荻原健司

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テンプレート:スキー選手 テンプレート:政治家 荻原 健司(おぎわら けんじ、1969年12月20日 - )は、日本スキーノルディック複合元選手・指導者。現役時代は「キング・オブ・スキー」の異名を取る。社団法人日本近代五種・バイアスロン連合副会長。スポーツビズ所属。北野建設スキー部部長。

2004年から2010年にかけては自由民主党に所属し参議院議員を1期務め、経済産業大臣政務官第1次安倍改造内閣福田康夫内閣)を歴任した。

双子の実弟もノルディック複合元選手で現タレント・スポーツコメンテーター荻原次晴

人物

群馬県吾妻郡草津町出身。草津町立草津中学校群馬県立長野原高等学校を経て早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。

大学の1年先輩の河野孝典らと共に日本のノルディック競技の中心選手として活躍。1992年アルベールビル1994年リレハンメルの冬季オリンピック2大会連覇、更に世界選手権でも1993年(個人・団体の2冠)、1995年(団体)、1997年(個人)で金メダルを受賞。1998年長野オリンピックでは日本選手団主将を務め、全選手を代表して選手宣誓を行った。

ノルディック複合・ワールドカップでは無類の強さを発揮し通算19勝をあげた。1992-1993シーズンに日本人初の総合優勝を成し遂げると、以後、1993-1994シーズン、1994-1995シーズンと連覇し、世界初の個人総合3連覇を達成。前半のジャンプで他の選手に大差をつけ、後半のクロスカントリーで逃げ切るというスタイルで黄金時代を築いた。

その後、政治家に転身し参議院議員などを歴任した。

来歴

小学5年生の時、草津スポーツ少年団に入団しジャンプを始める。草津中時代に複合に転向。1985年、全日本ジュニアに選抜される。1987年、世界ジュニア選手権に出場し39位。1988年、世界ジュニア選手権で16位。また、高校生でありながら日本代表Bチームに昇格する。1989年、ソフィアユニバーシアードで優勝。国内では1年生ながら全日本学生スキー選手権大会男子複合優勝を果たす。この年には自身初の日本代表Aチーム入りも果たす。1991年、札幌ユニバーシアードで複合個人優勝を果たし、2連覇を達成。

前述のとおり早稲田大学の一年先輩には高校時代からのライバルであった河野孝典がいた。健司にとって河野の存在は大変大きく、ともに切磋琢磨しながら懸命に練習に励んでいた。河野が当時の複合でトップ選手として活躍していたノルウェーのエルデン兄弟(トロント=アイナル・エルデンら)の家にホームステイをして最先端のトレーニング法を身につけて帰ってきたとき、その考えや方法などを積極的に吸収しようとしていた人物が健司であった。一方同じ兄弟でありながら弟の次晴は真剣に練習に励む二人の行動が理解できなかったという。こうして更にレベルの高いトレーニングを積み重ねていった結果、ナショナルチーム入りを果たし、後のワールドカップやオリンピックでの大躍進につながることになる。

1992年、アルベールビルオリンピックを前にいち早くV字ジャンプを取り入れ一躍世界トップに肩を並べ、複合団体で正メンバー入りを果たし、優勝メンバーの一員となる。このとき、世界を相手に物怖じしないその精神力から「新人類」と称された。以後団体で1993年ファルン世界選手権、1994年リレハンメルオリンピック1995年サンダーベイ選手権で日本の世界大会4連覇に貢献。また個人戦でも1992年12月にノルディック複合・ワールドカップフィンランドブオカッティ大会で初優勝を果たすと、この1992-1993シーズン中に6勝をあげて日本人初の個人総合優勝を達成。その後、1993-1994シーズン、1994-1995シーズンも制覇して世界初の三連覇を達成。世界選手権でも1993年と1997年に金メダルを獲得。そのあまりの強さから「宇宙人」と呼ばれた。1995年にはスキー界で権威のあるホルメンコーレン・メダルを日本人として初めて受章した。

2001年、ユネスコ国際フェアプレー賞功労部門栄誉賞を受賞。
2002年ソルトレイクシティオリンピックを最後に競技の第一線を退き、北野建設株式会社社長室主査スキー部副部長に就任。また、この年に長年の功績を称えて、全日本スキー連盟特別表彰、群馬県民栄誉賞を受賞した。

国際オリンピック委員会選手委員に2回立候補(2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ)している。2006年のトリノオリンピックでの選挙では392票を獲得したが、412票を獲得したアイスホッケーのサク・コイブに20票差で落選した。

2004年第20回参議院議員通常選挙に比例代表区(全国区)から自由民主党所属で立候補し当選を果たした。参議院文教科学委員会委員、参議院議院運営委員会委員、参議院少子高齢社会に関する調査会理事を歴任。日本オリンピック委員会アスリート委員会委員、日本オリンピック委員会女性スポーツ委員会委員、日本スポーツ仲裁機構理事、財団法人全日本スキー連盟顧問なども務めていたが、2007年より休職した。

2007年8月30日第1次安倍改造内閣経済産業大臣政務官に任命された。しかし、自宅の電気代を党に付け替えていた問題が発覚し、任命された当日に総理大臣官邸にて謝罪会見を行った。続く福田内閣でも経産政務官を務めた。

2009年に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。

2009年12月9日、スポーツの現場に戻りたいとして、次期参院選に出馬せず、議員引退することを党執行部に伝えた[1]

2010年 モーグル上村愛子などが所属する北野建設のスキー部部長に就任。

2012年第67回冬季国民体育大会スキー競技会に長野県代表として出場し、成年男子Bのノルディック複合で4位、ジャンプで13位。国体出場は、1992年の第47回大会以来20年ぶり。翌2013年第68回冬季国民体育大会スキー競技会ノルディック複合成年男子Bで3位となり21年ぶりに表彰台に登った。

上田女子短期大学客員教授でもある。

主な競技歴

オリンピック

世界選手権

ノルディック複合・ワールドカップ

シーズン個人総合成績

個人総合成績
シーズン 総合 優勝 準優勝 3位 備考
1990/91 27位 0回 0回 0回
1991/92 22位 0回 0回 0回
1992/93 テンプレート:Display none優勝(1) 6回 1回 1回 日本人初優勝
1993/94 テンプレート:Display none優勝(2) 5回 2回 1回
1994/95 テンプレート:Display none優勝(3) 6回 2回 1回 世界初の三連覇
1995/96 テンプレート:Display none2位 2回 4回 1回
1996/97 テンプレート:Display none6位 0回 1回 0回
1997/98 13位 0回 0回 0回
1998/99 テンプレート:Display none7位 0回 1回 1回
1999/00 テンプレート:Display none6位 0回 2回 1回
2000/01 15位 0回 0回 0回
2001/02 26位 0回 0回 0回
合計 --- 19回 13回 6回

優勝大会

優勝大会
回数 シーズン 月日 開催地 種目
1 1992-1993 1992年12月5日 テンプレート:Flagicon ブオカッティ ノーマルヒル
2 1992年12月12日 テンプレート:Flagicon クールシュヴェル ラージヒル
3 1992年12月19日 テンプレート:Flagicon サンモリッツ ノーマルヒル
4 1993年1月23日 テンプレート:Flagicon ザールフェルデン ノーマルヒル
5 1993年3月5日 テンプレート:Flagicon ラハティ ノーマルヒル
6 1993年3月20日 テンプレート:Flagicon シトゥルブスケー・プレソ ノーマルヒル
7 1993-1994 1993年12月4日 テンプレート:Flagicon ザールフェルデン ノーマルヒル
8 1993年12月11日 テンプレート:Flagicon サンモリッツ ノーマルヒル
9 1993年12月15日 テンプレート:Flagicon サンモリッツ ノーマルヒル
10 1994年1月8日 テンプレート:Flagicon ショーナッハ ノーマルヒル
11 1994年1月22日 テンプレート:Flagicon トロンハイム ノーマルヒル
12 1994-1995 1995年1月10日 テンプレート:Flagicon ヴァル・ディ・フィエンメ ラージヒル
13 1995年1月14日 テンプレート:Flagicon リベレツ ラージヒル
14 1995年2月3日 テンプレート:Flagicon ファールン ラージヒル
15 1995年2月9日 テンプレート:Flagicon オスロ ラージヒル
16 1995年2月18日 テンプレート:Flagicon バート・ゴイーザーン ラージヒル
17 1995年3月23日 テンプレート:Flagicon 札幌 ラージヒル
18 1995-1996 1996年1月13日 テンプレート:Flagicon シトゥルブスケー・プレソ ラージヒル
19 1996年2月10日 テンプレート:Flagicon ショー・ヌーヴ ノーマルヒル

ユニバーシアード

  • 1989年-ソフィア大会複合個人優勝
  • 1991年-札幌大会複合個人優勝

受賞

公的役職

  • 日本オリンピック委員会
    アスリート委員会委員 - 休職(2007年-)
    女性スポーツ委員会委員 - 休職(2007年-)
  • 日本スポーツ仲裁機構理事 - 休職(2007年-)
  • 財団法人日本スキー連盟理事 - 休職(2007年-)
  • 社団法人日本近代五種・バイアスロン連合副会長 - 休職(2007年-)

政策

R9プロジェクト

次晴、勅使川原郁恵ともに、歩くことの素晴らしさを啓蒙する「R9プロジェクト」運動を展開している。歩くことを通じ、下記の3つのテーマを伝えたいと謳っている[2]

  1. 「健康・美容」増進。
  2. 「コミュニケーション不足」の解消。
  3. 「環境問題」の認知

不祥事

参議院議員当選後、政治資金や事務所に関連しいくつかの法令違反が発覚している。

参議院内部規定違反

2007年1月28日、参議院内部規定(1995年12月決定)に違反し、資金管理団体以外の政治団体の「主たる事務所」を参議院議員会館の荻原の事務所に設置していたことが新聞で報道された。なお、荻原は議員辞職する考えはないことを明らかにしている。

自宅電気代を党に付け替え

2007年8月29日、荻原の自宅の電気代を、自身が代表を務める自由民主党東京都参議院比例区第三十二支部の光熱水費として計上し、肩代わりさせていたことが発覚した[3]

2005年7月に荻原がマンションを借りた際、電気代を同支部の口座から引き落とす手続きをとった。そのため、支部の通帳に電気代引き落としの記載があったため、政治資金収支報告書作成時にそのまま支部の光熱水費として計上したとされている。荻原は誤りを認め、2005年分の政治資金収支報告書の訂正を総務省に届け出た。なお、荻原の事務所は、当初マンションを借りた際に支部の事務所にする計画があったため誤ったと説明している。2007年8月30日、荻原は総理大臣官邸にて会見し「完全に事務的なミスで私も反省しなければいけないが、悪意を持ってやったつもりはない」[4] と述べている。

この不祥事について内閣総理大臣安倍晋三は「事務的ミスであれ、分かりやすい説明をしてもらわないといけない」[5] とコメントし、荻原に対し苦言を呈した。前内閣では「政治とカネ」の問題が相次いで発覚しており、安倍が内閣改造を行った直後にこの不祥事が明らかになったため、マスコミからも批判が相次ぎ、「国民からみると自分で使った電気代を支部に付け替えたと思われても仕方がない。人に言われて会見というのは、自分では悪いことしていないという認識ではないか」[6] と指摘した三反園訓のように、辛辣な批評をする者も現れた。高まる批判を受け、荻原は経済産業省にて再度記者会見し「国民に深くおわびしたい。迷惑をかけて申し訳ございません」[5] と謝罪した。しかし、大臣政務官の辞任や議員辞職はしない考えを改めて示した。福田康夫内閣でも大臣政務官に任命されている。

逸話

掛け声

2007年、参院選自由民主党各種団体総決起大会にて「エイエイオー」の掛け声(いわゆるガンバローコール)をかける大役を果たした。

ファンレター

荻原にはファンレターが数多く届くが、宛先を知らないファンもいるため不正確な宛名で投函する者が散見されるという。「オリンピック金メダリストの荻原健司」や「札幌大倉山ジャンプ競技場 荻原健司様」といった宛名の郵便物が、荻原の実家に実際に配達されたことがあり、荻原は「感謝です。書いた方にも、郵便局のみなさんにも」と語っている。[7]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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テンプレート:ノルディックスキー世界選手権ノルディック複合競技金メダリスト男子個人ノーマルヒル
  1. 荻原健司参院議員:「再選に不安」次期参院選に立候補せず 2009年12月9日 毎日新聞
  2. 「What's "R9" R9プロジェクトとは?」『R9プロジェクト|What's "R9" コンセプト:Sports@niftyニフティ
  3. 「荻原参院議員、資金計上ミス――自宅電気代を党支部に」『荻原参院議員、資金計上ミス 自宅電気代を党支部に - 政治』朝日新聞社2007年8月29日
  4. 「本当にミス? 自民の荻原参院議員、自宅電気代を党支部で支出」産経デジタル、2007年8月31日
  5. 5.0 5.1 「荻原健司議員の自宅電気代を党支部支出――訂正、返金」信濃毎日新聞社2007年8月31日
  6. スーパーモーニングテレビ朝日2007年8月31日
  7. 武田篤典「BREAKTHROUGH POINT〜つきぬけた瞬間――『スポーツ選手でも“こんなこと”ができるんだ』――荻原健司」『R25』159号、リクルート、2007年9月20日。