飯野郡
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三重県飯野郡の範囲
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、松阪市の一部(東黒部町・神守町・垣内田町・大垣内町・蓮花寺町・乙部町・土古路町・柿木原町・出間町・牛草町を除く、松名瀬町、西黒部町、西野々町、佐久米町、朝田町、立田町、豊原町、山下町、安楽町、山添町、下蛸路町、八太町、上蛸路町、庄町、御麻生薗町以東)にあたる。
歴史
飯野は、垂仁天皇22年、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命が「飯野ノ高宮」で4年間天照大神を祀った[1]とされる地である。 664年に伊勢神宮の神郡であった多気郡から分割して公領とした[2]。宇多天皇の889年に伊勢神宮に1代限りの再寄進を行い[2]、897年に醍醐天皇への譲位が決まると永遠に神郡に復帰させることとした[3]。
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 伊勢津藩 | 31村 | 伊賀町村、陰陽村、久保村、清水村、菅生村、立利村、才田村、上七見村、和屋村、山下村、櫛田村、安楽村、山添村、魚見村、川島村、新開村、腹太村、保津村、六根村、井口村、中河原村、高木村、早馬瀬村、目田村、中万村、下蛸路村、八太村、新屋敷村、上蛸路村、下七見村、松名瀬村 |
志摩鳥羽藩 | 7村 | 稲木村、伊勢場村、法田村、御麻生薗村、庄村、阿波曽村、射和村 | |
紀伊和歌山藩 | 6村 | ●朝田村、古井村、大宮田村、佐久米村、西野々村、西黒部村 | |
津藩・鳥羽藩 | 1村 | 横地村 | |
津藩・和歌山藩 | 1村 | 豊原村[4] |
- 明治4年
- 明治7年(1874年) - 伊賀町村・陰陽村が豊原村に合併。(44村)
- 明治8年(1875年)(42村)
- 立利村・才田村が合併して立田村となる。
- 井口村・中河原村が合併して井口中村となる。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により三重県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)2月5日 - 郡区町村編制法の三重県での施行により、行政区画としての飯野郡が発足。「飯高飯野郡役所」が飯高郡松坂城下に設置され、同郡とともに管轄。
町村制以降の沿革
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21.射和村 22.神山村 23.櫛田村 24.朝見村 25.西黒部村 26.機殿村 27.漕代村(桃:松阪市 1 - 17は飯高郡)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。全域が現・松阪市。(7村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、飯高郡・飯野郡の区域をもって飯南郡が発足。同日飯野郡廃止。
脚注
参考文献
- 大西源一(編)『三重県郷土史』三重県警察部、1939年5月5日
- 角川日本地名大辞典 24 三重県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
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テンプレート:伊勢国の郡- 元の位置に戻る ↑ 斎王ゆかりの地(町外編)|明和町(2014年8月4日閲覧。)
- ↑ 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 大西源一『三重県郷土史』1939年5月5日、P109
- 元の位置に戻る ↑ 大西源一『三重県郷土史』1939年5月5日、P110
- 元の位置に戻る ↑ 津藩領も後に和歌山県が管轄。