馬韓
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馬韓(ばかん)は、紀元前2世紀末から4世紀中葉に、朝鮮半島南部に存在した部族集団である三韓の一つ。帯方郡の南、黄海に接し、東方は辰韓(後の新羅)、南方は倭に接していた。後の百済と重なる場所にあった地域である。
馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。それぞれの部族には酋長がおり、大きな部族の酋長を臣智(しんち)と言い、それに次ぐものを邑借(ゆうしゃく)と呼び、集落に城郭は無く、五十余国が存在した。その内の伯済国が百済になったとする説もある。
『後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦の遺民がおり、馬韓人はその東の地を割いて、彼らに与え住まわせ辰韓人と名づけたという。また、『三国志』魏書弁辰伝によると、馬韓人と辰韓人は言語が異なっていたという。
『後漢書』には「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。(初め、朝鮮王準が衛満に滅ぼされ、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王として自立した。)」と記されており、衛満が箕子朝鮮を滅ぼした際に箕子朝鮮の最後の王、準王は数千人を率いて逃亡し、馬韓を攻め落として韓王となって馬韓を支配したという。
馬韓54カ国
関連出所。[1]
- 感奚国
- 監奚卑離国
- 乾馬国
- 古臘国
- 古離国
- 古卑離国
- 古爰国
- 古誕者国
- 古蒲国
- 狗盧国
- 臼斯烏旦国
- 狗素国
- 狗奚国
- 內卑離国
- 怒藍国
- 大石索国
- 莫盧国
- 萬盧国
- 牟盧卑離国
- 牟水国
- 目支国
- 伯濟国
- 辟卑離国
- 不彌国
- 不斯濆邪国
- 不雲国
- 卑離国
- 卑彌国
- 駟盧国
- 桑外国
- 小石索国
- 素謂乾国
- 速盧不斯国
- 臣濆活国
- 臣蘇塗国
- 臣雲新国
- 臣国
- 兒林国
- 如來卑離国
- 冉路国
- 優休牟涿国
- 爰襄国
- 爰池国
- 一難国
- 一離国
- 日華国
- 臨素半国
- 咨離牟盧国
- 支半国
- 支侵国
- 捷盧国
- 楚離国
- 楚山塗卑離国
- 致利鞠国