静岡FC
テンプレート:複数の問題 テンプレート:サッカークラブ 静岡FC(しずおかエフシー)はかつて存在した日本のサッカークラブ。静岡県静岡市を本拠地として活動していた。なお、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)準会員クラブの藤枝MYFCの母体となったクラブである。
概要
静岡県静岡市を本拠地とし、静岡県草薙総合運動場陸上競技場と隣接する静岡県草薙総合運動場球技場を主に使用していた。又、練習場は藤枝市に所在した。運営法人は株式会社静岡フットボールクラブであった。
歴史
静岡県では、旧清水市の清水エスパルス、磐田市のジュビロ磐田に次ぐJリーグ参戦を目指すサッカークラブ作りが進行しつつあったが、2001年、旧静岡市にJリーグチームを作ろうと元ヴェルディ川崎社長の森下源基と三浦知良の育ての親といわれる納谷義郎(叔父)、宣雄(実父)の兄弟を中心に、当時静岡県社会人サッカーリーグに在籍していた「やまき屋クラブ」(1970年創設[1])を母体として静岡FCが結成された。
2001年シーズンは静岡県リーグ1部で優勝し、東海社会人サッカーリーグへ昇格。
2002年シーズンは東海リーグで優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会は決勝リーグ戦で敗退。
2003年シーズンは東海リーグで2年連続2回目の優勝。地域決勝大会は決勝リーグで敗退。
2004年シーズンは東海リーグで3位。地域決勝大会はグループリーグで敗退。なお、天皇杯に初出場した。
2005年シーズンは東海リーグで2年ぶり3回目の優勝。地域決勝大会はグループリーグで敗退。
2006年シーズンは元横浜フリューゲルスの高田昌明が選手兼任監督に、ヴィッセル神戸元チーム統括本部長の三浦泰年がテクニカルアドバイザー(総監督)に就任。東海リーグはFC岐阜に次ぐ2位。全国社会人サッカー選手権大会(全社大会)は決勝でV・ファーレン長崎に敗れたが、長崎は既に九州リーグで優勝し、地域決勝大会への出場権を得ていたため、静岡FCが地域決勝大会への出場権(全社枠)を獲得した。地域決勝大会はグループリーグで敗退。なお、第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会3回戦でJ2の水戸ホーリーホックに勝利した。
2007年シーズンは東海リーグで2年ぶり4回目の優勝。地域決勝大会はグループリーグで敗退。
2008年シーズンは東海リーグで5回目の優勝。地域決勝大会はグループリーグで敗退。
2009年は東海リーグで3位。全社は1回戦で敗退し、地域決勝大会は出場できなかった。
2010年1月、静岡県社会人リーグ1部の藤枝MYFCに吸収合併された[2]。これにより静岡FCとして10年(「やまき屋」時代からさかのぼれば40年)の歴史に幕を下ろした。なお、合併以降の藤枝MYFCの状況は当該項目を参照のこと。
成績・歴代監督
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 監督 |
2001 | 静岡県1部 | 優勝 | 33 | 12 | 11 | 0 | 1 | 55 | 10 | +45 | アンドレ |
2002 | 東海1部 | 優勝 | 37 | 16 | 12 | 1 | 3 | 45 | 16 | +29 | アンドレ →セザール →菊池基 |
2003 | 優勝 | 39 | 14 | 13 | 0 | 1 | 39 | 10 | +29 | サルバドール →ピッコリ | |
2004 | 3位 | 22 | 14 | 7 | 1 | 6 | 39 | 26 | +13 | 納谷宣雄 | |
2005 | 優勝 | 34 | 14 | 10 | 4 | 0 | 46 | 11 | +35 | 松原良香 | |
2006 | 2位 | 35 | 14 | 11 | 2 | 1 | 55 | 16 | +39 | 高田昌明 | |
2007 | 優勝 | 39 | 14 | 13 | 0 | 1 | 46 | 7 | +39 | 藤川孝幸 | |
2008 | 優勝 | 34 | 14 | 10 | 4 | 0 | 45 | 12 | +33 | 高田昌明 | |
2009 | 3位 | 24 | 14 | 7 | 3 | 4 | 20 | 12 | +8 | 高田昌明 →北村邦夫 |