矢野通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年8月19日 (火) 13:47時点における史樹 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox プロレスラー

矢野 通(やの とおる、男性、1978年5月18日 - )は、日本プロレスラー東京都荒川区出身。新日本プロレス所属。

経歴

中央大学レスリング部でジャンボ鶴田の2年先輩だった矢野修の息子として生まれ、7歳から父の指導のもと、アマレスをはじめる。京北中学校・高等学校時代には全国高校選抜レスリング選手権、全国高校総合体育大会と様々な全国大会で優勝を果たした。卒業し日本大学進学後も、世界学生選手権日本予選97kg級で優勝。全日本学生選手権ではフリー、グレコの両部門にて制覇しており様々な大会を制する。

大学卒業後の2001年4月、新日本プロレス傘下の闘魂クラブに入団し、2002年より新日本プロレスに入門。同年5月18日にブルー・ウルフ戦でデビューを果たした。2003年8月31日にはパンクラス両国大会に出場し、渋谷修身を相手に総合ルールに挑戦し敗退するも、内外から評価を得た。

2004年から、金髪・田吾作タイツ・半被下駄という酒飲みキャラに扮する。矢野曰く「これが自分の本性を出した第2のデビュー戦」とのこと。ヒロ斎藤後藤達俊というヒール職人に師事し、反則負けを幾度となくやってきた。

2005年2月、蝶野正洋のバックアップを受けて海外武者修行に出発した。同年5月に帰国後、「ブラック・ニュージャパン」入りし、真壁刀義とともに反則三昧のプレーを展開した。しかし、長州力現場監督の「あいつは正統派ならもっと上にいける」という方針から11月に突然ベビーターンした。スコット・ノートンのタッグパートナーを務めている。2006年5月からは石井智宏と「平成の極道コンビ」という名目でタッグを組むようになり、後に天山広吉ら「G・B・H」に石井と共に合流。以降は天山・真壁をサポートする役割に徹していたが、2007年7月29日金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を獲得。同年には真壁とのタッグでプロレス大賞最優秀タッグ賞を受賞した。

2008年2月17日両国大会で真壁と共にIWGPタッグ王座を奪取し第51代王者に君臨。以降4度の防衛に成功し王座を守り続けたが、2009年1月4日、レッスルキングダムIIIチーム3Dブラザー・レイブラザー・ディーボン組)とハードコアマッチルールで対戦。この試合に敗れ同王座を海外へ流出。その後リマッチとして同タッグチームと再び対峙するも、ここでも敗北を喫してしまった。

4月5日、パートナーの真壁に対して椅子攻撃を喰らわせ、G・B・Hを離反。この日に真壁とシングルマッチで対戦した中邑真輔と共闘を宣言し、後に真壁、本間朋晃を除いたG・B・Hメンバーと共に「CHAOS」を結成した。6月20日、DOMINION6.20にて、真壁とシングルマッチで対戦。乱入してきた中邑のアシストを経て、真壁を鬼殺しで葬ったが、7月シリーズに幾度となく真壁が乱入。7月20日に再度シングルマッチが組まれるも、キングコングニードロップでピンフォール負けを献上した。

2010年に入ると棚橋弘至に標的を定め、2月14日に対戦。敗れはしたが、ハサミを持ち出し棚橋の髪を切るという暴挙に出て両者に遺恨が勃発。5月3日のレスリングどんたくにて清算を晴らすべく再戦。ここでも棚橋を新技ハーフネルソン式サイドバスター(後に鏡割と命名)でピンフォールを奪う。試合後、バリカンを持ち出し棚橋の髪を刈ろうと襲い掛かるも失敗に終わる。6月19日、DOMINION6.19にて、ルーザー・ボールド・ルールで完全決着を果たすべく3度目の対戦。最後は十字架固めでピンフォールを負けを喫するも、髪を切られるのに抵抗。しかし、駆けつけて来たKUSHIDATAJIRIに押さえつけられとうとう髪を刈られてしまった。

2011年1月4日、レッスルキングダムVの舞台でTNAロブ・ヴァン・ダムと対戦。この対戦以後、ロブ・ヴァン・ダムの両手の親指で自身を指差すポーズを剽窃し「ヤノ・トー・ルー」とアピールするようになる[1]。これをキッカケに日を追うごとにヒールでありながらコミカルな面が顕著に見られるようになり、二面性を持つレスラーとして観衆から支持を得る。8月のG1 CLIMAX棚橋弘至戦では観客から盛大な「矢野通」コールを受け、棚橋にはブーイングが起こるという「逆転現象」が巻き起こり、その声援を背に棚橋に完勝。結果的に決勝への進出を逃すものの、5勝4敗(勝ち点10点)という好成績をマークし、存在確立によるバイプレーヤー脱却の期待を見せた。

10月10日、全試合終了後の勝利者インタビュー中に棚橋とこの時すでに挑戦を表明していた永田裕志を襲撃し、IWGPヘビー級王座と同王座への挑戦権を強奪。IWGP王座の「I」の部位にガムテープを貼り付けマーカーで「Y」と書き記しカスタマイズ。以降、自らを「YWGPヤノ・レスリング・グランプリ)王者」と名乗り、棚橋を挑発した[2]。11月12日、強奪したベルトをかけて棚橋と対戦[3]するもテキサスクローバーホールドでギブアップ負けをする。試合後にはふてぶてしくベルトを持ち逃げしようとしたが、永田に阻まれ、ベルトを奪還されてしまう。

しかし、これに懲りず翌2012年3月、飯塚高史と共に天コジ天山広吉小島聡組)の保持するIWGPタッグ王座を強奪。5月3日に同王座の挑戦にこじつけると、小島からピンフォール勝ちを収めて第59代王者に戴冠。6月16日にリマッチとして再び交戦するも、凶器の使用で試合の収拾がつかなくなりノーコンテスト裁定に終わる。この目に余る暴挙の末、社長の菅林直樹から王座剥奪を宣告されるも、以降もベルトを保持し続けた。7月22日に天コジとIWGPタッグ王座決定戦で三度対峙するも、ついに敗北を喫し王座を手放した。

2013年2月、飯塚さんと共にプロレスリング・ノアに初参戦。NO MERCYKENTABRAVE杉浦貴丸藤正道を襲撃し、今度は両者が保持していたGHCヘビー級王座GHCタッグ王座を強奪した。さらに、NO MERCYに所属していたマイバッハ谷口と共闘を交わし、マイバッハにヘビー級王座を手渡した。3月10日横浜大会で杉浦、丸藤組とタイトルマッチで対戦。孤立した杉浦を鏡割からピンフォールを奪い、第28代王者に君臨した。また、ノアのチャンピオンになったことからグローバル・オナード・クラウン(GHC、地球規模の崇高なる王位)から「崇高なる大泥棒」のキャッチフレーズがつき、新日本プロレスでも使用されるようになる。

得意技

ヒール転向後はラフ殺法を織り交ぜた悪党ファイトを主体に相手を小バカにする挙動が目立っているが、前述のようにコミカルな一面も備わっており、ごく稀にバックボーンであるレスリングを生かした身のこなしを魅せることもある。また、ほとんどの技の名前は酒の銘柄やそれに関連する言葉が由来となっている。

鬼殺し
現在のフィニッシュ・ホールド水車落としの要領で担ぎ上げ、パワーボムの体勢に持ち替えて叩きつける、変形のフォールダウン・パワーボム。
獣神サンダー・ライガー柴田勝頼が同じ技名を使うが、いずれも全く違う技。
名前の由来は日本酒の銘柄「鬼ころし」。
鏡割
変型のサイドバスター。相手を背後からハーフネルソンの要領で捕えて正面に回り、空いた右手で右腿辺りを外側から抱え込み、相手の体を上下逆さまの状態に持ち上げた後、後頭部から左サイドにマットに叩き付ける。主にビッグマッチや鬼殺しでピンフォールを逃した際に見られ、所謂「奥の手」として使用している。
名前の由来は日本年中行事鏡開き」。
裏霞
正面から首を捕らえ、相手の左足を払い前方へ回転させながら丸め込む変形の首固め
主に急所攻撃で相手が悶絶した所を見計らって繰り出される。フィニッシュとしても多く用いられ、この技で数多くの実力者を倒してきた。
名前の由来は宮城県の日本酒の銘柄「浦霞」。
赤霧
相手をハーフネルソンの要領で捕えて、左足を抱え込み前方へ回転させるフォール技。ピンフォール率の高さは裏霞に比肩する。
名前の由来は焼酎の銘柄「赤霧島」。
強力
ブロックバスターの要領で担ぎ上げた相手の体を振り子のように旋回させながら、ロック・ボトムの形で叩き付ける。
試合中盤で見かける技でフィニッシュへの布石として使用している。
名前の由来は鳥取県原産の酒米強力」。
大吟醸
リバース式鬼殺し。相手を肩車で担ぎ上げ、タイツを掴んでさらにリフトアップさせて前傾しながら相手を顔面からマットに叩き付ける。
名前の由来は「大吟醸」。
八海山
変型のハーフネルソン・スープレックス。 左腕でハーフネルソンに捕えて、腿の裏側から相手の股の間に右腕を差し込んで相手の左腿を抱え込み、後方へと投げ捨てる。
ごく稀に雪崩式で放つこともある。
名前の由来は新潟県地酒を代表する銘柄「八海山」。
黒霧島
腕を極めてのスクールボーイ。矢野が使用するフォール技の中では使用頻度が少ない。
名前の由来は焼酎の銘柄「黒霧島」。
返盃
永田裕志リバースナガタロックⅢに対するカウンタームーブ。同技で極められた反動を生かしてさらに体を回転させ、相手に覆いかぶさるようにピンフォールを奪う技。
名前の由来はさされた酒を飲み干して杯を相手に返す意を持つ「返盃」。
ナイトキャップ
旋回式ブレーンバスター。帰国後の初戦でこの技で勝利している。
名前の由来は「寝酒」。
カナディアン・バックブリーカー
若手時代より得意としていた技。ヒール転向後は全く見られなくなった。
コーナーマットの引き剥がし
相手が場外でダウンしている隙にコーナーマットを引き剥がす。矢野の場合、引き剥がす時間があまりに早く実況間では「ギネス世界記録に載る」とまで評価を得ている。以前はコーナーマットを外した後コーナーマットで相手を殴打していた。
シーソーホイップ
仰向けに倒れた相手の両足を抱え込み、自らは後方に倒れ強引に相手を引き起こす。主に金具が剥き出しとなったコーナーに相手を激突させることが多いが、矢野は他にも飯塚との連携で、矢野が相手をこの技で投げたところに飯塚がアイアン・フィンガー・フロムヘル地獄突きを突き刺すものがある。
急所攻撃
主にバックを取られた際に使用。その際レフェリーの胸元を掴むことでブラインドを付き、ここから裏霞に丸め込むのがよく多様されるフィニッシュ・ムーブである。
木槌攻撃
リングアナウンサーがゴングを叩くために使用する木槌で相手の背中や頭部を殴打する攻撃。背中とタイツの間に隠し持つ姿がよく見られる。
チョーク攻撃
矢野の場合、腕につけているテーピングをほどいて首を絞めつける。
髪の毛を掴んでの引き落とし
ロープに走ろうとする相手の髪の毛を後ろからワシ掴みにしてマットに叩き付ける屈辱技。この技を決めた後にYTR(ヤノ・トー・ルー)ポーズ(下記記述)を行うことが多い。
手錠での拘束
ロープや鉄柵にはめて相手の身動きを取れなくする。逆に相手にはめられることもあるが、セコンドらと揉み合っている間にスルッと逃げたり、いつに間にか相手にはめたりして逃げたりする。

初期に使われた反則技

以下の技は酒飲みキャラとしてヒールになり始めた時期に使用していた技である。何れも反則を取られ、2004年4月から暫くの間、矢野は連続反則負けの記録を作っている。

塩攻撃
手に隠し持った白い粉(塩のようなもの)を相手の顔面に投げつけ、相手の視界を奪う。
酒噴射
酒を口に含み、相手の顔面に噴射。塩攻撃と同様に相手の視界を奪う。
番傘攻撃
入場時に持ってきた番傘で相手を思いっきり叩く。ハードコアマッチでは相手をロープに走らせ、戻ってきたところを野球のバッティングの要領で相手の胸板に殴りつけ、飛んでいったボールを目で追うように天を仰ぐのが定番となっている。2010年下半期から12月末まで抗争を繰り広げていたTAJIRIとの対戦から使用。元々はTAJIRIのグリーンミスト対策のものだった。番傘は渋谷の古民具屋で調達をしていた(「成瀬昌由の自由人ブログ」より)。
下駄チョップ
下駄の足をついている側で相手の背中を殴打する。

アピール

2011年東京ドームでのロブ・ヴァン・ダムとの対戦以降、コミカルキャラが定着し観客へのアピールを行うようになった。

YTR(ヤノ・トー・ルー)ポーズ
自身の名前を呼びながら両手の親指で自身を指差すポーズ。
2011年に対戦したロブ・ヴァン・ダムのアピール「RVDポーズ」を自分の名前に変えて勝手に失敬したものであるが、初めてリング上で行った際、本家並のチャントの大合唱が起きた。
試合中では対戦相手の髪を掴んで引き倒した後か、金具が剥き出しになったコーナーに相手を走り込ませた後に行う。
時折、アピール中に背後から腕を掴まれたり攻撃を受けて妨害される事がある。特に鈴木軍鈴木みのるからは小馬鹿にされたとして、このアピールの最中に後ろから蹴り倒される妨害をよく受けている。
デニーロポーズ
2013年中期から行うようになったアピール。両手を指さしにする。変顔をする以外はお笑い芸人のテルが行うロバート・デ・ニーロのものまねのそれにほとんど同じである。
DVDの宣伝
自身のDVDを持って入場・退場しアピールし、放送席に対しても宣伝するように強要する。特に記者会見場などで清野茂樹アナに対しては「1000枚買え!」、「2000枚買え!」などと言っている。客に対して即売することもある。またG1の記者会見でも宣伝ばかりする。
ただし、矢野をはじめDVDに出演しているレスラーへのギャラは一律であるため、実は多く売れても自身が得をすることはないと自ら語っている[4]

戦績

テンプレート:MMA recordbox

テンプレート:Fight-start テンプレート:Fight-header テンプレート:Fight-cont テンプレート:Fight-end

獲得タイトル

新日本プロレス
プロレスリング・ノア
アパッチプロレス軍
EPW
プロレス大賞
  • 2007年度プロレス大賞 最優秀タッグ賞 ( w / 真壁刀義)
  • 2011年度プロレス大賞 最優秀試合賞 (8月27日、ALL TOGETHER日本武道館大会、矢野通、飯塚高史VS武藤敬司小橋建太

関連項目

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:新日本プロレス

テンプレート:Martialart-stub
  1. レッスルキングダムVで初公開だったのにも関わらず、本家並のチャントの大合唱が起こった。
  2. 矢野は「棚橋はベルトのセキュリティが甘い」と批判しており、ベルトを見せた後は必ずアタッシュケースにしまっていた。一度そのアタッシュケースを棚橋に奪われたが、中に入っていたのはU-30ベルトだった。
  3. この試合の前に行われたIWGP調印式では「会見中に盗まれるかもしれないから」という理由でベルトを持参せず、その保管場所も明かさなかった。更に調印書の本来王者が署名する欄に矢野が署名し、棚橋が抗議するも「“YWGP”王者だから」と取り合わなかったため、結局棚橋は矢野の署名を×印で消してその上に署名した。最後には「俺、時間無いから」と記念撮影を拒否して立ち去った。
  4. 2014年6月28日放送『ブラマヨとゆかいな仲間たち