阿部十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

阿部 十郎(あべ じゅうろう、天保8年8月22日1837年9月21日) - 明治40年(1907年1月6日)は、新選組隊士。別名は高野十郎。維新後は、隆明と改名。

来歴

天保8年(1837年)、出羽国由利郡羽広村の百姓・阿部多郎兵衛の次男として生まれる。大坂谷万太郎の下で剣術を学び文久3年(1863年)、壬生浪士組(後の新選組)に加盟。谷と共に大坂ぜんざい屋事件などに活躍した。元治元年(1864年)に一度脱退し、慶応元年(1865年)に復帰したとされる。

新選組では伍長・砲術師範などを勤めたが、慶応3年(1867年)3月に分離して伊東甲子太郎ら12名と共に御陵衛士を結成する。油小路事件時は外出中で難を逃れ、後に事件を知らされたため薩摩藩邸に逃げ込んだ。復讐の機会を窺っていた御陵衛士残党と共に、伏見墨染で近藤勇を襲撃して負傷させる。戊辰戦争では薩摩藩の中村半次郎に属し、鳥羽・伏見の戦いなどに参加。後に赤報隊に加わる。

戦後は弾正台開拓使北海道庁に出仕した。退官後は札幌で果樹園(北海道果樹協会)を経営し、リンゴ栽培などを営んだ。明治40年(1907年)、東京にて死去。享年71。

備考

  • 維新後、元新選組隊士の安富才助を殺害したとされる。
  • 島田魁の記録に奥州二本松産とあるが、これは誤りである。
  • 明治30年代には史談会に出席して、幕末当時の貴重な談話を残している。