Al.ni.co

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician テンプレート:小文字 al.ni.co(アルニコ)は、1997年に結成された音楽グループ。2001年に解散。

メンバー

上杉昇(うえすぎ しょう)
Vocal作詞作曲担当。神奈川県横須賀出身。
柴崎浩(しばさき ひろし)
Guitar編曲、作曲担当。東京都荒川区出身。

経歴

1997年11月、音楽性の相違を理由にWANDSを脱退[1]した上杉昇柴崎浩により結成。

1998年3月、1stマキシシングル「TOY$!」でデビュー。1998年後半から1999年にかけて2ndシングル「晴れた終わり」、3rd「カナリア」、1stアルバム『セイレン』をリリースし、ライヴツアー「al.ni.co LIVE 1999 #1」(全国6ヵ所8公演)を実施するなど、活動が本格化するかに思われたが、その後は沈黙状態が続いた。

2001年、「自分の音楽をやりたい」という柴崎の言葉を受けた上杉は、WANDS脱退を決意した過去の不自由な自分の姿を重ね、ユニットの解散を決断したという。以後、上杉はソロ活動を経て猫騙(2006年)に、柴崎はabingdon boys school(2005年)にそれぞれ所属。

特徴

元々上杉はWANDSを一人で脱退しソロ活動を開始する予定だったが、上杉のいないWANDSに興味を示さなくなった柴崎も脱退を決意し、二人でal.ni.coを結成することとなった。

WANDS時代は織田哲郎栗林誠一郎など作曲家が制作した楽曲を主にリリースされてきたが、al.ni.coでは、全ての楽曲において作詞・作曲を上杉昇、サウンドプロデュースを柴崎浩が担当[2]

上杉は、楽曲制作にあたり、周りの人達や聴いてくれる人が離れたとしても自分のやりたいことを貫くかその逆かを悩んだが、WANDSをやめた理由が自分が表現したいことができなかったからなので前者を選んだ[3]。また、WANDSで自分のやりたい音楽を表現できたのならWANDSで活動を続けていたかもしれないということも発言している[4]

名前の由来は諸説唱えられており、「アルコールニコチン」説、「アルバイト気分でニコニコしながらやろう」説、などが存在する。これらは、上杉・柴崎の両人がラジオや雑誌などのインタビューで行った発言に起因するものであるが、大半が彼らなりのジョークというべきもので、実際のところは、エレキギターのピックアップに主に用いられるアルニコ磁石から取ったものである。アルニコというなじみの無い斬新な響きに音楽性が象徴されていることから、その名がつけられたようである[5]。ロゴマークとして「@」が使用されていた。

ディスコグラフィー

シングル

発売日 タイトル
c/w
楽曲制作 最高位
1st 1998年3月21日 TOY$!
無意味な黄色~ミーニングレス・イエロー
雨音(EXPANDED DEMO TRACK)
作詞・作曲:上杉昇/編曲:柴崎浩
作詞・作曲:上杉昇/編曲:柴崎浩
作詞・作曲・編曲:上杉昇
15位
デモ音源のままリリースされた「雨音」は、ライヴにて完成型が披露されるがCD化はされなかった。後にソロとなった上杉昇は新たにレコーディングし、アルバム「Blackout in the Galaxy」に収録される。
2nd 1998年11月11日 晴れた終わり
Providence of nature
不変のうた
作詞・作曲:上杉昇/編曲:柴崎浩
作詞・作曲:上杉昇/編曲:鈴木ミチアキ
作詞・作曲・編曲:上杉昇
15位
3rd 1999年1月21日 カナリア
Prayer
あした
作詞・作曲:上杉昇/編曲:柴崎浩
作詞:上杉昇/作曲・編曲:柴崎浩
作詞・作曲:上杉昇
19位
「カナリア」はミズノのCMソングとしてタイアップされた。「Player」はal.ni.co唯一の柴崎による楽曲。

アルバム

発売日 タイトル 最高位 備考
1999年3月3日 セイレン 14位

ライヴ

al.ni.co LIVE 1999 #1

  • 1999年2月17日 渋谷クラブクアトロ
  • 1999年3月21日 札幌ペニーレーン24
  • 1999年3月31日 福岡ドラムロゴス
  • 1999年4月2日 名古屋クラブクアトロ
  • 1999年4月9日・10日 梅田ヒートビート (4月9日は上杉が体調不良で4月30日に公演延期)
  • 1999年4月16日・17日 赤坂BLITZ
  • 1999年4月30日 梅田ヒートビート (4月9日の振替公演)

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:Asbox
  1. al.ni.coとして出演した「真夜中の王国」では、一般の人が持つWANDSというイメージと自分達が志すWANDSにギャップが生じ、ファンに対しても自分に対しても、お互いがフェアなのが脱退だと決め、脱退を決断したと語っている。
  2. アルバム、カップリングで作曲を多数手掛けてきたWANDS時代の柴崎とは違い、al.ni.coでは作曲作品は1つのみで、上杉の志す音楽の補助的な役割だった。
  3. オフィシャルファンクラブ「Flower Company」会報#4
  4. NHK-BS「真夜中の王国」にて
  5. 朝日新聞(1999年)掲載のインタビュー