阿部正教
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阿部 正教(あべ まさのり、1840年1月21日(天保10年12月17日) - 1861年7月4日(文久元年5月27日))は、備後福山藩阿部家8代藩主。阿部家宗家12代。
第6代藩主・阿部正寧の長男。母は大河内氏。正室は新発田藩主・溝口直溥の娘。第7代藩主・阿部正弘の甥で養子。官位は従五位下、伊予守。
生涯
備後福山藩の前藩主・阿部正寧の長男として江戸で生まれる。父・正寧は正教の生まれる前に弟(正教の叔父)の正弘に家督を譲っていたため、正教は安政4年(1857年)に正弘の養子となる。同年、正弘の死去により19歳で家督を継いだ。しかし4年後の文久元年(1861年)、23歳で早逝した。子はおらず、跡は弟の正方が継いだ。
藩主在任中に国内は日米修好通商条約調印、安政の大獄、桜田門外の変、日米和親条約締結と激動の時代であったが、正教がそれらに関与することはなく、国元の福山藩も特に大きな事件は起きていない。
墓地は西福寺(台東区浅草)、のち谷中墓地(台東区谷中)に改葬。諡は恭德院殿温誉了法性。