六甲中学校・高等学校
テンプレート:日本の高等学校 六甲中学校・高等学校(ろっこうちゅうがっこう・こうとうがっこう、英:Rokko Junior and Senior High School)は、兵庫県神戸市灘区のカトリック修道会のイエズス会を母体をする中高一貫教育の私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]。
目次
概要
イエズス会により、1937年(昭和12年)財団法人六甲中学校設立。翌年に旧制六甲中学校開校。イエズス会が日本で設立した最初の中等教育の学校である。それ以前には、1913年(大正2年)、東京に上智大学を設立している。
設立当時、戦時色が強まる世相の中、カトリックの学校として軍部に睨まれ[2]、迫害を受け[3]、一時は存廃の危機に見舞われた[2]。そのような中、国民皆兵の全体主義に流れず、一人一人を大切にする教育を願い続け、最後には軍部にもファンが生まれたという[3]。
1947年(昭和22年)に新制六甲中学校、翌年には六甲高等学校も開校し、中高一貫教育となる。昭和30年代には進学実績が上がらず競争率が2倍を割り込む行き詰まりの時代もあったが、2代校長シュワイツェルにより、1学年を3クラスから4クラスにし、若い情熱的な教員を増強、校舎を増改築し、進路指導部を拡充。当時、灘中学・高校に並ぶのではと言われたほどの成果を上げていった[3]。
3代校長以降により、知育だけでなく「訓育」といった、良心に立ち返り、キリスト教の絶対的価値観をよく解釈した、本当の日本人として社会に尽くせる人になる六甲精神の基礎が造られた。
阪急電鉄六甲駅から25分ほど坂を上った所にある。標高差が150~200mあるきつい坂だが、遮るもののない神戸一円の景色、瀬戸内海が見える。
開学間もない1941年(昭和16年)、鉄筋コンクリート造の校舎が建てられた。この年は太平洋戦争開戦の年であり、統制により大規模建造物の建設は規制を受けていたため、学校関係者の苦心も相当なものであったという[4]。
2012年(平成24年)の創立75周年、そして2037年の100周年を見据え、より安全で、時代に即した利便性ある新校舎が、2012年完成した。2010年に旧校舎が取り壊されたが、校舎内廊下のタイル張りなどは旧校舎のデザインを踏襲したものとなっている。2013年(平成25年)4月には講堂棟(アトリウム)の改修工事が完了、宗教科教室と食堂が新設され音楽室と家庭科室の移転も完了した。また仮校舎が建っていた第二グランドは人工芝が整備され、75周年記念事業により校内は大きく様変わりしている。
教育理念
Man for others.(ほかの人々のために生きる人間に)。イエズス会が設立した日本国内の他の学校(栄光学園、広島学院、上智福岡)も同じ理念を共有している。
創立75周年を機に、六甲学院ミッションステートメントが作成された。
カトリックの男子校であり、厳しいしつけの教育と他者を思いやる奉仕の精神、保護者とも蜜に連絡を取り合うアットホームで面倒見のよい教育が、校風となっている。
クラス編成
全学年とも4クラス170名 - 200名強(募集定員は192名)で構成され、全校生徒数は中高併せて約1,100人。完全中高一貫校で、欠員補充を除いて原則として高校入試は行われない(昭和50年代に数年間実施されたこともあったが、実績はあまり上がらなかった)。
教育課程
授業形態の特徴としては、高3の文理共通数学はα、β、γ(上級『最難関大学レベル』・中級『難関大学レベル』・初級『神戸大学レベル』)、英語はA、S、B(advanced『最難関大学レベル』・standard『難関大学レベル』・basic『神戸大学レベル』)と、3クラスが同時に開講されており、異なったテキストで異なった教師が教鞭を取る。それらから自分に合った一つを選択する。なお、英語の授業で提供されるテキスト(『プログレス・イン・イングリッシュ』、『六甲の英語』)は京都大学を意識して作られている。作成したのは、『プログレス・イン・イングリッシュ』が故ロバート・M・フリン(イエズス会神父、元教員)、『六甲の英語』が英語科教員。
以前は、『プログレス・イン・イングリッシュ』を中学高校全学年で使用していたが、近年では中学のみで使用し、高校では『六甲の英語』を使用している。なお、『プログレス・イン・イングリッシュ』は、女子学院中・高、白百合学園中・高、清泉女学院中・高など他校での採用実績もある。
中学校での留年制度は90年代後半に廃止されている。中学校から高等学校への進学基準は厳しくはないが、六甲中学校に入学した約200名の生徒のうち毎年約15名近くは中途退学・他高校進学・転校し、六甲高等学校を卒業できない。
組織
イエズス会の学校のため、創立記念日はフランシスコ・ザビエルの命日である12月3日である。
海外からイエズス会の関係者が視察に訪れることもある。2004年には、バチカン市国の日本で言うところの文部大臣が視察に訪れている。
同窓会として六甲伯友会がある。
通学服
いわゆる海軍士官型で、筑波大学附属中学校や海城中学校・高等学校と同様の濃紺詰襟学生服であるが、校内では白色の「校内着」に着替えなければいけない。
独自の活動
心身共に鍛えるため、現代の教育事情や社会情勢からすると古風とも取れる面を多々持ち合わせている。
中間体操
2・3限の授業の間に全員上半身裸でグラウンドを走る。ただし、紫外線が生徒の健康に悪影響を与えることを考慮し、6月上旬にある体育祭後から9月下旬の文化祭終了までの期間は中止される。かつてはグラウンドを走った後に皆でラジオ体操をしていた。
清掃活動
- 便番:冬季の極寒の中でも、短パン1枚で行うトイレ掃除。
- 頭髪検査:学校の定めた基準通りの頭髪の長さであるかの検査で、月1回行われる。
- 掃除監督:ほとんどの掃除は、中3から高3の各クラスから選出された訓育生、クラス三役(委員長、副委員長、および書記)、高2の指導員(中1を1学期の間指導する役員で、教師により指名される。クラスに1名ずつの計4名)が監督をし、許可をもらわないと終了することができない。
- 欠番作業:掃除を怠った者には罰則があり、通常は中間・期末試験の最終日に行われる。これも生徒指導の下、1時間半ほどの特殊区域(通常掃除区域外)の掃除をする。
学校行事
- 4月:オリエンテーション(中1、高1)、入学式、始業式
- 5月:健康の日、中間考査
- 6月:体育祭
- 総行進が行われる。炎天下に1時間余りにわたって上半身裸・裸足で行われる。
- 7月:期末考査、終業式、久美浜キャンプ(中1)、立山キャンプ(中3)、社会奉仕作業(中3 - 高2、- 8月)
- 8月:インド訪問(3年に1度)
- 9月:始業式、文化祭(中1 - 高2)
- 10月:校外学習(中1 - 高2)、中間考査
- 11月:強歩大会(中1 - 高2)
- 高2以下の生徒が原則11月に、グリーンピア三木内で31kmのコースを5時間以内に走る。年によっては11月でなくなることもある。
- 12月:創立記念日、期末考査、終業式、スキー合宿(中2)
- 1月:始業式、生命について考える日、中学校入学試験
- 2月:高等学校卒業式、研修旅行(高1)
- 3月:学年末考査、修了式、中学校卒業式
部活動
勉学に影響を及ぼさないように、活動は週3日までに制限されている(公式試合前はこの限りではない)。中学1年生はほぼ全員が何らかの部に所属している。全国大会への出場などの目立った成績はあまりないが、まれに弓道部が全国大会に出場することがある。
社会奉仕活動
Man for Others の教育理念の下、様々な社会奉仕活動が行われている。
- インド募金:月1回、1人200円程度を募金し、インドのダミアン社会福祉センターへ送金する。
- 社会奉仕作業:夏期休暇中に1日以上の労働奉仕が行われる。(中3 - 高2)
- 生命について考える日:1月17日(阪神・淡路大震災)頃に、生命について考える講演会が行われる。
- MAGISの日:月一回行われる。全校朝礼が10分延長され、宗教講話が行われる。放課後には希望者対象の講話も実施される。2011年度までは「カト研の日」と言う名称であった。
- 赤い羽根共同募金:10月初めの土日に、街頭募金に参加する。(中1・中2)
委員会活動
六甲学院では、委員会活動が活発である。委員会活動の期間は大きく前期と後期に分けられている。前期が4月 - 9月、後期が10月 - 翌3月までである。
生徒会
近年設立された、六甲学院の生徒による代表統括機関である。生徒の意見を一院制の生徒会会議で審議・集約し、職員会議に持ち込むことなどが主な仕事である。生徒会長は9月に行われる会長選抜選挙で立候補者の中から中1から高2までの投票によって選ばれる。立候補した会長は同時に副委員長・書記まで任命することができる。そのほかの委員は評議員として高校各クラスから2人(そのうちの1人は他のクラス役員と兼ねる)ずつクラス選挙によって選ばれる。
訓育委員会
最も古くから存在する委員会。掃除の監督や朝礼の追い出し、遅刻の清算、日番の管理までと活動は多岐にわたっている。委員は中3 - 高3(後期は高2まで)の各クラスから2,3人ずつクラス選挙によって決められる。訓育委員会の三役は訓育委員会の中で選挙を行って決める。
社会奉仕委員会
比較的古くから存在する委員会。毎月1回のインド募金の実施や夏の社会奉仕活動の実施・統括、そのほか各社会奉仕活動の実施・統括などを行っている。委員は全クラスから2,3人までクラス選挙によって決められる。社会奉仕委員会の三役・執行部は社会奉仕員会の中で選挙を行って決める。
図書委員会
近年発足した委員会。本館5階の学習センターで、司書の補助(具体的には、蔵書の管理、貸出等)を行う。文化祭時には、本館各階に古本の回収ボックスを設け、蔵書の一部と併せて古本市を開催する。委員は全クラスから2,3人までクラス選挙によって決められる。
2013年度より、他委員会との兼任が不可になった。
中間体操委員会
六甲学院の特徴の一つである中間体操を管理する委員会。中間体操委員として前期は高3、後期は高2の中から選ばれる。厳密な定員は定められていない。中間体操委員は中間体操が実施される期間中は、2・3限の間にメガホンを持って生徒の追い出しと中間体操監視を行う。クラスの指導に当たる中間体操委員は、2人で1クラスを受け持ち、第二グラウンドを3周走った後に出欠をとる。その他にも直前授業終了3分後までにグラウンドに出させるために追い出しをし、掃除を怠っていないかなどのチェックをするために便所の見回りをする委員もいる。
中学委員会
生徒会の直轄管理下に置かれ、中学生の意見および意思を集約し、生徒会や他委員会と協議する委員会。全体としては中学生の全12学級のクラス三役(委員長1人、副委員長2人、書記2人で構成される。しかし中3のみ全役1人ずつ)、計52人+αからなる。予算は割り当てられていない。
近時は、中間体操委員の委員長は体育祭の委員長となり中間体操委員が体育祭委員となることがほとんどである。
進学実績
例年生徒全体の4割前後を東大、京大、阪大、神大等の国立大学に輩出する。関関同立合格者も多いが、実際に進学する生徒は少ない。
慶應義塾大学、早稲田大学、東京理科大学への指定校推薦枠を持っている。また姉妹校である上智大学への指定校推薦枠はなくなったが、カトリック高等学校対象特別入試への出願資格が代わって与えられている。
2000年代以降、医学部志向も強まってきており、国公立大医学部や難関私大医学部合格者も増えている。
交通アクセス
沿革
旧制中学校時代
- 1937年(昭和12年)- 財団法人六甲中学校が設立される。
- 1938年(昭和13年)
- 1940年(昭和15年)- 武道場が完成。
- 1941年(昭和16年)- 強歩大会 (53km) を開始。鉄筋コンクリート造4階建ての本校舎が完成。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、この時の4年生(1941年(昭和16年)入学生)から修業年限4年が前倒しで適用されることとなる。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る。
新制中学校・高等学校
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(6・3制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(六甲中学校併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。新制中学校の募集を開始(現・六甲中学校の発足)。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(6・3・3制の実施)が行われる。
- 旧制中学校が廃止され、新制「六甲高等学校」が発足。併設中学校を継承し、「六甲中学校・高等学校」となる。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者/1943年(昭和18年)入学)を新制高校3年生として収容。
- 旧制中学校4年修了者(1944年(昭和19年)入学)を新制高校2年生として収容。
- 併設中学校卒業者(3年修了者/1945年(昭和20年)入学)を新制高校1年として収容。
- 旧制中学校が廃止され、新制「六甲高等学校」が発足。併設中学校を継承し、「六甲中学校・高等学校」となる。
- 1950年(昭和25年)- 財団法人六甲中学校が学校法人六甲学院に改称。
- 1957年(昭和32年)- 講堂と体育館が完成。
- 1961年(昭和36年)- 立山キャンプを開始。
- 1965年(昭和40年)- 校舎増改築(第1期工事)が完成。
- 1966年(昭和41年)- 理科校舎が完成。
- 1967年(昭和42年)- 強歩大会を36kmコースに短縮し再開。
- 1968年(昭和43年)- 創立30周年を記念してプールが完成。
- 1970年(昭和45年)- 六甲改革を実行。
- 1971年(昭和46年)- 久美浜海浜学舎が完成。
- 1974年(昭和49年)- 新別館と聖堂が完成。
- 1976年(昭和51年)- 野球部が第31回国体(若楠国体・佐賀県)軟式野球の部で優勝。
- 1977年(昭和52年)- インド募金を開始。小講堂の増築が完成。
- 1979年(昭和54年)- 立山ヒュッテが完成。
- 1981年(昭和56年)- クラブハウス・弓道場が完成。
- 1985年(昭和60年)- テンプレート:Flagiconインド訪問を開始。
- 1987年(昭和62年)- 創立50周年を記念して新講堂・体育館が完成。
- 1988年(昭和63年)- 生徒研修所が完成。
- 1992年(平成4年)- テンプレート:Flagiconニュージーランド語学研修を開始。
- 1995年(平成7年)1月 - 阪神・淡路大震災により休校・短縮授業を実施。
- 1999年(平成11年)- 六甲生のプロファイルが完成。
- 2001年(平成13年)- 中学入試A・B日程を開始。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 学校週5日制を導入。
- 2010年(平成22年)- 校舎建て替えのため、仮設校舎を設置。旧校舎を解体。柔道場が完成。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)- 新校舎が完成。
出身者
学術
- 山田康之(8期) - 農学博士(京都大学) 京都大学名誉教授 元奈良先端科学技術大学院大学学長
- 井上正順(11期) - 理学博士(大阪大学) ニュジャージー州立大学ロバート ウッズ ジョンソン医科大学の生化学部教授
- 田渕進(12期) - 大阪経済大学教授
- 鈴木克彦(13期) - 関西学院大学名誉教授
- 芹田健太郎(16期) - 神戸大学名誉教授、愛知学院大学教授
- 五百旗頭真(19期) - 法学博士(京都大学)、防衛大学校前校長(前神戸大学大学院法学研究科教授、現名誉教授、元日本政治学会理事長)
- 北徹(22期) - 医学博士(京都大学)、京都大学医学部教授、副学長、神戸市立医療センター中央市民病院院長
- 工藤哲夫(25期) - 京都女子大学文学部教授
- 三木光範(25期) - 工学博士(大阪市立大学)、同志社大学教授
- 兎原卓(26期) - 東海大学文学部教授
- 大芝亮(29期) - 政治学博士(イェール大学)、一橋大学副学長、国際政治学者(元日本国際政治学会理事長)
- 前田忠弘(29期) - 甲南大学教授
- 渡邊頼純(29期) - 慶應義塾大学教授、外務省参与
- 寺井隆幸(30期) - 工学博士(東京大学)、東京大学大学院工学系研究科教授
- 豊原治彦(30期) - 京都大学大学院農学研究科准教授
- 中井善一(30期) - 工学博士(京都大学)、神戸大学大学院工学研究科教授
- 松原英一郎(30期) - 工学博士、京都大学大学院工学研究科教授
- 三明康郎(30期) - 筑波大学大学院数理物質科学研究科教授
- 山崎福之(30期) - 京都府立大学文学部教授
- 池上博司(32期) - 医学博士(大阪大学)、近畿大学教授
- 濱名篤(32期) - 博士(社会学)(上智大学)、関西国際大学学長・教授
- 塩村耕(33期) - 博士(文学)(東京大学)、名古屋大学大学院文学研究科教授
- 浅田匡(34期) - 早稲田大学教授
- 下條真司(34期) - 工学博士(大阪大学)、大阪大学サイバーメディアセンター教授
- ヨコタ村上孝之(35期)- 大阪大学准教授、比較文学者
- 金道浩一(37期)- 理学博士(大阪大学)、東京大学物性研究所教授
- 澤宗則(37期) - 神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授
- 下條善史(37期) - 大阪国際大学現代社会学部准教授
- 秋月謙吾(38期) - 京都大学法学研究科・公共政策大学院教授
- 福井勝則(38期) - 工学博士(東京大学)、東京大学大学院工学系研究科准教授
- 秋山学(39期) - 学術博士(東京大学)、筑波大学准教授
- 大川剛直(39期) - 工学博士(大阪大学)、神戸大学教授
- 川田牧人(39期) -中京大学教授
- 歳森敦(39期) - 博士(工学)(筑波大学)、筑波大学教授
- 山口宏(39期) - 理学博士(大阪大学)、関西学院大学教授
- 山内乾史(39期) - 博士(学術)(神戸大学)、神戸大学教授
- 酒井博之(47期) - 博士(学術)(神戸大学)、京都大学准教授
- 筒井健一郎(47期)- 東北大学准教授、脳科学者
- 五百籏頭薫(49期) - 東京大学准教授(前首都大学東京准教授)
- 入江崇(49期) - 広島大学准教授
- 仲野武志(50期) - 東北大学准教授
- 西浜章平(50期) - 博士(工学)(大阪大学)、北九州市立大学准教授
- 日高平(50期) - 博士(工学)(京都大学)、京都大学助教
- 村上謙(50期) - 埼玉大学准教授
財界
- 雀部昌吾(5期) - バンドー化学元会長
- 鈴木昌(11期) - Jリーグ2代目チェアマン
- 本田敬吉(12期) - 国際通貨研究所理事、経団連OECD諮問委員会元委員長イー・エフ・アイ会長、元サンマイクロシステムズ日本法人会長
- 山本正(12期: 故人) - (財)日本国際交流センター理事長
- 角田嘉宏(13期) - 元神戸経済同友会代表幹事、弁理士
- 伊藤研一(13期: 故人) -伊藤ハム元会長
- 高野幸二郎(17期) - 元フィリピン大使
- 藤田実(17期) - オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパン名誉会長
- 箕浦輝幸(19期) - トヨタ紡織会長、ダイハツ元社長
- 宮戸直輝(19期) - T&Dホールディングス会長
- 石黒征三(19期) - アルパイン元社長
- 樋口有三(19期) - 加地テック元社長、現相談役
- 山田洋暉(19期) - DIAMアセットマネジメント元副社長
- 杉本勝之(20期) - 飯野海運元社長、現相談役
- 川村群太郎(20期) - ダイキン工業副社長
- 栗岡威(21期) - 三井住友海上メットライフ生命元社長
- 鹿島浩之助(21期) - NEC元専務、監査役
- 新田信昭(22期) - 阪急阪神百貨店前社長
- 前川弘幸(23期) - 川崎汽船会長
- 新居尊夫(23期) - センチュリー・リーシング・システム社長、元日本生命副社長
- 仁瓶眞平(23期) - 元クオーク社長、元三井住友銀行常務執行役員
- 柴田啓(24期) - 三井金属エンジニアリング元社長
- 大森一夫(24期) - 住友商事前副社長、名誉顧問
- 塩口哲朗(25期) - ベネズエラ元大使、ヨルダン大使
- 桜井邦雄(25期) - 気象庁元長官
- 守山隆博(25期) - 住友商事前副社長、名誉顧問
- 小林茂(25期) - AIR DO副社長
- 北村明良(26期) - 関西アーバン銀行会長
- 濱田豊作(27期) - 住友商事副社長、CFO
- 渡部賢一(28期) - 野村証券前社長
- 北村隆志(29期) - 海上保安庁長官、 国土交通省前国土交通審議官
- 塩村仁(30期) - ノーベルファーマ社長
- 辻村章夫(31期) - イトキン社長
- 御立尚資(32期) - ボストンコンサルティンググループ日本代表
- 荒木直也(33期) - 阪急阪神百貨店社長
- 山本たかお(34期) - テレビ朝日プロデューサー
- 三木桂一(34期) -ラザード・ジャパン・アセット・マネージメント社長、JPモルガンアセットマネジメント元社長
- 稲畑勝太郎(35期) - 稲畑産業社長
- 森和孝(36期) - KPMG LLP米国ジャパニーズ・プラクティス統括パートナー
- 西村裕二(39期) - アクセンチュア株式会社経営コンサルティング統括本部長
- 中内仁(42期) - 神戸ポートピアホテル社長
- 志立正嗣(43期) - Yahoo執行役員 BS事業統括本部長
- 乾牧夫(43期) - UBS証券アナリスト
- 塩田周三(44期) - ポリゴンピクチャーズ代表取締役社長
- 島田大介(51期) - エンタモーション社長
- 田岡満 -元甲陽運輸社長
- 中内潤 - 元ダイエー副社長
法曹
- 涌井紀夫(17期:故人) - 最高裁判所判事
芸能・文化
- 大森一樹(27期) - 映画監督
- 大谷亮介(29期) - 俳優
- 黒沢清(31期) - 映画監督
- 尾崎将也(36期) - 脚本家
- 入江憲一(38期) - NHKアナウンサー
- 山崎洋一郎(39期) - ロッキング・オン編集長、音楽評論家
- 本田健(43期) - 小説家、実業家
- 岩沢慶明(44期) - ラジオパーソナリティ、スタジアムDJ
- 山田ルイ53世(髭男爵)(51期) - お笑い芸人(中学中退)
- 川原洋二(54期) - ミュージシャン (Sound Schedule)
姉妹校
- イエズス会系列校
- 上智大学(東京都千代田区)
- 上智大学短期大学部(神奈川県秦野市)
- エリザベト音楽大学(広島県広島市中区)
- 栄光学園中学校・高等学校(神奈川県鎌倉市)
- 広島学院中学校・高等学校(広島県広島市西区)
- 上智福岡中学校・高等学校(福岡県福岡市中央区)
脚注
- ↑ 六甲中学校-中学受験スタディの「基本情報」の表による。
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
関連項目
外部リンク
- 学校法人六甲学院 六甲中学校・六甲高等学校 - 公式ホームページ
- 六甲伯友会 - 同窓会