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ノエル・トマス・デヴィッド・ギャラガー(Noel Thomas David Gallagher、1967年5月29日 - )は、イギリスのミュージシャンである。身長173cm。ロックバンド、オアシスの元ギタリスト兼ボーカリスト。同バンドのリード・ボーカリストであったリアム・ギャラガーは実弟である。
オアシスのメイン・ソングライターを務め、「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」や「ワンダーウォール」、「シャンペン・スーパーノヴァ」に象徴されるような卓越したメロディ・センス・高いソングライティング能力で、一躍世界的ロックバンドに成長させた。いくつかの楽曲では、リアムに代わってボーカルも担当している。
2009年8月、オアシスを脱退。2011年10月よりノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ名義で本格的なソロ活動をスタートした。
目次
生い立ち
ノエル・ギャラガーは、マンチェスターのロングサイトで、アイルランド人の両親、母ペギーと父トミー・ギャラガーとの間に生まれた。彼は、3兄弟の次男として生まれた(長男ポール、三男リアム)。三男のリアムが1972年に生まれた直後に、ギャラガー兄弟はマンチェスターのバーネイジに移り住んだ。
彼は不幸な子供時代を送った。ギャラガー兄弟はしばしばアルコール依存症であった父親から暴力を受けた。長男ポールと次男ノエルの2人は、暴力的な父親に関係する心理的な不安により、吃音を発達させた。長男ポールは自分専用の部屋を与えられたが、ノエルとリアムは同じ部屋を共有させられた。
ペギー・ギャラガーは1976年に、夫との法的な離別権を獲得した。その6年後、彼女は3人の子供たちをつれて夫のもとから離れた。
10代
ティーンエイジャーの頃のギャラガー兄弟(特にノエル)は学校への無断欠席の常習者であり、しばしば警察の世話になっていたという。ノエルはペギーが学校の食堂で働いていた時、学校の昼食の時間に母のもとに立ち寄っていたという。
13歳の時、万引きをはたらいたことにより半年間の保護観察処分を受ける。この時期に、初めて独学でギターを練習し始め、ラジオから聴こえてくるお気に入りの音楽を模倣した。特に彼は、1983年にザ・スミスがトップ・オブ・ザ・ポップスでパフォーマンスした「This Charming Man」から強くインスパイアされた。後に彼は、「その日から、ジョニー・マー(ザ・スミスのギタリスト)になってやろう、そう思うようになったんだ」と語っている。
15歳の時、小麦粉の袋を教師に向けて投げた事が原因で、学校を退学処分となった。
彼はティーンエイジャーの頃から父親の働いている建築会社で働き始める。そのため彼は当時父とのコンタクトを断続的にだが継続させた。が、後にそれを辞めブリティッシュ・ガス(英国のガス会社)に下請けされた別の工務店に配管工として就職した。
そこで彼は鋼鉄製のガスパイプのキャップを右足に落とし負傷するが、その怪我が回復する間、会社は肉体的にそれほど負担にならない倉庫での仕事をノエルに任せるようになる。その期間、彼はギター練習やソングライティングに時間を割く余裕が持てるようになったという。彼はこの倉庫で働いていた時期に、後にオアシスのファースト・アルバムに収録される楽曲を作曲した。
ローディー時代
ノエルは1980年代後期の多くの期間を失業しており、この時期は気晴らしにドラッグをやったり、ソングライティング、ギターの練習などをして過ごした。
1988年5月、ストーン・ローゼズのギグを見に行った時、ノエルはインスパイラル・カーペッツのギタリストであるグラハム・ランバートと会い、知り合いとなる。後にインスパイラルのボーカルであったスティーブ・ホルトがバンドを抜けた時、ノエルはインスパイラルの新しいボーカリストのオーディションを受ける。オーディションには落選してしまうものの、代わりに、彼らのローディーとしての職を得ることになる。
ノエルはインスパイラル・カーペッツのローディーを約2年間務め、日本やアメリカのツアーなども経験する。
オアシス時代
オアシス加入以降の歴史は、オアシスの歴史の項を参照のこと。
1991年、ノエル24歳の時にオアシスに加入。1992年1月15日、オアシスがノエル加入後初のライブを行う。
1996年のMTVアンプラグドにオアシスとして出演予定だったが、リアムが喉の不調を理由に出演を拒否したため、全曲でボーカルを務めた。このため、リアム以外のメンバーも参加したにも関わらず出演名義は"ノエル・ギャラガー"になっている。
2008年9月7日、トロントでのギグの最中にステージに突如上がったファンが後ろからノエルを突き飛ばし、次にリアムに襲いかかろうとした直後、セキュリティーに取り押さえられる。これによってギグが一時中断するというアクシデントが起きるも、数分後に再開した。その後病院で検査を受けたところ、モニタースピーカーに体を強打した影響で肋骨を損傷していることが判明。残りの北米ツアーが延期される事態になった。
2009年8月28日、オアシス公式ウェブサイト上で脱退を表明[1]。
オアシス脱退後
2010年3月25/26日、ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールにてTeenage Cancer Trustが主催するチャリティーコンサートにて、オアシス脱退後初となるソロ公演を行なう。オアシスのメンバーであったゲム・アーチャーや、オアシスのツアーにも参加していたジェイ・ダーリントンなどと共演する。
2011年7月7日に記者会見を開き、初のソロ・オリジナルアルバム『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』のリリース及びアモルファス・アンドロジーナスとのアルバム制作を発表[2]。2011年10月17日にノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズが発売され、翌週よりツアーを開始する。
人物
幼い頃は社交的な性格であったが、父親の絶えまない暴力により、非社交的で他人を信用しない暗い性格へ変わっていった。ノエル自身は労働者階級出身であり、しばしばインタビューにおいて英国の中産階級の人々を嫌う発言をしている。
スキャンダルが多いオアシスだが、ノエルが起こすトラブルの大半は舌禍事件のみでプロ意識は非常に高い。トラブルメーカの弟リアムの不安定な喉の調子や、酩酊状態でステージに上がることに苦言を呈すことが多く、これが原因で兄弟喧嘩に発展することも多い。口こそ悪いものの比較的冷静で温厚、我慢強い性格であり、何度もリアムのトラブルを水に流している。
発言
他のバンドを名指しで酷評するなど、兄弟揃って口が悪いことは有名だが、ノエルは、「ドラッグなんて紅茶を飲むようなもの(ドラッグに関しては1998年で止めたと公言している)」、「スーパーのレジが混んでる時はムカつくから、仕返しに万引きしている」といった問題発言をかつてしたことがある。
ノエルの最も有名且つ悪名高いものとして1995年の、「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」という発言がある。プレスなどを通じて日常的に互いのバンドをけなし合っていたブラーとオアシスだが、シングル同時発売対決でオアシスの方が破れた後、ノエルが発言したものである。
当時のマスコミやエイズ関連団体はノエルを大バッシングし、社会問題にまで発展、ノエルは「デーモンとアレックスには長生きして欲しい」と謝罪した。ちなみに、2012年現在はブラーとの確執はすっかりなくなった模様(詳しくは後述)。
影響
2002年のニュースステーションにおけるインタビューで「ビートルズは大好きだし、彼らと比べられるのは光栄だけど、オアシスとビートルズが音楽的に似ていると感じたことはない。彼らのファッションとか物の見方には影響を受けているけど、音楽的にはローリング・ストーンズやセックス・ピストルズの方がより近いんじゃないかな」と発言をしている。
初めて買ったアルバムは、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』[3]。主に、1960年代のロックから音楽的影響を受けている[4]。1980年代のマンチェスターサウンド(ハシエンダ)も好んで聴いている[4]。
サッカー
大のサッカーファンであり、イギリスでは有名なサッカー番組であるSoccer AMにも何度か出演している。マンチェスター・シティFCのサポーターであり、マンチェスター・ユナイテッドFCが大嫌いであると度々発言している。ナショナルチームではマンチェスター・シティ所属のカルロス・テベス擁するアルゼンチン代表がお気に入りで、同国代表のリオネル・メッシもオアシスのファンを公言している。一方、母国であるイングランド代表には、シティのライバルチームの所属選手が多いためか、皮肉や苦言を呈すことが多い。
2007年10月、ウェイン・ルーニーの婚約者であるコリーン嬢は、ギブソン社のレス・ポールをルーニーの22歳の誕生日にプレゼントする際、ノエルにサインを入れてくれるよう申し出た。ルーニーはマンチェスター・ユナイテッドに所属しており、前述の通りノエルはユナイテッドが大嫌いであるが、これを絶好の機会と考えて快諾。バンドのギター・テクニシャンに命じてギターをマンチェスター・シティのイメージカラーである空色に塗り直させ、マンチェスター・シティのクラブ・アンセムである「ブルー・ムーン」の歌詞をボディ・トップに書き込んで「ハッピーバースデー、スポンジ・ボブ」というメッセージカードを添えてルーニーに届けさせた。ルーニーはこれを見て大笑いしたが、さすがに自宅にこれを置いておくわけにもいかず、チャリティ・オークションに出品した[5]。後日、お返しとしてルーニーはノエルに自身がマンチェスター・シティ戦でゴールを決めた時の写真に「スポンジ・ボブは最高さ」というメッセージカードを添えて送った。
近年のマンチェスター・シティがオイルマネーによって急成長を遂げていることを非常に肯定的に受け止めている。それを快く思わない他クラブのファンや関係者からの批判については「ヴェンゲルと奴の社会主義サッカーなんてクソ食らえだ。クラブのアイデンティティが失われるって、俺達が30年底辺だったことがアイデンティティか?」「オイルマネー? ユナイテッドの選手やファンがガソリン入れるたびにシティに金が入るなんて最高じゃねえか!」と反論している。
ただしユナイテッドを全否定しているわけではなく、アメリカのテレビ番組において「マンチェスターには二つの偉大なクラブ(シティとユナイテッドを指す)があって、最初に選んだ方をずっと応援するのさ。変えることはありえない」と発言しており一定の敬意も見せている。
2012年にはマンチェスター・シティの2012/2013シーズン用のユニフォームのモデルを務めた。
家族
1997年にメグ・マシューズと結婚。2000年1月に娘・アナイスを授かるものの、同年9月に離婚。その後サラ・マクドナルドと交際を始め、2007年9月22日にドノヴァン、2010年10月1日にサニーを出産。マクドナルドとは2011年6月18日に結婚。
ブログ
2008年8月より、バンドの公式サイトで"TALES FROM THE MIDDLE OF NOWHERE"というタイトルのブログを更新していた。数日間隔で更新され文章はすべて携帯電話のメールで送っていた。内容はその日の出来事やツアーの感想が中心。好評を博し、2009年2月のNME Awardに於いてBest Band Blog賞を受賞している。ノエルがオアシス脱退に関する声明を発表した2009年8月28日の更新をもって停止したが、2011年のソロ活動開始後から再び"TALES FROM THE MIDDLE OF NOWHERE VOL.2 :RETURN OF THE DREAD"と題したツアー日記を更新している。
2012年5月25日に日本の音楽番組「ミュージックステーション」(テレビ朝日)に出演。翌日に同番組出演の感想をブログに綴った(発言の内容は後述も参照)。その後誤訳が流布され日本のメディアに取り上げられた[6]。
ディスコグラフィー
アルバム
- 2011年 - ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ (Noel Gallagher's High Flying Birds)(日本盤10月12日)
シングル
- 2011年
- 8月21日 - ザ・デス・オブ・ユー・アンド・ミー (The Death Of You And Me)
- 9月11日 - AKA... ホワット・ア・ライフ! (AKA... What A Life!)
- 2012年
- 1月3日 - イフ・アイ・ハッド・ア・ガン (If I Had A Gun...)
- 3月12日 - ドリーム・オン (Dream On)
- 4月21日 - ソングス・フロム・ザ・グレート・ホワイト・ノース(限定12インチレコード) (Songs From The Great White North...)
オアシス時代のバンド外の活動
ソロアルバム
- The Dreams We Have as Children (Live for Teenage Cancer Trust)(2009)
- 2007年3月27日に ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて行われたTeenage Cancer Trust主催のアコースティック・ライブを音源化したもの。2009年3月15日に英「SUNDAY TIMES」誌の付録CDとして無料配布された。期間限定で、iTunesでも無料でダウンロード可能であった。
収録曲
特に記述のないものは全てオアシスの楽曲
- Fade Away
- Listen Up
- Half the World Away
- The Butterfly Collector (with Paul Weller) (ポール・ウェラー)
- All You Need Is Love (with Paul Weller) (ザ・ビートルズ)
- Don't Go Away
- Sad Song
- Wonderwall
- Slide Away
- There Is a Light That Never Goes Out (ザ・スミス)
- Married with Children
他アーティストとの共演(一部、正式な音源のみ)
- Setting Sun/ケミカル・ブラザーズ ボーカルで参加。(1996) 2007年から日産エクストレイルのCMに使用されている。
- Come Together/Mojo Filters ギターで参加。ボーカルはポール・ウェラー、ベースはポール・マッカートニー。(1996)
- Temper Temper/Goldie ギターで参加。PVにも出演。(1997)
- Let Forever Be/ケミカル・ブラザーズ ボーカルで参加。(1999) 2002年にソニー VAIO、2009年に三菱地所のCMに使用されている。
- Keep What Ya Got/イアン・ブラウン 楽曲提供。PVにも出演。(2004)
- Shoot Down/プロディジー ベースで参加。(2004)
ポール・ウェラーとの共演
- 1995年のアルバム『Stanley Road』(英1位)の「I Wark On Gilted splinters」にギターで参加。
- 1999年のザ・ジャムのトリビュートアルバム『Fire And Skil』に「To Be Someone」をカバー、Liamの「Carnation」にギターで参加。
- 2002年のアルバム『Illumination』(英1位)の「OneXOne」にベース、パーカッション、ドラムで参加。(ギターはゲム)
- 2008年のアルバム『22 Dreams』(英1位)にキーボード、ベースで参加。(ギターはゲム)
- 2012年のアルバム『Sonik Kicks』(英1位)にギター、ベースで参加。
日本でのTV出演
- 2006年11月15日、オアシスのベスト・アルバム『ストップ・ザ・クロックス』の日本盤発売日に「笑っていいとも!」のエンディングゲストとして出演し、司会のタモリにノエル自身のサイン入りのアナログ盤をプレゼントした。
- 2012年5月25日、音楽番組「ミュージックステーション」(テレビ朝日)に出演。
使用楽器
エレクトリック・ギターはBe Here Nowのツアー頃まで、ギブソン・レスポールやエピフォンのリヴィエラやシェラトンを使用していた。現在ではギブソン・ES-355をメインに、ギブソン・レスポールや「トリニ・ロペス」モデルなども使用している[7]。特にエピフォンのギターはデビュー初期より愛用しており、自身のシグネチャーモデル、その名も"Supernova"というギターも発売されている。
アコースティック・ギターは、キャリアの初期にはエピフォン・EJ-200やタカミネのエレアコを使用していたが、現在ではギブソン・J-200を使用している[7]。
かなりのギター・コレクターでもあり、休日には楽器店を訪れることが多い。50年代 - 60年代のギブソンのギターがお気に入りである。1995年のインタビューではギターは18本持っていると答えていたが、サマーソニックで来日した2005年では「93本所有している」と発言していた。
また、ライヴで使用するアンプは マーシャルやオレンジをBe Here Nowのツアー頃までメインにしていたが、VOX・AC-50やフェンダー・Bassmanなどを経て、現在はフェンダー・Blues Juniorを、Line 6・PODと組み合わせて使用している[7]。
レコーディングでは、ベースやドラムス、キーボード、メロトロン、マンドリン、シタール、バンジョー、ピアノ、チェロなども担当するマルチプレイヤーである。
本来は左利きであるが、ギターは右利きで演奏する。ギタリストとしては速弾きなどテクニカルなプレイは殆ど使用せず、「リヴ・フォーエバー」「ホワットエヴァー」「ワンダーウォール」など、1、2弦を基調としたペダル奏法を好んで使用する。
他のバンド関係者との関係
仲の良い他のバンドメンバーも多いが、弟同様気に入らないバンドを名指しで批判するため、諍いに発展することもしばしばである。
- ブリットポップの最盛期である1990年代当時、マンチェスターの労働者階級出身の荒くれ者のオアシスとは対照的に、ロンドンの中流階級出身である芸術家気質のブラーの仲の悪さはあまりに有名だった(取材等で、両バンドの対立が煽られていたとも)。シングル対決で敗れた後、激怒したノエルが「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」とコメントし社会問題に発展した(エイズ関連団体はノエルを大バッシングし、後に謝罪に追い込まれる)。現在では「デーモン・アルバーンは最高のアーティスト。オレはあいつのファンだ」とまで語っている。更に2011年には、クラブで偶然デーモンに遭遇し、酒を酌み交わし当時の事を笑い飛ばしたという。[8]2012年のブリットアワードのアフターパーティではお互いにカメラマンの前に姿を現し、抱擁を交わした。[9]その後も度々ツーショットが取られており、2013年にはライブでの競演が実現するなど、以前では考えられないような良好な関係が続いている。
- 「14歳のころにU2のテレビ出演を見て以来のU2ファン」と公言している。デビュー当時からU2を目標としており、「U2になるのが俺のデカイ夢」とインタビューで語っていた。また08年には「自分のことをオアシスのエッジだと思っている」との発言もある。90年代後半のU2低迷時代から現在に至るまでU2を敬愛しており、ボノから「メディアがU2を大して取り上げてくれなくても、ノエルはいつもU2の偉大な擁護者であり続けてくれた」という言葉を贈られた。
一番好きなアルバムは『アクトン・ベイビー』であり、デビュー前にそのアルバムツアーであるZOO TV ツアーを見に行き、「それまでの自分の人生で見たことがないくらい凄いと思った」と語っている。またアクトン・ベイビー収録の「ワン」を「今まで書かれた中で一番偉大な名曲」と評している。そのため、ノエルはボノに対し「ボノはアフリカについては一言も喋らずにワンを演奏するべきだ」という発言も行っている。[10]
U2のアルバム『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の収録曲「ワン・ステップ・クローザー」は、ボノに対しノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。
U2に対しては常に賞賛の言葉を惜しまず「U2は歴史上最も過小評価されているバンド」「地球上最高の存在」「U2のRunning To Stand StillやPink FloydのNobody's Homeみたいな曲を書けたら、その後二度と曲が書けずに死んだとしても悔いはないだろう」「一番パワーを持ったミュージシャンはボノだと思う。ボノは凄く影響力のある人物だよ。世界を変えようとして実際にそれができてる」等の発言がある。
また2009年8月に行われたU2のライブの打ち上げにも参加した。
- ノエルは 「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーン・デイのファンは大っ嫌いだ」とコメント[11]。また最近では、「ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームス」が、オアシスのヒット曲である「ワンダーウォール」に類似しているとノエルが抗議。曰く「俺達をパクるにはまだ早い」[12]。この抗議に対して、グリーン・デイサイドからのアナウンスはされていない。また、グリーン・デイはマンチェスターでのライブでオアシスの曲をカヴァーしている。
- 「連中が人気なのはAからZでロックバンドを並べた時、ビートルズの隣にあるからだ」「まあ6つくらい良い曲はあるよな」などと発言している。
- レディオヘッドに対しては前衛性を評価する発言やネガティブな一面に対して批判的な発言がある。近年では「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」と言う質問に、「彼らが何をやっているか気になる」と言う理由で、コールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。
ノエルはトム・ヨークに対し、「アンタがどれだけ"オレ達は不運だ"って嘆く事に時間を空費したところで、最終的にはみんな、アンタにはクリープを歌って欲しいだけなのさ」とコメント[10](近年のレディオヘッドは「クリープ」をライヴではあまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが、「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行った事ないからな」と発言した事を受けて、トム・ヨークは「僕は行ったよ。他のアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている[13]。他にも「間違っていれば正してくれよ。彼らは『キッド A』からずっと同じレコードを作ってねえか?」[14]、ダウンロード販売においてファンが値段を決める方法をとられた『イン・レインボウズ』に対して「あれは低予算のアルバム販促活動にしか見えなかった、奴らは反逆者やアウトサイダーを気取るのがお望みなんだろう」[15]、「俺は奴らのCDは持ってない。でもライブに行くたびに打ちのめされるよ。あとマムフォード&サンズは好きだ。俺もあんな曲を書いてみたい」などと発言。
基本的にはレディオヘッドを高く評価しており、「00年代以降イギリスで一番重要なバンドはオアシスではなくレディオヘッド」
「レディオヘッドは常に自分たちの領域を広げているバンドだ。俺たちはそういうバンドとは正反対なんだ。でもレディオヘッドはそういうやり方でうまくいっていて、だから俺は彼らを高く評価するんだ」等と評している。
- 比較的若手バンドに対して辛口な評価が多いギャラガー兄弟が揃って絶賛している。カサビアンのオアシスに対する発言は崇拝に近い。名古屋で開催されたサマーソニック05も含め過去数回ステージで共演しており、ギャラガー兄弟とカサビアンのメンバーはプライベートでも親交がある。
- カサビアン同様、ギャラガー兄弟が評価する若手バンドの一つ。ミュージシャンのモリッシー(元ザ・スミス)が、「アークティック・モンキーズが成功するのは早すぎる」と発言し、これに対しノエルが「最初の1、2年でこれだけ騒がれると、それだけで彼らを嫌うやつが出てくるんだよ。でも、彼らにはどうしようもないことだろ」等と擁護し、モリッシーは謝罪するに至った。カサビアン同様、プライベートでの親交があるようである。
- ノエルは、何度か彼らのアルバムに参加したことがあり、「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。"Setting Sun"は俺が製作に関わった曲の中でも最高傑作だと思っている。リアムが聞いたら怒るだろうがな」と語っている。なお、ノエルがヴォーカルを担当した「セッティグ・サン」は、2007年から日産・エクストレイルのCMに採用されている。
- ティーンの頃からビートルズを熱心に聴き、同じアイルランド系、労働者階級出身のミュージシャンということもあり、彼を含めたビートルズを敬愛している。1996年にポールと対面した際、「俺が今日交通事故で死んでも、世界一幸せな人間として死ねる」と発言した。とはいえ近年のポールの作品に対しては「史上最高のシンガーソングライターだがここ四半世紀は肥溜めしか作ってない」と酷評しており、後日ポールに直接そのこと掘り返されて突っ込まれたノエルが苦笑する一幕があった。
- ノエルは、かねてから彼らを「いいバンド」と評していた。コーラル側は当初「口の悪いオアシスから褒められてもうれしくない」と迷惑顔をしていたが、新作のレコーディングはノエル所有のスタジオで行われるなど、結局仲は良い。ノエルはお気に入りのアルバムとして、「シングル・コレクション」を挙げている。
- 2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。プロディジーのリーダー、リアム・ハウレットの妻はリアムの妻・ニコラと実の姉妹であり、その為に親交が深い。
- 2ndアルバム『モーニング・グローリー』収録の「モーニング・グローリー」「シャンペン・スーパーノヴァ」ではウェラーがギターを演奏し、『ザ・マスタープラン』収録の「ザ・スワンプ・ソング」ではブルースハープとギターを担当。ノエルの方も、ウェラーの傑作と名高いソロ3作目『スタンリー・ロード』にゲスト参加。互いに度々ライヴでサポーターとして登場したり、音楽雑誌で対談を行ったり、テレビ番組で共演するなど多岐に渡って交流している。ちなみにウェラーは、オアシスの曲では「ハーフ・ザ・ワールド・アウェイ」がお気に入りであると公言している。
- トラヴィスのデビュー時、ノエルは彼らのファンであると公言していた。1997年にオアシスのツアーで前座を務め、同年12月のマンチェスターのライヴではノエル自身がゲスト参加したことがある。リアムは「トラヴィスは見上げたバンドだ、俺は大好きだよトラヴィス、曲もすごくいいし。あいつらのことはライバルとは思っていない。絶対ちがうね、偉大なバンドではあるけど」と話している。アルバム『ザ・マン・フー』収録曲の「ライティング・トゥー・リーチ・ユー」では歌詞に「ワンダーウォール」という単語が登場し、イントロも「ワンダーウォール」に酷似したコード進行であるが、楽曲のクオリティから、後にノエルの公認を受けている。
- ノエルは懇意のピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズを 6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』のワールドツアー(2005年)のオープニング・アクトに起用した。しかし、ピートがパリのファッション・デザイナーの誕生日パーティに出席したためサポートに現れず、直前で出演をキャンセル。ピートはフランスで当時の交際相手であるケイト・モスと大喧嘩しており、足止めを食らっていたという。結局ザ・ズートンズが代役を務めた。
- ノエル曰く「牛乳1本でさえ自分で買いに行かない重要人物」。このノエルの悪口に対し、エルトンは当時発売されていたベストアルバム『ストップ・ザ・クロックス』の話題を踏まえつつ、「オアシスのベストアルバムがチャート一位を取れなくて本当に嬉しい。ノエルのやつに批判されて以来、オアシスには我慢ならないんだ。牛乳ぐらい一人で買いに行ってるさ。アイツは本当にマヌケだよ。『サンダーバード』のパーカーにそっくりだろ? 最大のヒット曲3つが抜けてて[16]何がベストだ。奴らには一位の資格は無い」と反発[17]。
- ノエル曰く「レディー・ガガなんてどうでもいいよ。肉のドレスとか変な行動で注目を集めてばかりで、音楽はどうなってるんだ? 娘が家で彼女のアルバムをよく聞いているけど、マドンナのライト版だ。マドンナはハードコアだった。音楽も含め、すべての面で先端的だったよ。20年後、人はレディー・ガガの音楽を聞くと思うか? 彼女は奇人や変人のために立ち上がっているつもりかもしれないが、まともな音楽を残すことはできないよ[18]」
- ノエル曰く「エミリー・サンデー? あんなのばあちゃん向けの音楽じゃないか。わけわからん」。ノエルのこの発言を知ったエミリーは、自身のツイッター上で「ノエル、ありがとう」と皮肉を込めて反撃。そのツイートにはファックサインを出している老女の写真が一緒に添えられていた。なお、このコメントの際には、パロマ・フェイスのことを「パロマ・フェイス?頼むよ。誰が彼女がスターだなんて判断したんだ?」と一刀両断している[19]。
- 2012年5月25日の「ミュージックステーション」で共演し、その後のブログで「俺と共演したこの日の日本のアーティストのうちのひとつがAKB48という出来合いの女子グループでね。これがまた30人くらいのグループで全員が13歳から15歳くらいでさ。すんげえ(自分が)年老いた気分にさせられたよ」と綴った[20]。(因みに実際 出演した人数は22人で、平均年齢は20歳。)その2か月後のインタビューでは「いや、かなり異様な体験だったよ。48人のティーンエイジャーに囲まれて座ってんだぜ。マジかよ、って感じだったな。日本には何回も来てるし、そもそも日本のクレイジーなところが好きだしさ。というか、日本に来る欧米人は、そういう異様さというか、ヘンテコなところが大好きで、だから日本に来るんだよ。友達とかに、『日本って、どんな国なの?』と訊かれると、『ファッキン狂ってるよ! メンバーが48人もいる女子アイドル・グループがいるんだぜ』、『ワオ!』ってなるんだ。『でさ、その48人のうち、だれがリード・ヴォーカルを取るか、ファンが投票するんだぜ。でもって、その48人と一緒に、歌番組にこの俺が出たんだよ!』みたいなさ」と笑いながら語っている[21]。
その他のエピソード
- 1995年に「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」をどちらが歌うかでリアムと喧嘩。ノエルが2週間バンドを離脱するトラブルが起きた。
- 1997年にイギリス労働党のパーティに呼ばれ、トニー・ブレアにギターのコードを教えたことがある。
- オアシスのメンバーとして初めて来日したのは1994年だが、その5年前に既にインスパイラル・カーペッツのローディとして来日している(リアムは94年が初来日)。
- クラークスの靴を愛用。アディダスも愛用ブランドの1つ。自身のアコースティックギターにもアディダスのロゴシールが貼られている。日本のファッション雑誌でも私服写真が掲載されるなど、オシャレ好きである。
- 「ノエル」はクリスマスを意味するが、彼自身はクリスマスが嫌いであると発言している。「俺はクリスマスが大っ嫌いなんだ。ラジオから流れる馬鹿らしい音楽やCMには我慢ならない」また、「“サンタクロースなんて、この世にはいない”って娘に言いたくて仕方なかった」ともコメントしている。
- 無神論者である。曰く「俺は信じていない。信仰はあるけど、神の存在なんて有り得ないだろ?」「すべてを支配する大きな存在を信じている人もいるようだけど、俺はそんなことはくだらないと思っている。もし神が存在するんなら、あまりにも役に立ってなさすぎだよ。毎年テロ、飢え、津波とかで人が死んでる。ツインタワーに飛行機で突っ込んだヤツらだって神のためだって言ったけど、ふざけんなって感じだよ」[22]
脚注
関連項目
- en:Noel Gallagher's High Flying Birds (2010年から活動)
- ジェイク・バグ
外部リンク
テンプレート:オアシス (バンド)テンプレート:Link GA- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 「アジカンLOCKS!」
- ↑ 4.0 4.1 『UK特集! オアシス、ノエルの信念』(2/3) 2008年10月27日 X BRAND,Rolling Stone
- ↑ Red Wayne's Blues Guitar
- ↑ 「日本の音楽番組はクソだし狂ってる」 ノエル・ギャラガーの日記「誤訳」で大騒動J-CASTニュース 2012年5年29日
- ↑ 7.0 7.1 7.2 The Complete Noel Gallagher (Oasis) Gear Guide| Dolphin Music
- ↑ ノエル・ギャラガー、デーモン・アルバーンと仲直り、酒を酌み交わす | BARKS
- ↑ http://abcdane.net/site/music/2012/02/damonel-hug-brits2012.html
- ↑ 10.0 10.1 ノエル「ボノは黙ってろ、ヨークは“Creep”だけでいい」
- ↑ 『教えて、ノエル!答えて、リアム!』~その4~
- ↑ グリーン・デイ、オアシスのノエルから苦情!?
- ↑ トム・ヨーク VS ノエル・ギャラガー
- ↑ http://www.mtvjapan.com/news/music/14672
- ↑ http://nmn.nifty.com/cs/catalog/nmn_topics/catalog_080708002419_1.htm
- ↑ ここでは、『ストップ・ザ・クロックス』において、ヒット曲の一部である『ホワットエヴァー』が収録されず、実質上の選曲者であるノエルが一番嫌いなアルバム、3rd『ビィ・ヒア・ナウ』からも(シングルの売り上げが良かったものも含めて)一曲も採用されなかったことを指していると思われる。
- ↑ エルトン、“オアシスを救え”キャンペーンに反対
- ↑ 元オアシスのノエル・ギャラガー、ガガをボロクソ!「奇行で注目を集めているだけで、音楽は大したことない」 - シネマトゥデイ
- ↑ EMELI SANDE エミリー・サンデー、ノエル・ギャラガーの発言に写真で反撃 - BARKSニュース
- ↑ ノエル・ギャラガー、自身のブログでAKB48に言及
- ↑ ノエル・ギャラガー、「日本のクレイジーなところが好きだ」と語る
- ↑ オアシスのノエル・ギャラガー、インタビュー。 | Narinari.com