1934 FIFAワールドカップ
テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1934 FIFAワールドカップ(テンプレート:Lang-en-short)は、1934年5月27日から6月10日にかけて、イタリアで開催された第2回目のFIFAワールドカップである。
目次
予選大会
出場国
出場選手は1934 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選大会 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | |
---|---|---|---|---|---|---|
UEFA | 12 | 欧州予選 | 1組 | 1位 | テンプレート:SWEf | 初出場 |
2組 | 1位 | テンプレート:ESP1931f | 初出場 | |||
3組 | 1位 | テンプレート:ITA1861f | 初出場・開催国 | |||
4組 | 1位 | テンプレート:HUN1918f | 初出場 | |||
2位 | テンプレート:AUTf | 初出場 | ||||
5組 | 1位 | テンプレート:TCHf | 初出場 | |||
6組 | 1位 | テンプレート:SUIf | 初出場 | |||
2位 | テンプレート:ROU1881f | 2大会連続2回目 | ||||
7組 | 1位 | テンプレート:NEDf | 初出場 | |||
2位 | テンプレート:BELf | 2大会連続2回目 | ||||
8組 | 1位 | テンプレート:Flagicon ドイツ | 初出場 | |||
2位 | テンプレート:FRAf | 2大会連続2回目 | ||||
CONMEBOL | 2 | 南米予選 | 9組 | 1位 | テンプレート:BRA1889f | 2大会連続2回目 |
10組 | 1位 | テンプレート:ARG1812f | 2大会連続2回目 | |||
CONCACAF | 1 | 北中米カリブ海予選 | 11組 | 1位 | テンプレート:USA1912f | 2大会連続2回目 |
CAF/AFC | 1 | アフリカ・アジア予選 | 12組 | 1位 | テンプレート:EGY1922f | 初出場 |
概要
本大会
この大会はムッソリーニ率いるファシスト党統治下のイタリアで行われ、対イタリア戦では審判や対戦相手に強い圧力が加えられた。また前回大会の準優勝国アルゼンチンをはじめとして多くの選手を帰化させており、帰化選手がイタリアチームの大半を占めていた。準決勝の審判であったスウェーデン人は対戦前にムッソリーニ本人に会ったといわれており、露骨にイタリア優位の判定を繰り返し、挙句オーストリアのセンタリングを自らクリアーするなどした。大会終了後、イタリア戦の審判の内の幾人かは、母国から出場停止処分を受けている。
第2回大会は、初めて大陸予選が行われた大会である。参加国は、前回の13カ国から32カ国に大幅に増加したが、そのほとんどを(22カ国)ヨーロッパ勢が占めた。前回大会でヨーロッパからの参加国が4カ国に止まったことに抗議するため、前回優勝国のウルグアイは参加を辞退した。この時はまだ開催国枠が設けられておらず、イタリアも予選からの参加だった。ノックアウト方式の予選を勝ち抜いた16チームが本大会に出場した。1回戦を勝ったオーストリア、チェコスロバキア、ドイツ、ハンガリー、イタリア、スペイン、スウェーデン、スイスが準々決勝に進出した。
準々決勝のイタリア対スペイン戦で延長戦後の1対1での引き分けを受けて、再試合が行われイタリアが1対0で勝利した。次の対オーストリア戦を1対0で勝利し、イタリアは決勝戦に進出した。チェコスロバキアはドイツを3対1で破り、決勝に進出した。決勝戦は70分の時点でチェコスロバキアが1対0でリードしていたが、その後2点を取り逆転したイタリアがワールドカップ初優勝を果たした。
このことがきっかけで、主に南米から欧州の代表に選手の流出(例えば1950年から1965年の15年間で800人がフランス、スペイン、イタリア等に流出) が加速し、南米の各代表のチーム力が落ちることになった為、1962年第7回チリW杯終了後、FIFAは生涯1代表(出場できるのは国際試合に出場した際の国籍の代表だけ)と定めた[1]。なお、現在は、重国籍者の例外規定がある。
会場一覧
- スタディオ・リットラーレ(ボローニャ)
- スタディオ・ジョヴァンニ・ベルタ(フィレンツェ)
- スタディオ・ルイジ・フェッラーリス(ジェノヴァ)
- スタディオ・サン・シーロ(ミラノ)
- スタディオ・ジョルジオ・アスカレッリ(ナポリ)
- スタディオ・ナツィオナーレPNF(ローマ)
- スタディオ・リットーリオ(トリエステ)
- スタディオ・ベニート・ムッソリーニ(トリノ)
結果
1回戦
準々決勝
再試合
準決勝
3位決定戦
決勝
優勝国
得点ランキング
順位 | 選手名 | 国籍 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | オルドリッヒ・ネイエドリー | テンプレート:TCHf | 5 |
2 | エドモント・コーネン | テンプレート:Flagicon ドイツ | 4 |
アンジェロ・スキアビオ | テンプレート:ITA1861f | ||
4 | ライムンド・オルシ | テンプレート:ITA1861f | 3 |
レオポルト・キールホルツ | テンプレート:SUIf |
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 松岡完著『ワールドカップの国際政治学』P31