長野オリンピック

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テンプレート:告知 テンプレート:国際化 テンプレート:注意 テンプレート:オリンピックインフォメーション テンプレート:座標一覧 長野オリンピック(ながのオリンピック)は、1998年平成10年)2月7日から2月22日まで、日本長野市とその周辺を会場にして開催された、20世紀最後の冬季オリンピックである。冬季オリンピックとしては、最も南に位置する都市で開催された。

72の国(地域)から選手・役員4638人が参加し、延べ144万2700人の観客が会場に集った[1]

大会開催までの経緯

1988年6月1日に行われた日本オリンピック委員会(JOC)の1998年冬季オリンピックの開催国内候補地選定投票で盛岡山形旭川を破り選定された。

長野オリンピックの開催は1991年6月15日イギリスバーミンガムで開かれた第97回国際オリンピック委員会総会で決定された。2回目は最低得票がソルトレイクとアオスタの2都市になったために落選都市決定戦という形で行なわれた。

1998年冬季オリンピック 開催地投票
都市 1回目 2回目 3回目 4回目 5回目
長野 テンプレート:Flagicon 日本 21 - 30 36 46
ソルトレイクシティ テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 15 59 27 29 42
エステルスンド テンプレート:Flagicon スウェーデン 18 - 25 23 -
ハカ テンプレート:Flagicon スペイン 19 - 5 - -
アオスタ テンプレート:Flagicon イタリア 15 29 - -

日本での冬季五輪の開催は1972年札幌オリンピック以来26年ぶり2度目だった(1940年札幌で予定されていたが中止となっている。冬季の場合は夏季と異なり非開催は大会の回次番号が付かないため、公式にも日本で2回目の冬季五輪開催となる)。

概要と経過

開会式

ファイル:Nagano Olympic Stadium.jpg
開会式および閉会式が開催された長野オリンピックスタジアム(2006年撮影)

長野オリンピックの開会式は、今上天皇皇后臨席の下、2月7日午前11時から長野オリンピックスタジアムで行われた。総合演出は劇団四季浅利慶太が担当。善光寺の鐘の音を合図にスタートした。御柱の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱の土俵入りが行われ、森山良子と子供達によりテーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」が披露された。

選手入場はオリンピック憲章に則りギリシャを先頭にアルファベット順に行われた。入場の最後の日本選手団は、県民歌「信濃の国」に合わせて入場した。大会組織委員会会長・斎藤英四郎および国際オリンピック委員会(IOC)会長のフアン・アントニオ・サマランチが挨拶し、今上天皇が開会を宣言し、湯浅譲二作曲の『冬の光のファンファーレ』が演奏された。

猪谷千春笠谷幸生金野昭次北沢欣浩長久保初枝大高優子橋本聖子山本宏美の元冬季オリンピック日本代表選手8人がオリンピック旗を持って入場し、長野市児童合唱団の合唱でオリンピック賛歌が演奏され、オリンピック旗が掲揚された。雅楽による国歌演奏の後、クリス・ムーンと子供たちが聖火を持って入場。

1997年世界陸上選手権10000m銅メダリスト・千葉真子からアルベールビルリレハンメル両五輪ノルディック複合団体の金メダリスト・河野孝典阿部雅司三ヶ田礼一の3人へ、そして1997年世界陸上選手権女子マラソン金メダリスト・鈴木博美に引き継ぎ、ジャコモ・プッチーニ作曲のオペラ「蝶々夫人」の中の『ある晴れた日に』が演奏され、アルベールビル五輪女子フィギュアスケート銀メダリストの伊藤みどりによって、聖火が点火された。

オリンピック宣誓は、アルベールビル・リレハンメル両五輪ノルディック複合団体の金メダリスト・荻原健司、フィギュアスケート審判・平松純子によって行われ、審判宣誓終了直後、子供たちのメッセージカードが入った羽ばたいているように見える3種類の鳩の形の紙風船が1998個空に放たれた。

開会式のクライマックスは、長野県県民文化会館でのオーケストラとソリストに開会式会場と世界5大陸(北京ベルリンケープタウンニューヨークシドニー)の合唱団が加わった衛星同時中継によるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲の交響曲第9番「合唱付き」第4楽章の演奏・合唱であった。指揮は小澤征爾が行った。この合唱は会場の観客や選手を含む全員が参加し行われるというオリンピック史上初の試みであった。

さらに演奏終了にあわせ航空自衛隊ブルーインパルスが会場上空で展示飛行を行った。

競技

テンプレート:Main 屋外競技は、全体的に悪天候に悩まされた大会であった。アルペンスキーは競技日程が変更され、スキージャンプ団体戦は競技が一時中断された。

アルペンスキー

テンプレート:Main 男子滑降が行われる予定だった大会2日目から悪天候が続き、競技日程が変更され、大会10日目の16日には、男子スーパー大回転、女子滑降、女子複合滑降の3レースが同日実施された。5日遅れで開催された男子滑降では、出場45人中15人が失格・途中棄権となり、うち14人がコース上の同じポイントで失敗をした(長野オリンピック男子滑降スタート地点問題も参照)。なお、このシーズンのワールドカップ総合1位のヘルマン・マイヤーも滑降でこの地点で転倒したが、スーパー大回転および大回転で優勝した。

志賀高原会場は東館山・焼額山2コースを抱えていたため、2コース同時に競技が行われても進行することができるよう、スタッフの人的リソース・機材等手配がされた。当初は2コース分のスタッフを揃えることに経費面等の理由により不要論もあったが、確実な競技運営を主張した全日本/長野県スキー連盟の意向、「この時期の天候は読めない」という志賀高原地元スタッフの意見が反映され、フル手配となった。結果的にスピード系競技(白馬会場)の連日にわたる大幅なスケジュール変更や、多量の降雪による影響をも柔軟に対応することが可能であった。

また、コース整備は陸上自衛隊が協力し、降雪によりコースが埋没した際の排雪も行った。

ジャンプ

テンプレート:Main 日本勢が金2個(ラージヒル個人・船木和喜、ラージヒル団体・日本代表)、銀1個(ノーマルヒル個人・船木)、銅1個(ラージヒル個人・原田雅彦)を獲得した。

ノルディックスキー

テンプレート:Main 団体戦の日本代表は冬季五輪3連覇は成らなかったものの、5位に入賞した。また、個人戦で荻原健司が4位、荻原次晴が6位に入賞した。

クロスカントリースキー

テンプレート:Main クロスカントリースキー男子15kmクラシカルでは、ケニアから出場し、最下位ながらも完走したフィリップ・ボイトを、優勝したノルウェービョルン・ダーリがゴール地点で出迎えた一幕があった。

スノーボード

テンプレート:Main 大回転とハーフパイプの2種目がこの大会から正式種目として採用された。最初のレースとなった男子大回転で、ロス・レバグリアティがオリンピックチャンピオンになった。レバグリアティは競技終了後、ドーピング検査マリファナの陽性反応が出たために、一旦はメダル剥奪が決定されたが、スポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定により処分は取り消された。

スピードスケート

テンプレート:Main プレシーズンにスラップスケートが登場し、多くの選手がスケート靴を変えての大会となった。スラップスケートが特に威力を発揮すると言われた長距離種目では、エムウェーブの高速リンクと相まって、世界新記録が連発した。大会2日目に行われた男子5000メートルでは、メダリスト3選手全員が従来の世界記録を上回った。

日本代表勢では、清水宏保が男子500メートルで金メダル、男子1000メートルで銅メダルを獲得した。また、女子500メートルで岡崎朋美が銅メダルを獲得した。

ショートトラックスピードスケート

テンプレート:Main

フィギュアスケート

テンプレート:Main 多様なジャンプとスピンを武器に14歳で全米選手権を制した15歳のタラ・リピンスキーと、柔らかく表現力豊かな演技をする17歳のミシェル・クワンが金メダルを争い、リピンスキーは当時15歳8ヶ月で金メダルを獲得した。なお、リピンスキーはソニア・ヘニーノルウェー)の持つ最年少金メダル記録(15歳10ヶ月)を更新した。その後、オリンピックのフィギュアスケートでは年齢制限が設けられたため、この記録の更新は難しくなった。

アイスホッケー

テンプレート:Main この大会からプロ選手の参加が認められ、ナショナルホッケーリーグ(NHL)は2週間中断した。NHLの選手を多く所属した6カ国は2次リーグからのシード参加となった。その中でもスター選手揃いのアメリカとカナダが注目されたが、ドミニク・ハシェックを中心とした堅い守備を持ったチェコロシアとの決勝戦を制して金メダルを獲得した。

フリースタイルスキー

テンプレート:Main モーグル女子で、里谷多英が冬季オリンピックで日本女子選手初となる金メダルを獲得した。

カーリング

テンプレート:Main 正式競技としては1924年のシャモニーオリンピック以来74年ぶり2度目の実施。公開競技として行われた大会を含めると1992年のアルベールビルオリンピック以来2大会ぶりの実施であった。

なお、観客に内容がわかるように無料でラジオ受信機が配られ、場内で解説が聴けるように工夫された。

閉会式

閉会式は2月22日午後6時から長野オリンピックスタジアムで開催され、今上天皇・皇后が臨席した。

各国の選手が入場し、長野県の祭りが一堂に集結。その後、近代オリンピック発祥の地ギリシャ、今大会の開催国日本、次回大会の開催国アメリカ合衆国の3ヶ国の国歌が演奏され、オリンピック旗がソルトレイクシティ市長に引き継がれたあと、ソルトレイクシティ組織委員会によるデモンストレーションが行われた。大会組織委員会副会長の吉村午良とIOC会長のフアン・アントニオ・サマランチのスピーチが行われ、最後はサマランチによって「アリガトナガノ、サヨナラニッポン」と日本語で締めくくられた。その後、大会ファンファーレが陸上自衛隊中央音楽隊によって演奏されたあと、オリンピック旗の降納とともにオリンピック賛歌が演奏・合唱された。

聖火の納火の後、杏里と子供たちが会場と全員で「ふるさと」を合唱し、司会の萩本欽一が「私たちのふるさとは?」と問いかけると会場は「地球!!」と叫んだ。フィナーレは、花火5,000発が打ち上げられAGHARTA(長万部太郎こと角松敏生率いる覆面バンド)が登場し、「WAになっておどろう〜イレアイエ〜」を演奏した。なお、生中継を行った日本テレビの視聴率は30.8%であった。

実施競技と日程

競技名 / 日付 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22
開閉会式
スキー アルペンスキー
クロスカントリースキー
スキージャンプ
ノルディック複合
フリースタイルスキー
スノーボード
スケート スピードスケート
フィギュアスケート ex
ショートトラックスピードスケート
アイスホッケー
ボブスレー
リュージュ
バイアスロン
カーリング

各国・地域の獲得メダル数

テンプレート:Main

1 テンプレート:FlagIOC 12 9 8 29
2 テンプレート:FlagIOC 10 10 5 25
3 テンプレート:FlagIOC 9 6 3 18
4 テンプレート:FlagIOC 6 5 4 15
5 テンプレート:FlagIOC 6 3 4 13
6 テンプレート:FlagIOC 5 4 2 11
7 テンプレート:FlagIOC(開催国) 5 1 4 10
8 テンプレート:FlagIOC 3 5 9 17
9 テンプレート:FlagIOC 3 1 2 6
10 テンプレート:FlagIOC 2 6 2 10

主なメダリスト

会場

会場一覧[2]
都市 施設 位置 使用目的 五輪後
長野市 長野オリンピックスタジアム [[[:テンプレート:座標URL]]36_34_48.5_N_138_9_57.5_E_region:JP&title=%E9%95%B7%E9%87%8E%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0%EF%BC%88%E9%96%8B%E4%BC%9A%E5%BC%8F%E3%80%81%E9%96%89%E4%BC%9A%E5%BC%8F%EF%BC%89 地図] 開会式
閉会式
野球場
セントラルスクゥエア [[[:テンプレート:座標URL]]36_39_7_N_138_11_16.7_E_region:JP&title=%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A5%E3%82%A8%E3%82%A2%EF%BC%88%E8%A1%A8%E5%BD%B0%E5%BC%8F%EF%BC%89 地図] 表彰式 駐車場、イベント会場
ホワイトリング [[[:テンプレート:座標URL]]36_36_16.8_N_138_12_22.4_E_region:JP&title=%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%88%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%89 地図] フィギュアスケート
ショートトラックスピードスケート
体育館
ビッグハット [[[:テンプレート:座標URL]]36_37_47_N_138_11_44.8_E_region:JP&title=%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%88%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%BC%EF%BC%89 地図] アイスホッケー 冬季はスケートリンク、夏季は体育館
アクアウィング [[[:テンプレート:座標URL]]36_39_39.3_N_138_13_52.2_E_region:JP&title=%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%BC%EF%BC%89 地図] アイスホッケー プール
エムウェーブ [[[:テンプレート:座標URL]]36_38_25.6_N_138_14_25.3_E_region:JP&title=%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96%EF%BC%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%89 地図] スピードスケート 冬季はスケートリンク、夏季は体育館
スパイラル [[[:テンプレート:座標URL]]36_42_38.9_N_138_9_27.4_E_region:JP&title=%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%AB%EF%BC%88%E3%83%9C%E3%83%96%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%EF%BC%89 地図] ボブスレー
リュージュ
飯綱高原スキー場 [[[:テンプレート:座標URL]]36_43_1.3_N_138_8_23.8_E_region:JP&title=%E9%A3%AF%E7%B6%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4%EF%BC%88%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%89 地図] フリースタイルスキー
軽井沢町 風越公園アリーナ [[[:テンプレート:座標URL]]36_19_25.5_N_138_35_55.2_E_region:JP&title=%E9%A2%A8%E8%B6%8A%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%EF%BC%88%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%89 地図] カーリング スケートリンクに転用
野沢温泉村 ふれ愛の森公園 [[[:テンプレート:座標URL]]36_54_33.7_N_138_26_45_E_region:JP&title=%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%AE%E6%A3%AE%E5%85%AC%E5%9C%92%EF%BC%88%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%B3%EF%BC%89 地図] バイアスロン 銃刀法によりバイアスロンでの使用不可[1]。夏季はサッカー、野外活動に使用[1]。冬季は閉鎖(一部クロカンで使用)[1]
山ノ内町 志賀高原東舘山スキー場 [[[:テンプレート:座標URL]]36_43_33_N_138_30_44.2_E_region:JP&title=%E6%9D%B1%E8%88%98%E5%B1%B1%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A4%A7%E5%9B%9E%E8%BB%A2%EF%BC%89 地図] アルペンスキー大回転
志賀高原焼額山スキー場 [[[:テンプレート:座標URL]]36_45_9.9_N_138_31_32.6_E_region:JP&title=%E7%84%BC%E9%A1%8D%E5%B1%B1%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%9B%9E%E8%BB%A2%E3%80%81%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E5%A4%A7%E5%9B%9E%E8%BB%A2%EF%BC%89 地図] アルペンスキー(回転
スノーボード(大回転)
かんばやしスノーボードパーク [[[:テンプレート:座標URL]]36_43_46_N_138_26_48.9_E_region:JP&title=%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%84%E3%81%97%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%EF%BC%88%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%EF%BC%89 地図] スノーボード(ハーフパイプ 2007年1月閉鎖
白馬村 八方尾根スキー場 [[[:テンプレート:座標URL]]36_42_6.9_N_137_50_14.2_E_region:JP&title=%E5%85%AB%E6%96%B9%E5%B0%BE%E6%A0%B9%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%A0%B4%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E6%BB%91%E9%99%8D%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E5%A4%A7%E5%9B%9E%E8%BB%A2%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9A%E3%83%B3%E8%A4%87%E5%90%88%EF%BC%89 地図] アルペンスキー(滑降
アルペンスキー(スーパー大回転
アルペン複合
滑降のゴール付近は河道復元工事施行[1]
白馬ジャンプ競技場 [[[:テンプレート:座標URL]]36_41_44.5_N_137_50_9.8_E_region:JP&title=%E7%99%BD%E9%A6%AC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4%EF%BC%88%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%80%81%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E8%A4%87%E5%90%88%EF%BC%88%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%EF%BC%89%EF%BC%89 地図] ノルディックスキージャンプ
ノルディック複合(ジャンプ)
スノーハープ [[[:テンプレート:座標URL]]36_38_3.1_N_137_51_26.9_E_region:JP&title=%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%97%EF%BC%88%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%80%81%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E8%A4%87%E5%90%88%EF%BC%88%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BC%89%EF%BC%89 地図] ノルディックスキー(クロスカントリー
ノルディック複合(クロスカントリー)
夏季はサッカー、MTB等に使用[1]。冬季はクロカンで使用[1]

テンプレート:座標一覧

  • 軽井沢町は1964年の東京夏季大会で馬術競技を開催している。夏季大会、冬季大会両方の競技を開催したのは今のところ軽井沢町が世界で唯一。2020年東京オリンピックではかつて冬季五輪の開催された札幌市でサッカー競技が行われることになっているためこれに続く予定。
  • 当初、バイアスロンの会場として整備された飯森東山地区は、1996年にミニゴルフ場として使用され、その後は産業廃棄物処理施設となった[1]

鉄道への影響

1991年に長野オリンピック開催が決定したことにより、長野新幹線が、現存する在来線(信越本線、現しなの鉄道線区間)を活用して運行するミニ新幹線規格から、軽井沢駅長野駅で新たに専用路線を建設するフル規格に変更された。もともと長野新幹線は長野オリンピックの計画が浮上する前から建設が予定されていたが、1989年頃は、フル規格での建設が決まっていた部分の高崎駅軽井沢駅のみが建設されていた。

軽井沢〜長野がフル規格になったことで、在来線とは若干違うルートで建設されることになったため、反対意見もあった。中でも有名なのが小諸市佐久市の関係である。ミニ新幹線計画時には小諸市を通る信越本線が新幹線に転用される予定だったが、計画変更により、信越本線が通らない佐久市をフル規格の新幹線が経由することになったため、両方の市で論争が起きた。詳細については、小諸駅佐久平駅を参照のこと。

その他の影響として、1994年、スキー・スノーボード会場となる志賀高原への人員輸送に伴う列車増発対応のため、長野電鉄河東線(現長野線北須坂駅延徳駅が交換駅化。また1997年、選手村への最寄り駅として、信越本線上に今井駅が新設された。長野新幹線では、200系新幹線が走行することはないが、オリンピック期間中のみ列車増発のため、乗り入れに対応した編成が運転された。

記念発行物

ファイル:NaganoOlympic5000.jpg
記念貨幣(5,000円銀貨)
ファイル:Nagano-10000yen-1st.jpg
記念貨幣(10,000円金貨)
  • 500円硬貨
    • 1次スノーボード 発行枚数2,000万枚
    • 2次ボブスレー 発行枚数2,000万枚
    • 3次フリースタイル 発行枚数2,000万枚
  • 5,000円硬貨
    • 1次アイスホッケー 発行枚数500万枚
    • 2次バイアスロン 発行枚数500万枚
    • 3次パラリンピック滑降 発行枚数5,000万枚
  • 10,000円硬貨
    • 1次ジャンプ 発行枚数55,000枚
    • 2次フィギュアスケート 発行枚数55,000枚
    • 3次スピードスケート 発行枚数55,000枚

また、記念切手も発行された。

  • 「愛と感動の冬」長野オリンピック・長野パラリンピック読本

競技内容はもちろん、オリンピックの精神や理念を学習する教材資料として1996年3月に長野県教育委員会が製作・発行し、長野県内すべての小中学校全校生徒に配布された。

その他

スノーレッツ(4羽のフクロウがモチーフの大会マスコット)
森の守り神であり、知恵者の代名詞でもあるフクロウを抽象的にデザインした物で、「スノーレッツ (SNOWLETS)」という名前の由来は冬季オリンピックをイメージした「SNOW」、「フクロウの子供たち」という意味の「OWLETS」、「さあ、一緒に!」と元気よく呼びかけることば「LET'S」を掛け合わせた造語と言われている。また1羽ずつそれぞれに、スッキー、ノッキー、レッキー、ツッキーという名前もつけられていた。4羽はスッキーとノッキーが男の子、レッキーとツッキーが女の子という位置づけがなされ、それぞれが火の中、水の中、風の中、土の中から生まれたと設定された。また4羽の中でも人気、不人気のキャラクターが分かれ、最も不人気だったスッキーについてはNHKが「なぜスッキーは人気が出ないのか?」というインタビュー番組を制作するほどだったが、当初は斜めを向いていたスッキーの顔のデザインをオリンピック直前になって正面から見たデザインに“整形”するなどてこ入れがなされた甲斐もあって、オリンピック本番では4羽とも大人気だった。スノーレッツは長野オリンピック開催前年の1997年の『第48回NHK紅白歌合戦』にも出場した。
テーマソング
WAになっておどろう〜イレアイエ〜」AGHARTA(公式テーマソング。元々はNHK「みんなのうた」で採用されていたもの。スノーレッツのテーマソングという位置づけであった)
「SHARE 瞳の中のヒーロー」杏里(公式イメージソング)
「Dream〜愛を忘れない〜」さだまさし(公式メッセージソング)
「長野冬季スポーツ音頭」清水アキラ小林由紀子(推薦曲。当初は「長野オリンピック音頭」であったが、オリンピックが登録商標であったので改称された)
「銀色の夢 ~All over the world~」DEEN(公式ボランティアサポートソング)
足音槇原敬之(聖火リレー公式応援ソング)
湾岸スキーヤー少年隊(イメージソング)
Unite! The Night!TRF(イメージソング)
聖火リレー
ギリシャから日本に着いた聖火は三手に分かれ、全都道府県を巡ったのちに長野県内の全ての市町村をリレーされて長野市に集結した。
聖火リレーの最中に火が消えるハプニングが相次ぎ、ニュースでも話題になった。これはトーチの欠陥により、トーチを傾けすぎると燃料供給が途絶えてしまうことによる。後に改良され、消えることはなくなった。
芸能界からは堂本光一(Kinki Kids)らが参加。
ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗
青地に黄色の三角と8つの星をあしらったデザイン。開催直前に新国旗が発表された。公式の場では、開会式の入場行進でお披露目された。
各競技会場で使用する国旗を急遽差し替える作業が発生した。
IT化
前大会(リレハンメルオリンピック)に引き続きIBMが担当。オフィシャル計時を担当したセイコー(競技マネージメントとして豊富な経験の蓄積があった)と協力し、リアルタイムで情報が更新された。
各種の告知や結果の速報など、スポーツ大会におけるインターネット(ウェブ)活用についても本格的な導入がなされた大会であった。公式サイトアクセス数は当時のギネスブックに登録された。(期間中6億3,500万ヒット、1分間に11万ヒットの2部門)
システム開発拠点は、空家となった公共施設および閉鎖したスーパーマーケットを利用して設けられた。テロなどへのセキュリティ対策から所在地は公表されていなかったが、建物に出入りする人々のただならぬ雰囲気から、周辺住民には“公然の秘密”であった。午前中は涼しい建屋内も、各種機器が稼動を始めると上階を中心に室温の上昇が見られた。
システムオペレーションセンター (SOC) は本大会時は、長野オリンピック組織委員会 (NAOC) 本部に設けられたが、システムの拠点は前記の公共施設内であった。
OS/2 Warpが様々な場面で活躍した。
選手・役員・関係者・ボランティアスタッフなど、施設や会場にアクセスするためのIDカードを持つ者全員にメールアドレスが与えられ、施設や会場に設置されたPCからウェブメールのような形でインターネットメールのやり取りできた。
プレ大会(開催1年前の競技会)
NAOCはリハーサルとして臨んだが、各競技団体にとってはそれも大事な本番であった。認識のズレが各所で散見され軋轢が生じる場面があった。
市民との融和
国際的イベントと市民との融和、そして一過性ではなく継続的な「国際理解・親善」につなげる工夫として「一校一国運動」「一店一国運動」が展開された。「一校一国運動」は、広島アジア大会の際に行われた地区公民館単位での活動を参考に考案され、市内の小中学校各校が長野オリンピック参加の特定一国について深い研究・国際交流を図る形で展開され、市民と参加各国、そしてオリンピックというイベントを強く結びつけ、大会運営にも市民文化活動にも好影響を与えた運動。その後のオリンピックの際にも導入され、IOCのプログラムにも取り入れられた。
一店一国運動は同じような活動を商店に置き換えたもので、長野市街地を訪れる選手や観戦客に対してのホスピタリティを意識した運動で好評を持って迎え入れられた。
市街地表彰式
屋外競技場が長野県内各地に拡散していたことから、ベースシティである長野市市街地にあるセントラルスクゥエアに「市街地表彰式場」を設け、競技場まで足を運べなかった市民や観戦客への配慮を行った。これも市民とオリンピックを結びつける仕掛けとして有効で、日本選手の活躍が目立った開催期間後半においては屋内競技でも目立った成績を残した選手を改めて表彰した。
カウントダウンTシャツ
開催を記念して、記念Tシャツが作成され一般に販売された。これは開会式の500日前から前日まで、1日1着ずつオークション形式で販売された。入札はオークション会場およびファックスにて受け付けられた。落札価格は、最低が2万円、最高は前日分の155万円、初日分(500日前)は67万円だった。
Tシャツのデザインは、5つのデザインで100日ごとに変更された。それぞれのデザインに加えて、開会「○○○日前」の数字が「No.○○○」と刺繍される。製作はミズノが担当した。
デザインした5人のアーティストは次の通り。
日本の民放テレビ中継
それまで日本の民放テレビは、夏季大会は大々的に放送してきたが冬季は殆ど中継してこなかった。冬季も中継枠が増えたのはこの大会からである(それまではNHKの独占放送だった)。冬季オリンピック中継でジャパンコンソーシアムが初採用されたのはこの大会からである。
イベントFM放送局
開催にあわせ、大会に関する諸情報を提供する臨時イベントFM放送局が期間中開設された。周波数78.5MHz、出力は長野100W・白馬30W、コールサインはJOYZ4A-FM。
参加国
この大会に72の国と地域が参加。当時のEU加盟全15カ国(オーストリアベルギーデンマークフィンランドフランスドイツイギリスギリシャアイルランドイタリアルクセンブルクオランダポルトガルスペインスウェーデン)が参加した。また、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が1992年アルベールビルオリンピック以来2大会ぶりに冬季オリンピックに参加した。
電話回線トラブル
本大会中の2月15日、午前10時頃から約2時間に亘って日本全国的に電話回線が通じにくくなる事態が発生し、メインプレスセンターに居る報道関係者の送信事務が困難になった他、国際電話もつながりにくくなった。原因はこの日午前10時からGLAYの全国コンサートツアーの前売券約11万5,000枚が発売開始され、その電話予約が殺到したためとされている。なおこの時はスキージャンプラージヒルの競技が行われていた[3]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 テンプレート:PDFlink(長野県環境保全研究所長野冬季五輪研究プロジェクト 2009年)
  2. 第18回オリンピック冬季競技大会(1998/長野) 競技会場(日本オリンピック委員会)
  3. スポーツニッポン 1998年2月16日31面『GLAY人気で五輪回線パニック』