高橋悠治
テンプレート:Portal クラシック音楽 高橋 悠治(たかはし ゆうじ、1938年9月21日 - )は日本の作曲家、ピアニスト。
目次
略歴
この項目は、ラルース音楽事典やニューグローブ音楽事典第二版や日本の作曲20世紀で触れられている項目のほかに、本人による著作に多くを負っています。現在の音楽事典では高橋の経歴については省略された概要しかありません。また、ほかの音楽家との対談で明らかになった項目もあります。ご了承ください。
東京都生まれ。ピアニストの高橋アキは実妹。ピアノとコンピュータによる即興演奏や、日本の伝統楽器と声のための作曲、などの音楽活動を行っている。橋本国彦、團伊玖磨、柴田南雄、小倉朗に作曲を、伊藤裕にピアノを師事。桐朋学園短期大学作曲科を中退後、1960年の東京現代音楽祭でボー・ニルソンの「クヴァンティテーテン」(「量」)の日本初演でピアニストとしてデビューし、注目を浴びる。
1962年からフォード財団助成を得てドイツのベルリンに留学、ヤニス・クセナキスに師事。1966年にはロックフェラーIII世財団の奨学金を得てニューヨークに渡り、コンピュータによる作曲を研究する一方、欧米各地で演奏活動を行い、数々のLP録音を残す。1972年に帰国。1973年には一柳慧、柴田南雄、武満徹、林光、松平頼暁、湯浅譲二とともにグループ「トランソニック」を組織、1976年まで季刊誌の編集などの活動を行った。
また1976年から画家の富山妙子とスライドで絵と音楽による物語作品を製作する。1978年にはタイの抵抗歌を日本に紹介するために水牛楽団を組織、アジアの歌を演奏する活動を行う。1980年から月刊「水牛通信」[1]を発行。CD時代に入り、FONTECから「高橋悠治リアルタイム」といったシリーズで、自作を含む音源群をリリースした。21世紀以後の近年は、レーベルを移っても、ピアノソロの収録が多い。
作風
i(-1968)
多くはペータースから出版され、現在でも入手可能ではある。後に、作品表からは全て割愛された。場合によっては、完全に原譜ごと破棄されたオーボエソロの為の「VIVIKTA(196?)」のような作品もある。(cf. new perspective of new music、ロジャー・レイノルズの元に渡ったコピーのみ現存する)後年の主張に繋がる軽やかさや反復のようなものへの趣向は、すでにこの頃からある。クセナキスにも似た非常に原始的な響きが、調律を変えたピアノや四分音を使うヴァイオリンに聞かれるが、下準備は手間取り再演は難しかった。この頃の作品はジョン・ケージの「記譜法」に一部が収録されている。しかし、自分の弟子があまりにも酷い作品しか書いてこないという理由で、棄てた。この経緯は「たたかう音楽」に詳しくある。
柴田南雄の発案した「配分法」は渡米以前の彼を刺激しただけではなく、後年の彼の「音選び」にも影響を及ぼすことになった。「偶然気がついたが、柴田の教えは書き続けることだったのだ」とあり、現在に至るまで1年間に発表される作品数やライブ演奏は、この世代でも極めて多い。ピアノ奏者として、武満徹、ロジャー・レイノルズ、ジョン・ケージ、アール・ブラウン、ヤニス・クセナキスほかの作品の録音を残した。
ii(1969-)
執筆や対談、鼎談を精力的に行うようになった。この活動に啓発された音楽家に、坂本龍一がいる。音楽雑誌だけでなく、『現代詩手帖』『展望』『思想の科学』『新日本文学』『朝日ジャーナル』『月刊総評』などで活躍した。著作の多くは、上に示した単行本に収録されている。対談のいくつかは、『行動する作曲家――岩城宏之対談集』や『続・谷川俊太郎の33の質問』などで読むことができる。
「へたなものは、金では買えない」とまで言い切ったことは、後の巻上公一に深い影響を与える(注:巻上は「へたでなくてはだめだ」という持論をジャングルライフで展開していた。コンクール制度への不信は「音楽のおしえ」内に触れた文章が一片あり)。「タイの抵抗歌を紹介してもらいたいという依頼を受けたのが、水牛楽団を開始したきっかけ」とあるように、ひととひととが出会う「きっかけ」が、彼にとっての新味に繋がるのに時間はかからなかった。単独の演奏会ではなく、政治集会の枠内で行われることも、あった。ハムザ・エルディーンのソロと水牛楽団が同イヴェント内で演奏することもあり、このような異ジャンルの共存に慣れない聴衆は戸惑った。
幾割かはレコード会社の要求ではあったが、バッハの鍵盤作品をまとめて録音し、オリヴィエ・メシアン、フレデリック・ジェフスキー、ローベルト・シューマン、クロード・ドビュッシー、エリック・サティらの作品をLPに残した。「バッハを弾くのなら、一つ一つの音はちがった役割を持つので、粒はそろえないほうが良い」といった態度(注:1970年代の見解だが、ゴルトベルク変奏曲再録音時も、この視線は維持されている)も、表現へぬくもりを与えている。また一柳慧、三宅榛名、高橋アキほかの人々とのピアノ・デュオ活動も、当時の日本ではいまだ珍しい形態(そもそも調律済のピアノが二台揃うのは稀であった)として注目される。この辺りはフレデリック・ショパンやカール・ツェルニーの「ピアニストは一人になりやすいので、連弾をするのが良い」といった教えが、かたちを変えて生きのこっている。
iii(1982-
「こころざしをもつことは、1969年以後違う意味を持つようになったらしい(カフカ・夜の時間)」とあり、自身の音楽性に対しても懐疑的であった。1980年代初頭から、コンピュータ音楽の新たな可能性を探る。「最先端のコンピュータで新しい音色を探して、いったい何になるのか」という問いを突きつけていた作曲家は以前にもいた。が、コンピュータを新たな方法で使う成功例は世界的にも少なく、そのひとつに「翳り(1993)」がある。ここではサンプラーで出来るだけ短い音を採集し、リアルタイムのキーボード上で操作する、実にピアノ的なパフォーマンス作品でもあった(短く、鳴り難い音は、あまり諸伝統音楽では重視されない点にも注目されたい)。同時期にディヴィッド・チューダーがサンプラーを使わず、コンピュータ自身の発信音によりかかる作品を制作しているのとは、対照的である。ここで得られたノウハウは「音楽のおしえ」でもフルに使われるはずであったが、直前にサンプルが全消去という信じられないアクシデントに見舞われたために、コンピュータからは距離をおく。
ルイジ・ノーノのように左翼系虚無主義に陥ることなく、彼は音楽思考を進化させた。そこで得られた結論は、「音楽のおしえ」に附せられたデジタルブックレットにあるように、「どの音も、違った長さを持ち、違った色を持ち」、しなやかな音楽性が曲尾まで貫かれることであった。こうした経緯が極点に達した作品に、「指灯明(ゆびとうみょう,1995)」がある。通常の五線譜ではなく、指遣いの「型」をまとめた一種の図形楽譜が使用された。強弱も速度も書かれず、一度まとめられた「型」が徐々に異形へ変容するピアニズムは、21世紀現在もこの作品しかない。本人も、「ピアノを新しいやり方で使うのは非常に難しい」(ジャック・ボディとの対談)とのコメント、InterCommunicationへの連載における西洋人の楽器使用法への的確な指摘と厳しい批判があることから、この作品に費やした労力が伺える。
三味線を高田和子から習った過程で、良くなる音とそうではない音とのバランスを重視した作曲を志した結果として、アジア系伝統音楽の痕跡が1990年代以降は、顕著に現れる。「最後のノート」でもシャム伝統音楽のフィンガーシンバルの奏法はそのまま引用され、指灯明の解説でも苗族への言及がある。オーケストラのために作曲することをアナクロニズムだと多くの前衛作曲家が考えていたにも関わらず、盟友であり続けたヤニス・クセナキスや尹伊桑が大オーケストラのための作品で聴衆を啓発していた。これが、ある程度のきっかけを与えたのは間違いがない。その結果として、クセナキスの「キアニア」の日本初演の指揮をし、音符の書かれない「キタラ・カグラ」を作曲している。
この時期にシェーンベルクのピアノ曲全曲をふくむ新ウィーン楽派のピアノ作品をリリース。このころから、自らの音楽史をさかのぼるかのような選曲を見せるようになる。
iv(2001-
第三期以上に自らの過去や既存の作品からの痕跡が増えている。第四期以降の作品もほぼ全てPDF形式で公開しているにもかかわらず、演奏家が自分でヴァージョンを用意しなければならない手間は予想以上に掛かる。
「PIANO2」の初版(2000年)と改訂版(不知火と題された2006年版)を比べ読みしてみると、最近の編集法の様子が良くわかるであろう。初版はリサイタル用にいくつかの音形をくまなくコンピュータ出力(即興採譜ではない)していたが、改訂版はそれが行われていない。「演奏の現場で、より自由な音選びができるように」配慮した結果である。
バッハのゴルトベルク変奏曲を再録し、かつてよりは生ピアノの演奏機会は増えたが、選曲は20世紀前半の音楽に偏りだすのもこの頃になる。かつて柴田の分析で衝撃を受けたバルトークのピアノ曲をリリースする。2010年にはオーケストラのための作曲も、躊躇なく行っている。かつてからの懸案であったオペラも「歌手とブズーキとピアノ」、といった具合に従来の編成を避ける点も健在である。
「新しい音楽をつくることは、うちにもそとにも開かれ、始原へさかのぼり続けること」は、全時期を通じ変わりない。
作品
初期の作品のいくつかはペータースから出版され、現在でも入手可能である。その後の作品の多くは、公式サイトに楽譜が掲載され、ダウンロードして利用することができる。この項で紹介するものの多くは、出版もしくはレコード、CD化されたものである(映画音楽をのぞく。出版社から刊行されている作品の多くは、公式サイトに掲載されていない)。
後日高橋の手によって拡張された作品表が開示されたが、破棄された作品は、その中からもカットされている。
管弦楽曲
- 1969 オルフィカ
- 1971 カガヒ〔歌垣〕
- 1974 非楽之楽(オーケストラのための矛盾)
- 1990 糸の歯車(箏とオーケストラ)
- 1993 鳥も使いか(三絃弾き語りとオーケストラ)
- 1997 キタラ・カグラ(オーケストラのためのシアター・ピース)
室内楽・独奏曲
- 1964 クロマモルフ I (フルート、ホルン、トランペット、トロンボーン、ヴィブラフォーン、ヴァイオリン、コントラバス)
- 1964 クロマモルフ II(ピアノ)
- 1964 6つの要素(4つのヴァイオリン)
- 1967 ブリッジズ II (2オーボエ、2クラリネット、2トランペット、3ヴィオラ)
- 1968 ブリッジズ I (電子チェンバロ、増幅されたチェロ、バス・ドラム、カスタネット。キーボードとシンセサイザーのための版もある)
- 1968 ローザス I (増幅されたヴァイオリン)
- 1968 ローザス II(ピアノ)
- 1968 オペレーション・オイラー(2本、または3本のオーボエ)
- 1968 メタテーゼ I(ピアノ) ※「メタテーシス」とも。
- 1968 メタテーゼ II(ギター)
- 1971 ニキテ(オーボエ、クラリネット、トランペット、トロンボーン、チェロ、コントラバス)
- 1973 メアンデル(ピアノ。弦楽四重奏版、キーボード版もある)
- 1975 毛沢東 詞三首(ピアノ)
- 1976/1982 谷間へおりてゆく(アコーディオン)
- 1976 この歌をきみたちに(1981改訂 ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノ)
- きみたちは解放の道をあゆむ
- ラレスに会いにきて
- 幸福の歌
- 1978 チッ(ト)(フルート、ピアノ)
- 1979 七つのバラがやぶにさく(独奏ヴァイオリン)
- 1982 のづちのうた(打楽器)
- 1984 橋をわたって(十七絃)
- 1986 朝のまがりかどまがれ(ジンベ、ソセ、木のスリット・ドラム、木の実の鈴、中国の小型ゴングと雲鑼(組みゴング))
- 1986 風がおもてで呼んでいる(三絃と朗読)(最終版は「風がおもてで呼んでゐる」(1994)(三絃弾き語り))
- 1987 オフェーリアの歌(ピアノ)
- 1988 残絲曲(ざんしのきょく)(瑟と朗読)
- 1988 ほほえむ手(2台のピアノ)
- 1988 馬の頭は永遠に向かった(アルトフルート、箏)
- 1989 夢天(てんをゆめむ)(瑟)
- 1989 慈善病院の白い病室で私が(ヴァイオリン、マリンバ、スティール・ドラムのソロ、デュオ、またはトリオ)
- 1992 畝火山(五絃琴、呪)
- 1992 三絃散手(三絃)
- 1993 鳥のあそび(七絃楽器)
- 1995 白鳥が池を捨てるように(ヴィオラ、アコーディオン)
- 1996 眠れない夜(Insomnia 1996)(ヴァイオリン、くご)
- 1997 表しえぬものと、ひたすら見合ったままで(ヴァイオリン、オーボエ、ピアノ)
- 光州、1980年5月(ピアノ)
- しばられた手の祈り(ピアノ)
- さまよう風の痛み(ピアノ)
- パレスチナのこどもたちのかみさまへのてがみ(ピアノ)
- 水牛のように(アコーディオン)
- 耳の帆(笙、ヴィオラ)
- 指燈明
- 末弭(ピアノ)
声楽曲
- 1971 玉藻(男声合唱、チェロ)
- 1973 マナンガリ(無伴奏女声合唱)
- 1973 たまをぎ(混声合唱、管弦楽)
- 1977 ぼくは12歳(2003 ピアノ伴奏版[ピアノ版の1,6曲目は戸島美喜夫による編曲])
- 1979 回風歌(男声合唱)
- 1981 最後のノート
- 1981 臨終(歌とオーケストラ伴奏)(2003 日本語訳・ピアノ伴奏版)
- 1983 パレスチナのこどものかみさまへのてがみ
- 1985 ゆめのよる,はこ
- 1987 夢記切(ゆめのきぎれ)---明恵上人の「夢記」による(序/黒犬/帝釈天/唐女/石)(声明 20、太鼓 2、箏 2)
- 1990 ありのすさびのアリス---矢川澄子の詩による(打物 1、歌 1、附歌 1、倭琴 1、石笛・土笛 1、舞 1)
- 1992 菩薩管絃電脳立(序/道行/詠と呪/序(大菩薩)/林邑乱/声/菩薩破/残楽)(花架拳 1、コンピュータ 1、横笛 1、篳篥 1、笙 1、倭琴 1、くご 1、打物 2、歌・キーボード 1)
- 1992 那須野繚繞(三絃弾き語り、コンピューター)
- 1995 夕顔あそび口立(夕顔の家/しののめの道/火も消えて)(龍笛・和琴 1、三絃 1、箏 1、小鼓 1、大鼓 1、太鼓 1、舞 1、読師 1)
- 1996 吉祥経(新羅琴・唄 1、瑟・唄 1、くご 1、竿 2、拝しょう 2、編鐘 1、声・所作 1)
- 1997 別れのために
- こころにとめること
- 夕顔の家
- 最後のノート
- 那須野襲[山田検校による]
- 慈善病院の白い病室から
- 1997 寝物語(声、箏)
- 1999 スイジャクオペラ≪泥の海≫
- 2002 きく/ピアノ 1b(声、打楽器、ピアノ)
- 可不可(室内オペラ)
テープ音楽・電子音楽・コンピューター音楽
- 1962 フォノジェーヌ(テープ、12楽器)
- 1963 Time
- 1975 フーガの[電子]技法
- 1989 それとライラックを日向へ
- 1990 風のイコノロジー(若桑みどり『風のイコノロジー――風に寄せる絵と詩と音楽』に収録)
- 1993 翳り
- 1995 雲輪舌260795
- 2003 KitKat Mix
- 2005 gs-portrait
- 2005 dctnzlgr/dssgrt/wktnwb/hptn/krzlgch
映画音楽
- 1977 北村透谷 わが冬の歌
- 1978 管制塔のうた (記録映画『大義の春』)
- 1979 たとえば「障害」児童教育豊中の教師と子どもたち
- 1981 自由光州
- 1981 ミチコ Michiko
- 1984 海盗り
- 1987 海鳴り花寄せ 昭和日本・夏
編曲
- 1984 坂本龍一「リヴァー」「グラスホッパーズ」(ピアノ)
著書
音楽論
- 『ことばをもって音をたちきれ』(晶文社、1974年)
- 『ロベルト・シューマン』(青土社、1978年)
- 『音楽のおしえ』(晶文社、1976年)
- 『たたかう音楽』(晶文社、1978年)
- 『水牛楽団のできるまで』(白水社、1981年)
- 『長電話』(坂本龍一との共著。本本堂、1984年)
- 『カフカ/夜の時間――メモ・ランダム』(晶文社、1989年)
- 『音楽の反方法論序説』(青空文庫、1997年)
- 『高橋悠治/コレクション1970年代』(平凡社、2004年)
- 『音の静寂静寂の音』(平凡社、2004年)
- 『きっかけの音楽』(みすず書房 2008年)
自伝的著書
- 『ピアノは、ここにいらない──祖父と父とぼくの時代』(編集グループSURE, 2010年)
絵本
- 『あたまのなか』(福音館書店、1991年 富山妙子との共作 CD付き絵本)
- 『けろけろころろ』(福音館書店、2004年 富山妙子との共作 CD付き絵本)
翻訳
- ヤニス・クセナキス『音楽と建築』(全音楽譜出版社、1975年)
- オリヴィエ・ルヴォ=ダロン『クセナキスのポリトープ』(朝日出版社、1978年)
- マリー・シェイファー『教室の犀』(全音楽譜出版社、1980年)
- マルク・ブルデル『エリック・サティ』(岩崎力との共訳。リブロポート、1984年)
- ホセ・マセダ『ドローンとメロディー――東南アジアの音楽思想』(新宿書房、1989年)
注
- ↑ 「水牛通信」の前身は「水牛新聞」で1978年10月に第1号が発行された。1980年1月からは月刊発行になり「水牛通信」となる。32ページで値段は200円。1987年11月号で通算100号になり、これで終刊となった。後に、1割弱の記事をまとめて「水牛通信1978-1987」(リブロポート,1987年,ISBN 4-8457-0310-6)という本として発行された。