六甲山観光六甲ケーブル線

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|} 六甲ケーブル線(ろっこうケーブルせん)は、兵庫県神戸市灘区六甲ケーブル下駅から六甲山上駅に至る六甲山観光ケーブルカー路線である。

概要

六甲山を登るケーブルカーだが、六甲山最高峰の山頂は3.7kmほど北東にある。六甲山上駅ではケーブルカーと同じく六甲山観光が運行する六甲山上バスに接続しており、バスと六甲有馬ロープウェーを乗り継いで有馬温泉へ抜けることもできる。

アールデコ調の六甲山上駅の駅舎は創業当時のもので、大切に保存されている。山上駅ではコンサートなども催される。なお、創業当初は、六甲ケーブル下駅も六甲山上駅に類似した建物であったが、1938年阪神大水害での被災を契機に現在の山小屋風建築に建て直されている。

従来は阪急電鉄系の阪急バスと競合関係にあったが、2006年の阪急電鉄と阪神電鉄の経営統合に伴う阪急阪神ホールディングス発足に伴い、阪急電鉄側が六甲ケーブルをPRするなど、従来にはなかった変化が見られるようになった。だが阪急バスが通る表六甲ドライブウェイは六甲ケーブル下駅前を高架橋で通過するため、阪急バスは従来どおり六甲ケーブルとは連絡していない。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):1.7km
  • 方式:単線2両交走式
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:2駅(起終点駅含む)
  • 高低差:493.3m

運行形態

20分間隔の運行で、所要時間は10分。

車両

現在の車両は3代目で、1999年より運行開始した。2両連結で、山下側は展望車となっている。赤と深緑の塗装をまとった車両と緑と薄茶色の塗装をまとった車両があり、前者は「クラシックタイプ」後者は「レトロタイプ」と名づけられ、車番はクラシックタイプの山上車が1で展望車が3となっており、レトロタイプは山上車が2で展望車が4となっている。これらは阪神電鉄神戸市電の創業時の車両をイメージしている。

2代目は1959年に日立製作所で製造された車両であり、この車両から展望車つきの2両編成となった。山上車の前面は丸みをおびたボンネット形の形状で、側面は山上車・展望車ともに4扉、折り戸となっていた。塗装は黄色をベースに、1・3号車は赤のラインを、2・4号車は緑のラインを配した塗装となっていた。

ちなみに、現在の八栗ケーブルの車両は2代目の山上車とほぼ同型である。

歴史

戦前、当路線よりも先に阪急系列の六甲登山架空索道によって同線に並行する形で索道線(ロープウェイ)が1931年に開業しており、1944年にそれが不要不急線に指定されて撤去されるまで、六甲への客をめぐり阪急・阪神両陣営による争奪戦を繰り広げた。不要不急線の指定にあたっては六甲登山架空索道・六甲ケーブルともども指定され1944年に両者とも営業を休止しているが、当路線は、ロープウェイと比較してケーブルの撤去が難航するなかで終戦を迎えたため、戦後営業運転を再開している(この、ケーブル撤去の難航について、六甲ケーブルと当時系列会社の関係にあった摩耶ケーブルを優先的に撤去する人員工面の関係から、六甲ケーブル自体は撤去されておらず自家用に限って営業を継続していたとの話もある)。なお、阪急側は戦後、六甲登山架空索道の復旧の代わりに表六甲ドライブウェイの整備に協力し、阪急六甲駅から直行の阪急バスを運転するようになった。

駅一覧

六甲ケーブル下駅(標高244.2m) - 六甲山上駅(標高737.5m)

未成線

テンプレート:See also 前身会社である六甲越有馬鉄道は当初計画として御影町(阪神御影) - 高羽(現在のケーブル下駅)- 有野村東六甲 - 有馬温泉の鉄道敷設免許[2]を持っていた。この計画はケーブルが5か所あり車両がその区間にさしかかると車両を台車に乗せて引っ張り上げるとういう方式であった。阪神は1928年4月にこの会社を買収し傍系会社としたものの莫大な建設費と技術的にも問題があり新在家から山元までバスとし山上まではケーブルという輸送形態に計画を変更した[3]。免許は1937年に失効している[4][5]

接続路線

ギャラリー

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

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  1. テンプレート:Cite web
  2. 『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  3. 『六甲山とともに五十年 六甲ケーブル開業50年史』六甲摩耶鉄道、1982年、2頁
  4. 森村誠之著『鉄道未成線を歩く私鉄編』JTB、2001年、p178
  5. 「鉄道起業廃止」『官報』 1937年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)