鍋島元茂
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鍋島 元茂(なべしま もとしげ、慶長7年10月11日(1602年11月24日)- 承応3年11月11日(1654年12月19日))は、江戸時代の九州の大名。肥前国小城藩の初代藩主。
肥前佐賀藩主・鍋島勝茂の長男。母は小西氏。正室は鍋島茂里の娘。子は鍋島直能(長男)、鍋島直朗(次男)、鍋島直治(三男)。官位は従五位下、紀伊守。始め直元・三平と称する。
当初は嫡男として扱われていたが、元茂が4歳の時、父・勝茂が徳川家康の養女(岡部長盛の娘)と結婚したとき、廃嫡された。これは、家康の養女である菊姫との間に生まれた子供を後継ぎにしようとしたためとも言われている。このため、家督を継ぐことができず、江戸に人質として送られた。のち、祖父である直茂の死去後、その隠居領であった1万石を与えられ、幾度か加増をされ、最終的には寛永19年(1642年)に肥前小城に7万3000石を与えられ(年代については異説あり)、同藩の初代藩主となった。これは鍋島家中ではかなりの高禄であり、廃嫡されたとはいえ、父から冷遇はされていなかったようである。島原の乱にも父・勝茂と共に従軍している。
元茂は剣の腕に優れた達人で、柳生宗矩から印可書を一番に受けたと言われている。木村友重とともに徳川家光の打太刀を務めた。柳生宗矩とは30年にわたる道縁で、死の直前に秘巻「兵法家伝書」を与えられている。承応3年(1654年)死去し、跡を長男・直能が継いだ。