産業経済新聞社
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株式会社産業経済新聞社(さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、テンプレート:Lang-en)は、フジサンケイグループの新聞社、出版社である。フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用会社であり、同社が発行済み株式の39.99%を保有している。通称は『産経新聞社』(さんけいしんぶんしゃ)。
目次
沿革
- 1913年(大正2年) - 大阪で前田久吉が新聞販売店を創業。
- 1922年(大正11年) - 旬刊『南大阪新聞』創刊。
- 1923年(大正12年) - 『南大阪新聞』を『夕刊大阪新聞』として日刊化。
- 1933年(昭和8年) - 夕刊大阪新聞社から『日本工業新聞』(現在の産経新聞の前身)を創刊
- 1939年(昭和14年) - 『日本工業新聞』の発行元が夕刊大阪新聞社から分社化し、株式会社日本工業新聞社を設立。
- 1940年(昭和15年) - 日本工業新聞社が大阪毎夕新聞社、鉄鋼新聞社を吸収合併。
- 1942年(昭和17年)
- 1950年(昭和25年) - 東京でも『産業経済新聞』の印刷・発行を開始、東日本に進出、全国紙としての基盤を整える。
- 1951年(昭和26年) - 世界経済新聞社を吸収合併。
- 1952年(昭和27年) - 大阪市北区梅田二丁目に『産経会館』(後の大阪サンケイビル)完成。
- 1955年(昭和30年)
- 1958年(昭和33年)
- 東京の題号を『産經新聞』に変更[1]。
- 『日本工業新聞』復刊(2代目。2004年にフジサンケイビジネスアイへ改題。後述)。
- 1959年(昭和34年)
- 創業者の前田久吉が退任、財界から水野成夫(フジテレビジョン初代社長)を社長に迎える。別法人だった東京・大阪の両本社が合併し、東京側が存続会社(登記上本店を大阪から東京に移転)となって新生・株式会社産業経済新聞社が発足。
- 東京・大阪の題号を『産經新聞』に統一。
- 1961年(昭和36年) - 「皇太子結婚記念『大噴水』」を皇居前に設置、国に寄贈。
- 1963年(昭和38年) - 『サンケイスポーツ』東京版発刊
- 1964年(昭和39年) - プロ野球『国鉄スワローズ』(現:東京ヤクルトスワローズ)の経営に参加。翌1965年(昭和40年)5月10日付けで正式に経営権を取得し、『サンケイスワローズ』となる。
- 1967年(昭和42年) - フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)、ニッポン放送、文化放送と共に『フジサンケイグループ』を結成。
- 1968年(昭和43年) - 水野成夫が退任、新社長に鹿内信隆が就任。
- 1969年(昭和44年)
- 『夕刊フジ』創刊。
- 題号を『サンケイ』に変更。
- 1970年(昭和45年) - サンケイスポーツの発行が『株式会社サンケイスポーツ新聞社』に、夕刊フジの発行が『株式会社フジ新聞社』に分社化。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年) - 創業者・前田久吉死去。
- 1987年(昭和62年)
- サンケイスポーツの東京版がカラー紙面化。
- サンケイスポーツ新聞社、フジ新聞社を吸収合併。
- 1988年(昭和63年)
- 鹿内春雄死去。鹿内信隆の娘婿の鹿内宏明が会長に就任。
- 題字を『サンケイ』から『産經新聞』に変更、一般紙で初のカラー紙面となる。
- 1990年(平成2年) - 鹿内信隆死去。
- 1992年(平成4年) - 日枝グループにより鹿内宏明会長解任。
- 1997年(平成9年) - 専務取締役・清原武彦、社長就任。
- 2000年(平成12年) - 東京本社新社屋『東京サンケイビル』完成。
- 2002年(平成14年)
- 産経新聞の東京本社版が夕刊を廃止、朝刊単独紙に移行。
- 大阪新聞が廃刊、産経新聞の大阪本社版と紙面統合。
- 2004年(平成16年)
- 専務総括主筆・住田良能、社長に就任。清原は会長。
- 日本工業新聞が『フジサンケイ ビジネスアイ』に題号を変更。
- 大阪新聞社を吸収合併。
- 2005年(平成17年) - 大阪本社新社屋『難波サンケイビル』完成。
- 2006年(平成18年) - タブロイド判の新聞『SANKEI EXPRESS』創刊。
- 2008年(平成20年) - 産経新聞の九州地方での現地印刷及び災害時の委託印刷業務を毎日新聞の工場で行うことで毎日新聞社と基本合意。
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 6月1日 - 「九州・山口本部」から「西部本部」へ変更
本社所在地
業績推移
決算期 | 単体売上高 | 経常利益 | 当期利益 | 「産經新聞」 発行部数朝刊 |
「産經新聞」 発行部数夕刊 |
---|---|---|---|---|---|
2003年(平成15年)3月期 | 129,467 | 85 | ▲1,981 | - | - |
2004年(平成16年)3月期 | 131,039 | 1,305 | 316 | - | - |
2005年(平成17年)3月期 | 130,620 | 2,064 | 430 | 約213.5万部 | - |
2006年(平成18年)3月期 | 128,725 | 2,625 | 622 | 約219万部 | 約63万部 |
2007年(平成19年)3月期 | 122,850 | 1,975 | 711 | 約220万部 | 約63万部 |
2008年(平成20年)3月期 | 119,799 | 2,315 | 473 | 約220万部 | 約63万部 |
2009年(平成21年)3月期 | 106,654 | ▲645 | 97 | 約210万部 | 約60万部 |
2010年(平成22年)3月期 | 91,244 | 584 | ▲641 | 168.5万部 | 54.7万部 |
2011年(平成23年)3月期 | 86,030 | 603 | 173 | 161.7万部 | 53.6万部 |
2012年(平成24年)3月期 | 84,557 | 580 | 865 | 160.7万部 | 53.6万部 |
2013年(平成25年)3月期 | 83,394 | 1,170 | 413 | 160.5万部 | 53.6万部 |
- 単位は百万円。業績数値および発行部数は産業経済新聞社提出の有価証券報告書より転載。
発行媒体
新聞
- 産經新聞(東京・大阪・九州)
- サンケイスポーツ(東京・大阪)
- 夕刊フジ(東京では事実上「産經夕刊」の代替)
- フジサンケイ ビジネスアイ(旧「日本工業新聞」)
- SANKEI EXPRESS(2006年11月1日創刊)
他にUSAトゥデイ(英字新聞、アメリカ合衆国唯一の一般全国紙)の日本での総販売代理店となっており、国際衛星版の新聞を発行していた(現在は終売)。
サンスポ、夕刊フジは1970年-1987年にそれぞれ分社化して「サンケイスポーツ新聞社」「フジ新聞社」より発行していたが、1987年11月に吸収・統合され、現在は産経新聞本体での発行となっている。
雑誌
※2010年(平成22年)6月1日、これらの発行元が産経新聞出版に移行。但し雑誌「正論」と「週刊Gallop」だけは、産経新聞社が発行。また「別冊正論」はグループ企業の扶桑社から刊行。
社旗
- 1960年代前半ごろまで 赤地(紺地だったという説もある)。右上から左下に白地斜めの太目のラインが入り、更にその白地部分に赤の三本線。その中心に丸囲み・縦文字・白抜きで「産経」の文字
- 1960年代中盤ごろ-1988年 赤地。中央に横の白地ラインが入り、そこに水色で「サンケイ」(サンケイスポーツは「サンケイ(改行)スポーツ」)の文字
- なお1965年-1968年、産経新聞が筆頭経営者だったサンケイ・スワローズ→サンケイ・アトムズの球団旗もこの当時の社旗を流用したものが使われ、スワローズ時代は当時の社旗の右下にスワローズの略称である「S」の文字を入れたもの。アトムズの時代は赤地・下の白地ラインに「atoms」のロゴが入ったものが使われていた。
産経新聞グループの企業
- 株式会社産経新聞出版
- サンケイ総合印刷株式会社(東京)
- サンケイ総合印刷株式会社(大阪)
- 株式会社産経新聞印刷
- 産経新聞開発株式会社(東京)
- 産経新聞開発株式会社(大阪)
- 株式会社産経広告社
- 株式会社かんそく(旧・関西地区新聞即売株式会社)
- 大阪放送株式会社(ラジオ大阪)
- 株式会社サンケイアイ
- 株式会社産経デジタル(産経新聞グループのインターネットサイト運営会社)
- 他計13社
関連企業
- 株式会社フジ・メディア・ホールディングス(産経新聞株式の約40%を保有)
- ほか。
出身著名人
- 片岡宏雄(プロ野球選手・コーチ・スカウト。現役引退からサンケイアトムズのコーチとして球界に復帰するまで、産経新聞と夕刊フジの記者を務めた)
- 司馬遼太郎(歴史作家)
- 鈴木邦男(一水会顧問)
- 俵孝太郎(政治評論家・ニュースキャスター)
- 中司宏(政治家、大阪府枚方市長・大手ゼネコン大林組への不正発注に関与した疑いが強まり、競売入札妨害(談合)容疑で逮捕)
- 額賀福志郎(政治家、元防衛庁長官)
- 福島香織(フリー・ジャーナリスト)
- 星野智幸(小説家、早稲田大学教員、新聞のコラムでイチロー選手の発言を「差別はなかったか」と批判したことで有名)
- 松浪健太(政治家、衆議院議員)
- みのもんた(司会者・タレント。研修で文化放送から産経新聞社に通い、新聞原稿をラジオニュース用の原稿に書き換える仕事をしていた)
- 村上英子(旅行ジャーナリスト)
- 森喜朗(政治家、元首相)
- 山谷えり子(政治家、子会社のサンケイリビング新聞社で編集長を務めた)
- 小牧隆之(系列・サンケイスポーツ記者→スポーツライター・競馬評論家)
- 桜庭亮平(ニッポン放送から一時期夕刊フジの記者として出向。その後LF復帰→現フジテレビジョンアナウンサー)
- 湯浅明(ニッポン放送から産経新聞文化部記者として出向。その後退職し、音楽ライター)
不祥事
テレビコマーシャル
脚注
- ↑ この当時から片仮名の略称「サンケイ」が採用されている
- ↑ 産経新聞社長に熊坂専務が昇格 日本経済新聞2011年5月25日
関連項目
- 産経新聞東京本社
- 産経新聞大阪本社
- 産経新聞西部本部
- フジサンケイ ビジネスアイ
- ESSE
- 日東航空 かつての産経系定期航空会社
- メタバース
- 時事新報(産経新聞社傘下で復刊を目指し、会社組織も未だ存在する)