龍岡城

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龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口にある近代城郭跡幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていた。日本に二つある五芒星形の西洋式城郭のうちの一つであり、もう一つの西洋式城郭である函館の五稜郭との対比から龍岡五稜郭、あるいは桔梗城とも呼ばれている。国指定の史跡

歴史

文久3年(1863年)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)[1]は、分領である信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得る。

奥殿藩の藩庁は三河国の奥殿陣屋(現在の愛知県岡崎市奥殿町)にあったが、領地の大部分(1万6000石中の1万2000石)は信濃国佐久郡にあり、佐久に陣屋を置いて25か村を支配していた[2]。藩庁の信州への移転は念願であり[3]、幕府による参勤交代緩和(文久の改革)などを好機と見て届け出たものである[3]。幕末、国内情勢が緊迫する中で、東海道沿いにあって動乱に巻き込まれることが懸念される、領地の狭小な奥殿から退避する意味もあったという[3]

西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいた乗謨は、新たな陣屋として稜堡式城郭(星形要塞)を設計する[4]。文久3年(1863年)11月、いくつかの築城候補地の中から田野口村を選定[3]元治元年(1864年)3月に建設を開始した[3](建設開始は文久3年(1863年)11月ともいう[3])。

総工費は4万両[2][3]。慶応2年(1866年)12月には石垣と土塁が竣工、慶応3年(1867年)4月には城郭内に御殿などが完成した[5]。完成時には領民や藩士にもこの新型城郭の見学を許している[5]。しかし、乗謨が老中格・陸軍総裁に就任し公務に忙殺され、経済的・時間的余裕がなくなる状況のもとで石垣工事は簡略化されるなど、未完成部分も多いとされる[6]

龍岡藩廃藩後の明治5年(1872年)、建物は解体され、競売に付される[2][7]。堀も埋められたが、昭和の初期に住民によって復元されたという[6]

城跡に残された御台所櫓には、1875年(明治8年)に田野口村の尚友学校が移転[8]。以後、現在の佐久市立田口小学校に至るまで城跡は小学校として用いられている[8]

1934年(昭和9年)に「龍岡城跡」は国の史跡に指定された[7]

構造

函館の五稜郭の完成(1864年)の3年後に建設が開始されている。五稜郭に比べ、規模は小ぶりである。

築城当時、内郭の中央に藩主宅と政庁が置かれ、正門、通用門はそれぞれ東北、東南の凹面に、また非常門は西北と南南東の凹面に設けられていた。このほか、藩士の長屋や火薬庫、太鼓楼、歴代藩主の祠堂や稲荷社などがあった[7]

稜堡式の形状を取り入れているが、本来ならばすべての稜堡に置かれるべき砲台は西南角に一基しかなく[5]、4~5間(約7~9メートル)という水堀の幅は在来の城と比べても狭い[5]。裏山からは城郭が一望できるなど、要塞としては問題を抱える[5]一坂太郎は、稜堡式の外見は乗謨の西洋築城術に対する学問的興味が高じたもので、あくまでも藩主居館として設計されたものと評している[5]

遺構

現地には、稜堡式の石垣や水堀、御台所()が現存している。廃城後は城内のほとんどが農地転用され、御台所櫓は農機具倉庫として使用された。1875年(明治8年)以後、御台所櫓は小学校校舎として活用され[8]、1929年(昭和4年)に現在地に移築された[8]。築城当時とは反対側にあたる。

移築建造物としては、大広間が佐久市鳴瀬落合の時宗寺の本堂として[7]、東通用口が佐久市野沢の成田山薬師寺の門として[7]、それぞれ移築され現存している。また、薬医門と塀が市内の個人宅に移築されている。

かつての大手門前には「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」があり、龍岡城に関する資料を展示している[7]。予約すれば、御台所櫓の内部見学も可能である。

アクセス

最寄り駅:東日本旅客鉄道(JR東日本)小海線臼田駅

※小海線には龍岡城駅が存在するが、駅から2km以上離れていて、城跡へは臼田駅の方が近い

脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク

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  1. 明治維新後に大給恒と改名する
  2. 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 一坂(2014年)p.46
  4. 一坂(2014年)pp.45-46
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 一坂(2014年)p.47
  6. 6.0 6.1 一坂(2014年)p.49
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 テンプレート:Cite web
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 テンプレート:Cite web