ウエンツ瑛士

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テンプレート:ActorActress ウエンツ 瑛士(ウエンツ えいじ、英語表記Wentz Eiji、1985年10月8日 - )は、日本俳優タレント歌手ミュージシャンである。本名、ウエンツ 瑛士(ウエンツ えいじ、英語表記:Eiji Wentz)。愛称は、えいちゃん

東京都三鷹市出身。ドイツ系アメリカ人の父親と日本人の母親を持つハーフ[1]。4歳からモデルとして芸能活動を始め、NHK教育テレビ『天才てれびくん』・『天才てれびくんワイド』にレギュラー出演。以後テレビドラマなどで俳優として活動する一方、小池徹平とのデュオ「WaT」として歌手活動も行っている。バーニングプロダクション所属で、マネージメントはウエンツをバーニングに所属させたエヴァーグリーン・エンタテイメントが業務提携という形で行っている。

略歴

テンプレート:存命人物の出典明記

仕事

4歳でモデルデビュー。当時の所属事務所はSugar&Spice。芸能活動を開始後は多くの雑誌・CMを始め、NHK教育の子供番組『天才てれびくん』『天才てれびくんワイド』に5年間に渡りレギュラー出演。 小学4年生から5年間レギュラー出演したNHK『天才てれびくん』では、歴代の司会であるダチョウ倶楽部キャイ〜ン山崎邦正らと共演。この頃のウエンツはお笑いキャラではなく二枚目キャラとして子どもと母親から人気を集めており、小学生にして出待ちがいるほどだった。共演していた山崎邦正は当時のウエンツについて「子どもながらに(全体を)客観的に見ていた」と語っている。

『天才てれびくん』卒業後(14歳)、すぐにジャニーズ事務所からスカウトを受けるが「お笑いが好きだから」という理由で断る。また、それまで所属していた事務所も辞め芸能界を一時引退。約1年半、普通の生活をしていた。その後、共通の知人がいた郷ひろみがウエンツの活動を見て現在の事務所に紹介。ウエンツ自身は芸能活動をする意思はなく断りを入れるために事務所を訪れたが、社長に「おお、入れよ」と言われ「は、はい」と即答してしまい、高校1年生(15歳)でバーニングプロダクションから芸能界に復帰。

学業

高校受験の際、事務所からは堀越学園への進学を進められたが、当時は将来就職するつもりでいたため日本大学櫻丘高等学校に進学した。受験当時学年トップ10に入る成績を取っていたため、学校推薦を受けての推薦入学である。

学校の成績は優秀な方で、高校1年の時には兄の勧めにより塾講師のアルバイトをしていたことがある。一対一の個別授業で小中学生に教えていた。また、映画ゲゲゲの鬼太郎の撮影期間中には、共演していた子役の内田流果や当時高校生の北乃きい(2作目で共演)に宿題等の勉強を教えていたという。

自身で考えた勉強法として、「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」「冬は寒くて眠れない」という理由から夜中にリビングで全裸になり勉強する「全裸勉強法」を実践していた(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)。

お笑い

いわゆるイケメンと見なされる容姿をしていながら、笑いのためならも出すという程の芸人根性の持ち主であり、独自の路線を切り開いている。ただしウエンツにとって「お笑い芸人」とはあくまでも尊敬の対象であり、決して「芸人になりたい」「芸人のようになれる」と思っているわけではなく、命懸けで笑いを追求する芸人達を見ていてそんなことは軽々しく言える事ではない、楽しいことは好きだが「お笑い」という言葉に変わると少し負い目を感じる、と語っている。

お笑い芸人・落語家の月亭方正(旧芸名:山崎邦正)と師弟関係にある。NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。本人曰く、「師匠がいなければ今の俺はいない」とのことで、ほぼ毎年隅田川の花火大会を一緒に見ている。テンプレート:要出典師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』『つまったら歌を歌え』など。しかし、ウエンツにとって師匠は「神様的存在」であるため、直接教えを請うのは今田耕司宮迫博之品川祐などの「お笑いの先生」である。

子どもの頃は特にお笑い好きというわけではなく、テレビもそれほど見ていなかった。バラエティでのトークを貪欲に勉強しはじめたきっかけは、16歳の時新人俳優として初出演した『踊る!さんま御殿!!』である。番組中思うように発言することができなかったことに強烈な悔しさとショックを感じ、落ち込むウエンツを慰めるためにマネージャーがリンガーハットちゃんぽんを食べさせたところ、全て吐いてしまった程だったという(以来それがトラウマとなりちゃんぽんを食べると吐いてしまうようになった)。しかし、その悔しさをバネにそれから徐々にバラエティへの出演本数を増やしていき、翌年(17歳)には『踊る!さんま御殿!!』の常連になる。

『踊る!さんま御殿!!』について、司会の明石家さんまは「あいつは毎回ちゃんとネタ用意してくるから偉い。」と発言。また、高校時代に番組で共演していたネプチューン名倉潤はウエンツを評して「昔は緊張で固まり番組中一言も話せなかった、それが今(19歳)ではあの活躍。あいつは相当な努力をしてきているはず」と語っている。一方で、ネガティブさ故に自分の発言についていちいち反省し過ぎるところがあり、相談をする先輩らからたまに怒られる。

現在ではバラエティで活躍する若い男性タレントは珍しくないが、ウエンツが活躍し始めた当初はえなりかずきとウエンツしかおらず、非常に稀有な存在であった。

ウエンツの笑いに対する貪欲さと勉強量は半端なものではなく、その熱心さについては明石家さんま・関根勤・今田耕司などの芸人らからも評価されている。また関根は「ウエンツをライバル視している」と度々発言しており、「ボケが速い」「心意気が怖い」「あいつには脅威すら感じる」と語っている。

高校卒業以降には年間100本以上のバラエティ番組に出演。パンツ一丁でクワガタに鼻と乳首を挟まれるなど、身体を張った芸にも力を入れだす。成人以降は『あいのり』のレギュラー司会に抜擢、徐々に特番などの司会にも挑戦し始めており、笑いへの(バラエティ番組への)貪欲さが薄れる気配は全く無い。

2008年、フジテレビの報道番組『サキヨミ』のレギュラーに抜擢。また、次世代のお笑い芸人発掘を目的とした番組『新しい波16』で初の単独司会を務める。翌年2009年、『サプライズ』では初のゴールデンタイム・生放送の司会を務める。

俳優

9歳の時、劇団四季のミュージカル美女と野獣』のチップ役で役者デビュー。記念すべき初演のメンバーであり、ミュージカルでは日本初の国内2都市同時ロングランを実現し半年間公演した。また、現在でも劇団四季が好きでほとんどの公演を観ている。

16歳の時、NHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』に森蘭丸役で出演。大河ドラマの重要な役に無名の新人が抜擢されるのは異例のことだが、「正確な日本語を使い、凛とした美しさがある」という理由で抜擢。出演シーンは少ないものの歴代の蘭丸の中でも人気は高い。撮影の際は黒のカラーコンタクトを着用し、濃い目のドーランで白い肌を隠した。しかし、この頃既に俳優としてはハーフ特有の顔立ちのせいで役どころが制限され、役者としてやっていくことに限界を感じていた。

人気特撮ヒーロー「仮面ライダー」になりたくて2度オーディションを受けたが、2度とも落選。しかし、2005年公開の劇場版『仮面ライダー THE FIRST』で念願の出演を果たす。非常に重要な役であるがやはりライダーではなく、怪人役である。また同年には愛の劇場『正しい恋愛のススメ』でドラマ初主演。男性とのキス、母親ほどの熟女とのラブシーンなどで俳優として一回り成長する。

2006年公開の小池徹平主演映画『ラブ★コン』に1カットのみ出演し、チアガールに紛れて乙女メイクに全身ピンクで登場。エンディングロールでは「ウエンツ瑛士(ドゲザ出演)」と表示される。

2007年公開の映画『キャプテントキオ』で映画初主演(21歳)。

2007年公開の実写映画『ゲゲゲの鬼太郎』で主役の鬼太郎役に抜擢される。また、翌年2008年には2作目となる『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』が公開。原作者である水木しげるから、鬼太郎役について「77点」と採点された。水木しげるは何事も80点満点で採点するため、たいへんな高得点である。ちなみに3点減点された理由は「格好良すぎるから」。

2008年、『ゲゲゲの鬼太郎』で『第31回日本アカデミー賞』新人俳優賞受賞。

2009年、蜷川幸雄からの指名で蜷川演出の舞台『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』に出演した。

モデル

4歳の時、幼稚園の友達の誘いでモデルデビュー。天使系美少年と呼ばれ活躍し、多くの雑誌や「ティンカーベル子供服」「森の水だより」などの有名CMをはじめ、LUNA SEAの「IN SILENCE」などのPVにも出演。14歳の時出演した、清涼飲料水「森の水だより」のCM『森の水だより〜美少年編』で注目され、テレビ・雑誌等で取り上げられる。このオーディションは上海、香港、北京、日本で行われ、多くの候補者達の中から「瞳が印象的」という理由で選出された。

高校生で身長の伸びが止まったため、以降モデルとしての活動はしていない。

2006年(20歳)、声優を務めたアニメ映画『ブレイブストーリー』のPRでカンヌ国際映画祭を訪問。そこで出席したパーティの帰り際、ヨーロッパ随一と言われるフランスの高級ファッション誌『Jalouse(ジャルーズ)』の元編集長アレキサンドラ・セネスにスカウトされる。発売された同誌には、海外では無名の存在にも関わらず、4ページにわたり掲載された。

音楽

シンガーソングライターデュオWaT」として小池徹平と音楽活動をしている。2002年に代々木公園近辺で路上ライブを始め、2003年12月、当初0人だった観客が1000人を越え路上ライブを休止。2004年、「WaT」(Wentz and Teppeiの略)として、シングル「卒業TIME」でインディーズデビューする。2005年11月、メジャーデビュー。デビューシングル「僕のキモチ」はオリコンランキングで初登場2位を獲得。同年の『第56回NHK紅白歌合戦』にメジャーデビューから史上最短で初出場を果たす。

担当する楽器は、ギターベースキーボードピアノタンバリンなど。

7歳からピアノを(しかしすぐに辞め再開するまではキーボードを愛用)、10歳からベースを弾き始める。路上ライブでは主にアコースティック・ベースとキーボードを担当していた。ギターは17歳頃から始める。作曲はピアノで、作詞は主にトイレですることが多い。アルバム「卒業TIME〜僕らのはじまり〜」収録の『オトナシ』などはトイレで一気に書き上げた。

Mr.Children」「THE YELLOW MONKEY」の大ファンで、吉井和哉を崇拝している。高校の学園祭では友人らと組んだバンドで『バラ色の日々』をカバー。またWaTメジャーデビュー以前にはライブで『SO YOUNG』をカバーしたことがある。ロックバンド系の音楽が好きで、十代の頃などはよくライブハウスにも通っていたらしく、ラジオ番組レコメン!のパーソナリティであるK太郎が「毎週のようにライブハウスで見かけていた」と語っている。

ウエンツ瑛士&ガチャピン&ムックで、レギュラー出演していた「ポンキッキ」のコーナーソング、『ラッキーでハッピー』を子ども達と共に歌い踊る。振り付けはラッキィ池田が担当した。

2007年4月25日、自身が主役を務める映画「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌『Awaking Emotion 8/5』でソロデビュー。オリコンランキングで初登場4位を獲得。

作品

シングル

発売日 タイトル
1 2007年2月14日 ラッキーでハッピー/君に贈る歌
(ウエンツ瑛士とガチャピンムック名義)
「ポンキッキ」コーナー・ソング。「君に贈る歌」は小池徹平の曲。
2 2007年4月25日 Awaking Emotion 8/5/my brand new way ソロデビューシングル。映画『ゲゲゲの鬼太郎』(東宝)主題歌

映像作品

  • LUNA SEA シングル「IN SILENCE」(1996年) - PV
  • MIKIKO シングル「I wanna be…」(2002年) - PV
  • 髭(HiGE)「ドーナツに死す」(from「キャプテントキオ-SOUND&MUSIC ALBUM-」)(2007年) - PV
  • sunny-side up シングル「egg one」内「end of the world」(2007年) - PV。直筆メッセージボードを持って43人の芸能人と共に一瞬の出演

出演

バラエティ

その他のテレビ番組

テレビドラマ

映画

劇場アニメ

吹き替え

舞台

  • 劇団四季ミュージカル美女と野獣(1995年 - 1996年)チップ 役 - 半年間公演
  • WaT Entertainment Show 2004 ACT “do” LIVE Vol.1 「タイトル不明」(2004年)
  • WaT Entertainment Show 2004 ACT “do” LIVE Vol.2 「闇の門」(2004年)
  • WaT Entertainment Show 2005 ACT “do” LIVE Vol.3 「闇夜のカラス」「タイトル不明」(2005年)
  • WaT Entertainment Show 2006 ACT “do” LIVE Vol.4 「スーサイドストア」「IOUJIMA」(2006年)
  • 雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた(2009年)北村次郎 役
  • 謎解きはディナーのあとで (2012年)風祭警部 役
  • 天才執事ジーヴス(2014年)バーティ・ウースター 役

CM

ネット配信

  • 株式会社USENGyaO(2005年) - WaT

書籍

雑誌連載

  • JUNON
  • VERY
  • 読売新聞夕刊(2005年10月 - 2006年03月)コラム「ウエンツ瑛士のラッキーパンチ」
  • Duet(2000年10月 - 2008年6月)
  • Myojo
  • 読売新聞夕刊(2009年4月 - 2009年9月)コラム「ウエンツ瑛士のポタリング的日常」

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. WaT公式ホームページ
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