ワルサーGew43半自動小銃

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Gewehr 43(ゲヴェーア・ドライウントフィーアツィヒ、G43, Gew 43)あるいは Karabiner 43(カラビーナー・ドライウントフィーアツィヒ、K43, Kar 43)は、1943年ドイツで採用されたワルサー社の半自動小銃である。

開発経緯

19世紀末から各国では自動装填式の小銃、すなわち半自動小銃の開発が盛んに行われるようになったが、強力な弾薬を使用する歩兵銃の自動化はかなり困難であった。ドイツでは1896年C96自動拳銃を完成させたパウル・モーゼルが研究を進めていたが、試射時の事故で左眼を失いながら、結局成果を得ることができないまま彼は1914年に亡くなっている。その後、第一次世界大戦の開戦と共に半自動小銃は一層着目されることとなる。それは当時まだ実用化されたばかりの軍用航空機上で使用するためであった。開戦当初の軍用機はまだ機関銃を搭載しておらず、搭乗していた航空兵がお互いボルトアクションライフル銃で撃ち合う状態だった。そこで軍は、より速射のできる小銃を求めてスイスSIG社のモンドラゴンM1908半自動小銃Flieger-Selbstlader-Karabiner 15(15型航空兵用自動装填騎兵銃)として採用、輸入に至った。また、モーゼル社でも研究が続けられ、やはり航空機や飛行船の搭乗兵用としてSelbstlader Mod.1916(1916型自動装填銃)が完成する。この両者の採用は、地上戦ほどの悪条件下での使用ではない航空兵用だったからこそ可能であったものであり、その機構の複雑さ、重量、そして射撃精度の低さは地上戦用の歩兵銃としては重大な欠点であった。その後軍用機には機関銃が搭載されて空戦ではライフル銃は使用されなくなった一方、歩兵銃としての半自動小銃の研究は継続されたが、重量の増加や埃や泥に弱いといった欠点、さらに軍隊における半自動小銃の用兵枠も確立していなかったことも重なり、新型銃の開発は多難を極めた。

ワルサーGew43半自動小銃の登場

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約下の制約で半自動小銃の研究開発は中断し、本格的に再開されたのは1930年代半ばのことであった。モーゼル社ではG35ワルサー社ではA115等、多数の試作銃が製作されたが、いずれも十分な成果が出せずに開発は打ち切られている。そんな中で特に興味深いのはハインリヒ・フォルマーが開発したフォルマーM35A自動小銃である。弾薬に中型弾を使用し連射可能だったM35Aは、A35III型まで改良を重ねられて十分な性能を示したものの、結局は1939年の第二次世界大戦開戦前には開発中止が命令されている。これにはコストの問題や主力小銃であるKar98kの増産に集中するためといった理由と共に、軍部に根強かった中型弾や自動小銃への無理解が指摘されている。その一方で、軍は半自動小銃の開発を諦めたわけではなく、開戦翌年の1940年にはワルサー社とモーゼル社に設計条件を提示して半自動小銃の試作を命じている。これに対応して両社が提示したものは、それぞれGewehr 41 (W)Gewehr 41 (M)と名付けられ、1942年から実戦投入試験が行われた。その結果、より好成績を示したワルサー社製Gew41(W)が1942年12月2日付けでGewehr 41(G41)として制式採用となった。しかしながらその自動装填ガスシステム等による問題が多く、軍はワルサー社に対して更なる改良を促した。ところで、1941年6月から始まった独ソ戦ではドイツ軍は多くの赤軍の兵器を鹵獲した。その中にはトカレフM1940半自動小銃シモノフM1936半自動小銃といったソビエト製の半自動小銃もあった。ワルサー社がこれらを十分に研究したのは間違いないところで、よく似たガス圧利用システムをGew41に組み込むことにより、Gewehr 43が完成されることとなった。

生産

正式にGew43が採用されたのは1943年4月30日付けであるが、ようやく量産が開始されたのは10月となってからである。生産を担当したのは、1943年当初はワルサー社のみであったが、1944年からはベルリン・リューベッカー社とグストロフ社の2社が加わった。生産数については、当時の記録は不完全なものしか残されていないが、銃に刻印されたシリアルナンバーを集計した調査によると、全メーカー合計で462,000丁と推定されている。この内訳として、最大の生産社はやはりワルサー社で225,500丁、次いでベルリン・リューベッカー社が194,000丁、残りの40,500丁がグストロフ社である。ブッヘンヴァルトにあったグストロフ社の兵器工場は、1944年8月にV兵器製造工場の殲滅を狙う英空軍の集中爆撃に遭い、壊滅的打撃を受けているため、同社の製造数は最小となっている。 当初の生産品には、機関部左側面にG.43と刻印されたが、1944年4月25日付けで制式名称がKarabiner43と変更されたため、後の生産品にはK.43と刻印されている。上記の生産数は、Gew43、Kar43を合わせた数値である。Kar43については、Gew43の短縮型で全長が5cm短いとか、生産省力化型である等の情報が広く見受けられるが、これは誤りである。確かに戦争末期のものには工程の省略も見られるが、これは名称とは関係なく行われたもので、現存する両者には、刻印以外に大きな違いは見られない。

特徴

Gew43のメカニズムは、簡単に言うとGew41で採用されたフラップ・ロック式ロッキング・メカニズムに、トカレフ等ソビエト製半自動小銃に類似したガス・ピストン方式による自動装填システムを組み合わせたものである。弾薬の装填方式は、固定弾倉式のGew41から着脱弾倉式に改良され、10発の容量を持つ弾倉を下から装填できた。銃剣の着剣装置はすべて廃止され、機関部後端右側面にはライフルスコープ用のレールが標準装備とされた。

狙撃銃として

開戦のポーランド戦直後よりすでに、前線からのスコープ付き小銃を求める要望は高かった。これに対して軍はKar98kとZF41スコープの組み合わせを制式化するが、この性能は期待外れに終わりつつあった。そのため軍用狙撃銃としては、Kar98kに民間用スコープを装着したものに頼らざるを得なかったが、これにはスコープ自体の絶対数の不足とKar98kの改造・調整に手間が掛かること等から、慢性的な狙撃銃不足は解消できない状況であった。その下で、Kar98kの後継主力小銃ともなり得る新型半自動小銃に、標準仕様で狙撃銃となるポテンシャルをもたせることがある時点で企図されたことは、十分に納得できる。つまり、同時期に新開発され、量産に適した軍制式ライフルスコープGwZF4Gewehr Zielfernrohr 4-fach:4倍率小銃用照準眼鏡)と組み合わせることにより、狙撃銃の大量生産を可能とするものと期待された。

ワルサーGew43半自動小銃の登場するメディア作品

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ゲーム

降下猟兵がスコープ付きを装備。
ガリアン

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参考文献

  • Weaver, W.Darrin, Hitler’s Garands GERMAN SELF-LOADING RIFLES of WORLD WAR II, Collector Grade Publications, Inc, 2001
  • Götz, Hans Dieter, GERMAN MILITARY RIFLES AND MACHINE PISTOLS 1871-1945, Schiffer Publishing, Ltd, 1990
  • Senich, Peter R., The German Sniper 1914-1945, Paradin Press, 1982

関連項目

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