M-15 (航空機)
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M-15 ベルフェゴル | |
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300px ファイル:PZL M15.jpg | |
概要 | |
用途 | 農業機 |
乗員 | 1名 |
初飛行 | 1973-01-09 |
運用開始 | 1976年 |
製造者 | PZL |
寸法 | |
全長 | 12.72 m |
全幅 | 22.33 m |
全高 | 5.34 m |
翼面積 | 67.9 m² |
重量 | |
空虚 | 3,270 kg |
運用 | kg |
最大離陸 | 5,570 kg |
動力 | |
エンジン | 1x イーフチェンコ AI-25 ジェットエンジン |
出力 | 14.7 kN |
性能(目安) | |
最大速度 | 200 km/h |
巡航速度 | km/h |
航続距離 | 480 km |
最大運用高度 | 4,500 m |
上昇率 | 270 m/min |
翼面荷重 | 48kg/m2 |
装備 | |
農薬タンク | 2900L |
M-15 ベルフェゴル(ポーランド語:M-15 Belphegorエム・ピェントナーシチェ・ベルフェーゴル)は、ポーランドで開発された農業用飛行機である。極めて珍しい複葉のジェット機である。
概要
ソビエトのコルホーズやソフホーズなどの大面積の農場で用いられる農業用飛行機として、ポーランドのWSKミェレツ社で設計された。ウクライナで開発され、PZLでライセンス生産されてソ連にも輸出されていたAn-2Rの後継機として企画された。
低速の農業用複葉機にジェットエンジンを適用するための実験機として、Lala-1が1972年に試作された。原型機は1973年に初飛行し、1976年から量産が開始され、その年のパリ航空ショーに出展され、そこでその奇妙な形状からベルフェゴル(悪魔の名)というあだ名がつけられた。
ジェットエンジン機は経済性に劣るため、1981年までに120機の生産にとどまった。