韓国労働組合総連盟
テンプレート:Infobox 韓国労働組合総連盟(かんこくろうどうくみあいそうれんめい、韓:한국노동조합총연맹ハングクノドンジョハプチョンヨンメン)は、韓国における労働組合のナショナルセンターである。略称は韓国労総(한국노총、ハングクノチョン)。
目次
概要
1960年11月25日、韓国労働組合協議会と大韓労働組合総連合会(1954年発足)が統合して発足した。しかし、1961年5月の5・16軍事クーデターによって実権を握った朴正煕は、既存の労働組合を一旦解散させ、その上で労使協調・反共を基調としたナショナルセンター「韓国労働組合総連盟」を同年8月30日に改めて発足させた[1]。結成にあたっては日本の全日本労働組合会議(全労会議)の綱領が参考になったと言われる。
結成の経緯から長い間、政府と協調姿勢を取っていたが、最近の新自由主義的諸施策に対しては批判の姿勢を強めていて、必ずしも政府支持とは言えない側面もある。もう一つのナショナルセンターである民主労働組合総連盟(民主労総)が急進的闘争路線を採っているのに対し、韓国労総は社会改革主義的労働組合運動をモットーに穏健路線を歩んでいる[2]。こうした運動方針の違いから民主労総とは対立関係になることもあるが、1996年12月の労働法と安企部法の与党単独採決(ナルチギ採決[3])に対して民主労総が抗議するため行ったゼネスト(1996年12月~1997年1月)に韓国労総も部分参加した他、共同で野外集会を開催するなど、個別問題で共闘することも少なくない。
2012年12月に民主党(金大中・盧武鉉政権における与党勢力の流れを受け継ぐ政党)と院外政党の市民統合党(盧武鉉政権における有力政治家と市民運動勢力が結成)が統合して発足した民主統合党(現・民主党)には最高委員を送り込むなど組織的に参加している。
基礎データ
組合員総数:80万8664人(2012年12月末現在)
- 委員長:文鎮国(ムン・ジングク)문진국
- 副委員長
- ペク・ヤンギル 백영길
- キム・ドンマン 김동만
- イ・ビョンギュン 이병균
- オ・ヨンボン 오영봉
- 事務総長:ハン・グァンホ 한광호
- 産別参加組合数:27組合
- 全国繊維流通労働組合連盟
- 全国電力労働組合
- 全国IT事務サービス労働組合連盟
- 全国海上産業労働組合連盟
- 全国外国企業労働組合連盟
- 全国金融産業労働組合
- 全国タバコ人参労働組合
- 全国科学労働組合連盟
- 全国金属労働組合連盟
- 全国自動車労働組合連盟
- 全国連合労働組合連盟
- 全国観光サービス労連
- 全国逓信労働組合
- 全国タクシー労働組合連盟
- 全国鉄道産業労働組合
- 全国公共労働組合連盟
- 全国医療産業労働組合連盟
- 全国食品産業労働組合連盟
- 全国私立大学校労働組合連盟
- 韓国公務員労働組合連盟
- 全国建設産業労働組合
- 全国公企業労働組合連盟
- 地方組織:16組織、54地区労
- 加盟国際組織
出典:한국노총소개 집행부 프로필(韓国労総紹介 執行部プロフィール)、회원조합현황 (会員組合現況)2012年9月22日閲覧。組合員数及び加盟国際組織については“JILAF Database”(2012年8月13日閲覧)。テンプレート:Cite news
近年の動向
政治勢力化の試みと失敗
韓国労総はその成立過程から歴代保守政権与党を支持する戦略を採り、1988年総選挙で6名、1992年と1996年の総選挙では各5名の労総出身候補者を当選させてきた。しかし1996年、当時の与党である新韓国党が労働法改悪の強行採決したことをきっかけに終止符を打った[4]。1997年の大統領選挙では金大中候補(新政治国民会議)を支持、2000年4月の総選挙では当時の委員長が新千年民主党(民主党)の全国区候補として立候補して当選した他、地域区でも韓国労総出身者が民主党候補として立候補して2名が当選した。
02年11月、労総委員長である李ナムスン(当時)を党首とする韓国民主社会党(2003年4月4日、「韓国社会民主党」に党名変更)を結成。翌2004年4月の総選挙を前に環境保護政党の緑色平和党と合同して緑色社民党を結成し、政治勢力化に挑んだが、得票率0.5%(比例代表)で議席を獲得することが出来ず、李南淳韓国労総委員長を始めとする指導部が辞任する結果となった[5]。新たに委員長に就任した李ヨンドク委員長は民主労総が支援する民主労働党の臨時党大会に出席し、「これまで韓国労総が政治活動において独自活動を展開してきたのは、指導部の一方的な決定だった。今現場の声は民労党とともにするように求めていると確信する」とし、「韓国労組組合員の総意を聞き、民労党とともにする」と述べ、韓国労総レベルでの民労党への集団加入を進めていくことを明らかにした[6]。
ハンナラ党との政策連帯
2007年12月の大統領選挙において韓国労総は、組合員投票で保守系の李明博候補(ハンナラ党)の組織的支持を表明し、同候補の勝利に貢献したが、民主労総をはじめ内外から厳しい批判を受ける形となった[7]。翌2008年4月の第18代国会議員総選挙でも与党に復帰したハンナラ党支持を表明[8]し、韓国労総から4名(地域区3+比例1)[9]がハンナラ党の議員として国会進出を果たした。そして選挙後も政策連帯を基盤に政策協議会を定期的に開会するなど、労政・労使間の協議に力を入れてきた[2]。しかし、与党が進めようとしている専従者賃金支給禁止や交渉窓口一元化を前提とした法改正に対しては、組合活動を無力化するものであるとして反対する姿勢を採っており、対立関係にある民主労総と連帯した反政府闘争を展開したことに因り、政府や与党との関係は冷え込んだ[2]。そして2010年、政府与党が法改正を強行、11年2月に新指導部が誕生した事を契機に韓国労総はハンナラ党との協定を全面破棄、全面的な政府闘争に出ることを表明した[10]。
民主進歩統合政党への参与
2012年に行われる総選挙と大統領選挙を見据え、民主党を中心とした野党統合(民主進歩統合政党)に参加する意向を11月16日に表明した[11]。一方で、統合政党への参加を巡り、労総の地域本部や産別組合ではかなりの数がハンナラ党との関係を維持していた他、政策連帯で当選した労総議員もいたことから、最終的方針は中央執行委員会と代議員大会に持ち越された[12]。そして12月8日の臨時代議員大会で、野党統合政党への参加と支持が決議され、正式に統合政党へ参与することとなった[13]。
2011年12月16日に民主統合党が発足[14]すると、12年1月15日の全党大会まで党運営を行う臨時指導部(最高委員11名で構成)に2名[15]を送り込んだほか、2012年1月20日に指名職の最高委員として李龍得韓国労総委員長が選任された[16]。4月の総選挙までに組合員2万名余りが党費党員として参加する予定となっているため、今後民主統合党内における発言力が高くなる可能性を指摘する声もある[17]。また4月に行われる総選挙に向けた労働政策公約を共同で作成するなど関係を強化している[18]。
第19代総選挙では民主統合党候補として出馬した5名(地域区3+比例2)が当選した[19]。選挙後、韓明淑代表が辞意を表明したことによって行われた党指導部選挙において非盧派の金ハンギルを支持することを6月6日に表明。また20名余りの政策代議員に割り当てられる一人二票のうち一票については組織毎に支持候補を決定することも明らかにした[20]。
政治参与に対する批判
政治参加を進める韓国労総の動きに対し、雇用労働部のイ・チェビル長官は2月15日に行われたマスコミとのインタビューで「国民から見てやりすぎではないかと思う」「労総委員長が特定政党の最高委員を兼務するのは問題」と批判的なコメントをした。これに対し、韓国労総は「(長官の)こうした発言はまともな精神ではとても言えない妄言」「もう気にしないで頂きたい」と真っ向から対決するコメントを発表した[21]。
外部からだけでなく、韓国労総内部でも政治参与に対する批判は強まり、葛藤が深刻化している。2月28日に開催された定期代議員大会は労総指導部の過度な政治参与に反発する代議員の欠席が相次ぎ、(前身となる労組を含め)66年ぶりに大会が不成立となる事態に陥った。「政治と労働運動は分離されるべき」との考えから民主統合党への参加に反対する姿勢を採っていた労総傘下の海運労連や自動車労連など9労連は大会に参加しなかった。またこれらの労連は直近の中央執行委員会でも民主統合党最高委員を務める李龍得委員長に対し、最高委員を辞任し労総委員長の職務に専念するように求めた[22]。前回総選挙でハンナラ党候補として当選した労総出身議員からも「特定政党の政治的道具として利用されていると批判する声も上がった。
李委員長の辞任
李龍得委員長は健康上の理由で7月16日に辞意を表明、同月27日の臨時代議員大会で正式に辞任した[23]。背景には労総内の保守系勢力(親セヌリ党)の反発で主要意志決定単位が機能しなくなっていること、総選挙でセヌリ党が過半数を制した結果、政治的リーダーシップが問われる事態に陥ったことが指摘されている[24]。李委員長の後任を決める補欠選挙で保守系候補が当選した場合、韓国労総が組織的に民主統合党を支持することは難しくなるため、政治方針をめぐる労総内部の勢力争いが長期化することも予想されている[25]。
9月20日に行われた役員補欠選挙には、ムン・ジングク(委員長)とハン・ガンホ(事務総長[26])候補が単独で立候補し、出席した選挙人の74%余の支持で当選した。ムン委員長は保守系労組出身、ハン事務総長は前委員長である李龍得の下で事務総長を務めた背景から保革連合執行部と評され、当面の方針に大きな変化は無いと推測されている[27]。12月に行われた大統領選挙では民主統合党の候補となった文在寅を支援、李前委員長を初めとする労総幹部が文キャンプに大挙参加した[28][29]。
2013年2月に行われた定期代議員大会では、「25日に出帆した朴謹恵政権と労働の課題を解決していくため交渉と闘争を並行して行うことになる」旨を明らかにし、活動基調として労組法改正基調は維持するものの、複数労組の問題点改善などの交渉を並行していくことを確定した[30]。
12月22日、KTXの子会社化を韓国鉄道公社民営化の先鞭として反対するストライキを行った鉄道労組の幹部が潜伏しているとされた民主労総の本部に警官隊が突入した事態が発生した[31]。これを受け、23日に行われた緊急代表者会議で警察による今回の行為を非難、一斉の労政使対話を拒否する方針を決めた。また28日に予定されている民主労総のゼネストにも参加する方針を決めた[32]。 テンプレート:節stub
日本の「連合」との交流
日本における最大のナショナルセンターである日本労働組合総連合会(以下、連合)とは、2007年から非正規雇用や男女平等に関する問題について共同研究を行っている。3回目となった2013年3月の連合と労総の代表団による懇談会では、2015年度までに若年層の雇用と定年延長に関する共同研究を行うことで合意。今年度から半期ごとにセミナーを開催し、2015年のシンポジウムで共同研究結果を発表することになった[33]。
文献
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 2.0 2.1 2.2 「2009年 韓国の労働事情」(人物招聘事業)-2010年4月19日閲覧。国際労働財団「海外の労働事情」より。
- ↑ ナルチギ(날치기)とは韓国語で「かっぱらい」とか「抜き打ち」を意味する言葉である。この時、政府与党が国会に提出した改正労働法は労働運動を制約してきた三禁(復数労組禁止、第3者介入禁止、政治活動禁止)に関し条文上は廃止されたものの、他の規約で制約することも可能とした。また三制(整理解雇制・勤労者派遣制・変形時間労働制)を条文に盛り込むなど労働者側に不利な内容が盛り込まれていた。政府与党はこの改正案を安企部(現・国家情報院)に捜査権を再付与する改正案企部法と共に12月26日早朝、単独で秘密裏に採決を行った。そのため批判的な人達からは「ナルチギ採決」と呼ばれた。出典:金栄鎬『現代韓国の社会運動 民主化後・冷戦後の展開』(社会評論社 2001)55~56頁、168~171頁。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 韓国労総委員長が「総選挙失敗」で辞任 朝鮮日報 2004年4月19日
- ↑ 韓国労総「民労党とともにする」朝鮮日報 2004年7月25日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 朴仁相(韓国国際労働協力院(KOILAF)理事長)「テンプレート:PDFlink」、「国際労働財団」より
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ レイバーネットでは「書記長」と表記されているが、原文のチャムセサンでは「사무총장」(事務総長)と表記されているため、本稿でもそれに従う。
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