龍造寺家就

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龍造寺 家就(りゅうぞうじ いえなり、生年不詳 - 天正10年(1582年)?)は龍造寺氏の第17代当主龍造寺胤久の子。子に龍造寺光則

実兄の龍造寺第18代当主龍造寺胤栄が天文17年(1548年)に病死した時、自身より水ケ江龍造寺氏の龍造寺隆信が優れていることを察して、後継を拒絶し、隆信に本家を継がせ、自身はその補佐に当たった。その後は、対島津戦で軍功を挙げたという。