローラ車が、「立体文字クイズ」は高速回転しない旧タイプ、「マジカルプッシュ」はゴング後の文章は「…ではなく」調ではなく(1997年夏までのルールを採用)、「マジカルシャウト」ではトーナメント制度が復活するなどリニューアル前の内容があった一方(1996年秋までのルールを採用)、「エラーを探せ!」ではエラーの数は5個(ただし上下ではなく左右で、1994年新春スペシャルでも左右のエラーがあった)。「シャッフルクイズ」が「マジカルシャウト」の問題に移行するなどリニューアル後の内容だったクイズもあった(一部のクイズを除き、1995年秋から1997年春にかけてのルールを採用していた。その期間内にリニューアルされたクイズは後期のルールを採用することが多かった。「マジカルバナナ」「マジカルチェンジ」におけるマル禁ワードなど)。所ジョージの頭の切れのよさも健在であり、同じく本命チームに属していた松村邦洋にとっては初めての優勝となった。復活スペシャルではあるが、『大マジカル頭脳パワー!!スペシャル』に数えられることもある。
番組終了後
- レギュラー放送終了後は、2001年12月29日には復活スペシャルとして『マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル!!』が放送された。後述のスペシャルの項を参照。
- 2005年8月28日放送の『24時間テレビ28 「愛は地球を救う」』の「懐かしの名番組 夜の同窓会スペシャル」内で10分間程度生放送され(この番組内でSMAPの出演シーンも放送)、レギュラーであった間寛平が1枠の青席、この回のメインパーソナリティーを務めていたSMAPの草彅剛が5枠の紫席、司会者であった板東英二も6枠の赤席につきクイズに参加した。内容は「マジカルバナナ」で司会は爆笑問題(1997年10月9日放送の『大マジカル』に出演したことがある)。セットも簡易ながら当時のセットを思い出させるものであった。
- 2009年8月10日放送の『しゃべくり007』で当番組の司会者だった板東英二がゲスト出演し、板東の司会で「マジカルバナナ」・「マジカルチェンジ」が一瞬だけ復活した(「マジカルチェンジ」の時には板東がリズムを忘れるというハプニングもあり、板東自身、「おじいちゃんとおばあちゃんのリハビリにいいかも」と発言した)。
- 2010年以降の『小中学校教科書クイズ』では、本番組のコーナーだった「映像シャウト」と「三択問題」を一部形式を変えたものの、ほぼ「マジカル」と同じ形で放送されている。
- 2012年1月1日放送の『嵐にしやがれ 新春2時間半スペシャル』内のコーナー企画として、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』と共に当番組が復活放送された(司会進行は板東英二と中山秀征)。『SHOW by ショーバイ!!』からは「何を作っているのでしょうか?」と「何と言っているのでしょうか?」、『マジカル頭脳パワー!!』からは「マジカルバナナ」と「早押しエラーを探せ!」がそれぞれ出題された)。
- また、同年7月31日に行われたIR説明会にて、10月期の番組改編として木曜19時枠に「『マジカル』のDNAを活かしたファミリー向け番組」『マジカルグランプリ(仮題)』を開始させると発表[$ 3]。8月27日に番組名が『快脳!マジかるハテナ』となることが明らかになった[$ 4]。番組は従来のマジカルの内容を受け継ぎ、現代のテレビ事情に合わせてスマートフォンのアプリ開発や番組に連動したデータ放送を展開している[$ 5]。こちらの『快脳!マジかるハテナ』は、2012年10月25日より同局で放送開始されたが、初回の視聴率が8.8%となり、その後も視聴率が1桁だった日が多かった為、2013年8月15日で終了した。
クイズ・ゲーム
全部で252種類のクイズ・ゲームが開発された。1回登場しただけで終わったものから数年間続いたものまであり、クイズ・ゲームの種類も多岐にわたった。
スタッフ
マジカルミステリー劇場のスタッフはマジカル頭脳パワー!!のクイズ・ゲーム#マジカルミステリー劇場を参照
- 企画・総合演出:五味一男
- 演出:小杉善信(1990年10月 - 1994年3月)
- 構成:豊村剛、新田英生、妹尾匡夫、花輪如一、そーたに/今村良樹、森和盛、長田聖一郎、西条昇、内海邦一、川野将一、兼上頼正ほか
- 問題作成:雅孝司(初期時代)、オフィスゲイム、writers office、ペンハウス、*D N P
- 問題監修:多湖輝、芦ヶ原伸之、小野寺紳(いずれも初期時代のみ)
- ナレーター:森功至、来宮良子、小林清志、村嶋亜矢香
- タイトル:檜垣紀六(木曜日時代と2001年復活SPともにエンディングクレジットに表記なし)
- 問題CG:高岡温(初期時代のみ)、Wahaha company
- 技術(1990年10月(第1回) - 1997年9月にはTP、1997年10月 - 1999年9月(最終回)にはTMと表記):加田直彦、関真久、田中元一、宮下英俊、新開宏
- SW:鈴木博、新開宏、内山久光、富沢義明、高梨正利
- カメラ:秋山真、小宮佑一、渕野祐輔、宇野直樹、宮本幸夫、武石典之、当木雅人、大橋英昭
- 音声:小川洋文、柏崎芳則、大島康彦
- PA:辻直哉
- 照明:関真久、細川登喜二、橋本昇、坂口尚真
- 調整:牧野和侑、坂本誠二、九里隆雄、守屋誠一、佐久間治雄、大沼成康/貫井克次郎、佐藤満
- ロケ技術:ティ・ピー・ブレーン
- 美術:荒井亜和、浜野璋彦、石川啓一郎、中原晃一
- デザイン:中野嘉一郎、磯村英俊、渡辺俊孝
- 編集:清水良浩・佐藤敦哉・瀧川賢一・阿部芳三(麻布プラザ)
- MA:迫久美雄・山本晋(麻布プラザ)
- 音効:佐藤僖純・寺尾崇(佳夢音)
- TK:鈴木茂子、桐原千春、福井淳子、浜川久美、伊藤千春
- 広報:辻澄子、河村良子、阿部真一郎
- デスク:鳩谷真理、宮内由紀子、山田美夏、清水美名
- 制作進行:小森節子、朝倉康晴、相澤英里
- AD:中村靖、平敢夫、早坂憲次、島本眞也、杉本憲隆 / 上田敏之、島袋みさと/小江翼、馬場誠、栗山敏弘、井上公志、上田成純、吉田勉、佐々竜太郎、河野雄一、土井一真
- ディレクター:松井昂史、舟澤謙二、佐野譲顕、磯野太 / 鈴木豊人、小沢太郎、瓜生健、中西健、石尾純、小林正純、長澤快之
- プロデューサー:渡辺弘(日本テレビ)、菅原正豊(ハウフルス) / 佐野譲顕・面高直子(日本テレビ)、新国誠・日原直子(ハウフルス)
- チーフプロデューサー:渡辺弘、吉岡正敏、佐野譲顕
- 技術協力:NTV映像センター
- 美術協力:日本テレビアート
- 事務所協力:オフィスメイワーク
- 制作協力:フルハウスTVP→ハウフルス
- 製作著作:日本テレビ
エンディングテーマ
- 1990年10月27日 - 1991年[[3月30日|テンプレート:03月30日]] 『きりがない』(セメントミキサーズ) テンプレート:Refnest
- 1991年[[4月20日|テンプレート:04月20日]] - 1992年[[1月25日|テンプレート:01月25日]] 『不思議ね…』(ZARD)テンプレート:Refnest
- 1992年[[2月1日|テンプレート:02月テンプレート:01日]] - 1992年10月10日 『誰かが待ってる』(ZARD) [36]テンプレート:Refnestテンプレート:Refnest
- 1992年10月24日 - 1993年[[9月4日|テンプレート:09月テンプレート:04日]] 『君にTRY AGAIN』(BLUE ANGEL)
- 1993年[[10月9日|10月テンプレート:09日]] - 1994年[[3月26日|テンプレート:03月26日]] 『暗闇から手を伸ばせ』(小沢健二)
- 1994年[[4月7日|テンプレート:04月テンプレート:07日]] - 1994年[[9月22日|テンプレート:09月22日]] 『LIMIT』(横山輝一)
- 1994年10月13日 - 1995年[[3月16日|テンプレート:03月16日]] 『CRAZY FUNKY DOWN』(林田健司)
- 1995年[[4月6日|テンプレート:04月テンプレート:06日]] - 1995年[[9月14日|テンプレート:09月14日]] 『虹 (Mojo Mix)』(電気グルーヴ)
1995年10月12日以降は週代わりで洋楽のヒット曲を流していた(『I Was Born to Love You』(Queen)など)。 テンプレート:Reflist
効果音
得点の入る時の効果音は、山瀬まみの曲の「芸能人様のお悩み」の終わりの部分を使用していたが、今田耕司がレギュラーになった後期と2001年復活SPでは少し手を加えアレンジした。他にも、2代目のクイズの始まる前のジングルは、同じく山瀬の「ビートパンク小僧」の最後の部分を使用していた。
コンピュータゲーム作品
コンピュータゲームとして制作されたものとして
- マジカル頭脳パワー!!(アーケードゲーム、セガ、下記参照)
- マジカル頭脳パワー!! PARTY SELECTION(プレイステーション、VAP)
- マジカル頭脳パワー!! DS(ニンテンドーDS、ディースリー・パブリッシャー [1])
が存在する。
アーケードゲーム
この番組を元にしたアーケードゲームがセガから、1996年11月に販売されていた。筐体は最大3人まで遊べるようになっており、画面と各プレーヤーの押しボタン、それに可動マイクという構成になっていた。
クイズは番組と同様のものが用意されており、
- いち文字クイズ
- 立体文字クイズ
- 似たもの三択
- 映像シャウト
- まぎらわしい三択
- ないもの探し
- 穴うめシャウト
- 早押しエラーをさがせ!
などの問題が出題され、答が分かったプレイヤーは自分の押しボタンを押して回答する。
この問題形式とマイクが用意されていることから分かる通り、このゲームには音声認識が搭載されており、プレイヤーが答えを発声して回答するようになっていた(番組と違い、シャウト系問題でもボタンを押さなければならなかった)。また番組に習い、ボタンを押すまで頭脳指数がカウントダウンされるので、なるべく早めに回答する必要があった。
誤答や、ボタンを押したのに認識できる音声が入力されなかった場合にライフが半分減る。音声認識率は高めではあったが100%ではなく、誤認識によるライフ減少も時々発生した。
ゲームは複数のステージを順にクリアする形式になっており、各ステージでは1つの問題形式の問題が一定数出題され、全問終了時にその問題形式で獲得できた頭脳指数の合計(複数人でプレイした場合は全員の合計)が基準を下回った場合はライフが一つ減る。ライフを全て失うとゲームオーバー(コンティニュー可能)、全てのステージを終了するとクリアとなる。なお最後のステージは番組同様「早押しエラーをさがせ!」となっている。
このゲームには4つのコースがあり、各コースをクリアすると次のコースをプレイできる「合い言葉」が表示された。コースには合い言葉不要の通常コースの他、「マジカルコース」「頭脳コース」「パワーコース」とあり、後ろのコースほど難易度が上がっていた。各コースの選択はゲーム最初の練習で合い言葉を発声することによりそのコースで遊べた。「パワーコース」をクリアするとエンディングが見られた。
番組ロゴ・オープニング
ロゴの色
1990年 - 1999年レギュラー放送、2001年復活SPともに全て当初からのものを使用。タイトルデザインは檜垣紀六。ただし、色は放送開始からしばらくは■銀色、1998年7月30日のリニューアルからレギュラー終了、復活SPは■青色と異なっていた。
オープニングの違い
レギュラー・2001年復活SPまでの全期間、ロゴ自体と背景がCGではなくスタジオ全体であることは変わらず、BGMも1990年開始当初から変わらずに使用されていた。しかし、ロゴのアニメーションは何度か変更され、4パターン存在した。
- 第1期:1990年10月27日 - 1993年12月11日
- 銀色の板のような物体が登場した後、レーザービームによって徐々に「マジカル頭脳パワー!!」のロゴが作り上げられるもの。
- 第2期:1993年12月18日 - 1996年10月10日
- パネラー席が上下ボックス式になったのを期に変更。上から「マジカル」、下から「頭脳パワー!!」の文字が同時に出てくるものへと変更された。また、オープニングBGMが一部省略されている。
- 第3期:1996年10月17日 - 1999年9月16日
- ロゴのアニメーション(動き)がなくなって、ロゴが中心に固定されているものになった。但し、当初はバラバラに飛んでいくシーンのみは残っていたが、後に完全に中心に固定された。1998年7月にロゴが変更され、銀色から青色に変わった。
- 復活SP:2001年12月29日
- ロゴのアニメーション(ロゴがバラバラに飛んでいくシーンのみ)が復活している。
関連番組
- クイズ番組
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! → 新装開店!SHOW by ショーバイ!! → 新装開店!SHOW by ショーバイ2
- スーパークイズスペシャル
- 世界一受けたい授業 - 後輩番組。2004年10月~現在。
- パロディ
- 2年越し!超超興奮!仰天"生"テレビ!!内「どんまい!!煩悩バラエティー!!」 - 当番組のパロディー「マジカヨ!煩悩パワー!!」があった。
- ダウンタウンのごっつええ感じ - 当番組のパロディーコント「マニカル頭パワー!!」があった。
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! - 当番組の企画で、板東英二と木村優子の変装をしたダウンタウンの二人がオープニングに乱入したことがあった。
- めちゃ×2イケてるっ! - 嵐がデビューしたときの企画で、江頭2:50が、「江頭バナナ」とタイトルをつけてゲームをやっていた。
- エンタの神様 - 陣内智則の当番組のパロディーコント「パワフル頭脳ゲーム」があった。
海外版
韓国MBCで「推理特急」という当番組とほとんど同じ番組が放映された。
脚注
出典
外部リンク
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タグがありません- ↑ フジのドラマで新たな編成手法 : 編集局ブログ“BunLOG” - 文化通信.com
- ↑ 同系列で放送していた「EXテレビ」の「新番組ダービー」では、本番組は早期の打ち切りが予想されていた。
- ↑ 読売新聞1992年8月2日号
- ↑ 当初は野球がない月曜日に放送する案が練られたが、反対意見が出たため折り合いがつかず、東京ドームの巨人戦が比較的行われない木曜日に移動することで調整がついた
- ↑ 読売テレビ制作の阪神戦、広島テレビ制作の広島戦が当てはまる。
- ↑ 読売新聞1996年11月2日号
- ↑ 木村は当番組降板後アナウンス部から異動となっていたが、2010年より管理職としてであるが再びアナウンス部に復帰している。また、永井は1996年9月に日本テレビを退社したが、当番組は退社後も最終回まで引き続き出演した。
- ↑ 1990年10月27日放送の第1回放送のみ、高田純次が1枠についていた。
- ↑ トップ頭脳賞の獲得回数は80回、マジカルミステリーツアーの獲得回数は10回。
- ↑ その回もトップ頭脳賞を獲得したが、賞品としてプレゼントされたのは日本テレビのボールペンだった。
- ↑ 珍解答の中には下ネタが含まれることもあり、板東に怒られ、減点あるいは失格などの厳しい処分を受けていた。
- ↑ 現に、所は「マジカルスキャナ」を最も苦手としており、また「立体文字クイズ」は所の得意とするクイズだっただけに、モデルチェンジした「新・立体文字クイズ」では苦戦する場面が多かった。
- ↑ その間、1枠の代役は和田アキ子とラサール石井がついていた。
- ↑ 最初の大マジカルでも最下位になっているが、次の大マジカルから3回連続優勝している。
- ↑ 他に、長瀬智也や定岡正二は、大マジカルでの座席を含むと7つの解答席についた解答者となる。
- ↑ 彼のマジカルミステリーツアー獲得回数は2回であるが、檻付きセット時代にマジカルミステリーツアーを獲得した唯一のパネラーである(2回目の獲得は1992年12月5日放送回で所ジョージの2回目の獲得よりも早い。但し檻無しセットでのミステリーツアー獲得経験はない)。
- ↑ 1997年2月6日のみ最後尾から3番目。
- ↑ 檻付きセット時代には、トップ頭脳賞を達成することもできなかった。
- ↑ V6・ダチョウ倶楽部・今田耕司&東野幸治などがグループで1チーム扱いされた場合は最後尾が優先された(ただし、ペアの場合は最後尾の席の隣まで)。
- ↑ 1995年11月30日放送分で、城島茂・長瀬智也がそれぞれ1人で解答者として参加しているが、もともとはペアで出演する予定であった。それはマジカルの本第5巻のセットの写真で確認することができる。正式に1人出場となったのは1996年8月29日放送分で松岡昌宏が出演した時からである。
- ↑ 通常放送のみ。
- ↑ 当初はトニセンのみ分割ユニット名がまだ決まっておらず、「V6ヤングチーム」「V6アダルトチーム」という仮称で出演していた。そのため、ネームプレートは「V6」と表記されていたが、後にトニセンも分割ユニット名が決まったため、1996年8月15日の放送でカミセンが出演してからは「Coming Century」「20th Century」となり、ネームプレートの表記も「Coming Century」「20th Century」となった。
- ↑ ただし、1997年秋以降の大マジカル頭脳パワー!!スペシャルには出演せず、代わりにTOKIOが出演していた。V6のレギュラー番組であるTBS系「学校へ行こう!」が当時木曜日の夜7時からの放送で裏番組となり、出演が競合することを避けるため。
- ↑ 1994年6月9日に初登場。1995年2月9日から1998年まで基本的に3枠に着席。毎回は出演しなかったものの、事実上のレギュラーである。
- ↑ 1996年春頃から事実上の準レギュラーとして、3枠または4枠についていた。
- ↑ 第1回、1991年11月9日、1992年3月14日放送分は1枠。
- ↑ 「Wコウジ」として今田耕司とペアで出演。
- ↑ 間寛平がつく最後尾から2番目についていた(ゲストパネリストがグループの場合、最後尾から3番目)。
- ↑ 両端の解答者は開いている場所からすぐに出られるので、電動の意味はあまり無い。
- ↑ 1992年7月4日放送分は6枠がない。
- ↑ 7枠増設は1993年10月30日放送分から。
- ↑ 1993年10月30日放送分、11月13日放送分は視聴者小学生参加。
- ↑ 10枠増設は1999年3月11日放送分から。但しそれ以降も9枠の回があった。
- ↑ 但し、1991年秋のスペシャルは所ジョージのみ1人で参戦。
- ↑ 成績別編成導入以前に単身で参加した1991年秋を含めると3回
- ↑ シングル化はせず、アルバム「HOLD ME」に収録。