鄭義信
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鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957年7月11日 - )は、劇作家、脚本家、演出家。兵庫県姫路市出身。国籍は韓国[1]。
姫路市立飾磨高等学校を経て同志社大学文学部中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)美術科卒業。松竹で美術助手を勤めた後、1987年劇団「新宿梁山泊」を旗揚げ、座付き作家となる。94年、『ザ・寺山』で岸田國士戯曲賞受賞。1995年新宿梁山泊退団。邦画話の脚本を担当するようになる。俳優として活動することもある。
2007年、新宿梁山泊が『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、金守珍を代表とする新宿梁山泊は、この戯曲が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて提訴した。
また文藝春秋の『マルコ・ポーロ』1993年9月号にて、梁石日や崔洋一と鼎談をしている。あくまで昔の話だと断った上で崔洋一が「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」と回想し、これに対して鄭義信は「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」と応じた。「日帝三十六年史」とは日本統治時代が終わりGHQにより解散させられた独立後の軍事政権時代に作られた呼び名である。
受賞歴
- 『月はどっちに出ている』第67回(1993年度)キネマ旬報ベスト・テン脚本賞
- 『ザ・寺山』第38回(1994年度)岸田國士戯曲賞
- 『愛を乞うひと』日本アカデミー最優秀脚本賞、第72回(1998年度)キネマ旬報ベスト・テン脚本賞
- 『血と骨』第78回(2004年度)キネマ旬報ベスト・テン脚本賞
- 『焼肉ドラゴン』第12回(2008年度)鶴屋南北戯曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞
- 紫綬褒章(2014年)
脚本作品
舞台
- アトリエ・ダンカンプロデュース『しゃばけ』(2013年)
- 日韓合作舞台『ぼくに炎の戦車を』(2012年)
- 新国立劇場『パーマ屋スミレ』(2012年)
- 勝田演劇事務所×海のサーカス『バケレッタ』(2009年)
- アトリエ・ダンカンプロデュース『鴨川ホルモー』(2009年)
- オペラシアターこんにゃく座『ネズミの涙』(2009年)
- 演劇集団 円『孤独から一番遠い場所』(2008年)
- 小宮孝泰一人芝居『線路は続くよどこまでも』(2008年)
- 新国立劇場『焼肉ドラゴン』(2008年)
- 新国立劇場『たとえば野に咲く花のように-アンドロマケ-』(2007年)
- 椿組『なつのしま、はるのうた』(2007年)
- 椿組『GS近松商店』(2006年)
- トム・プロジェクト『カラフト伯父さん』(2005年、2007年)
- 椿組『20世紀少年少女唱歌集』(2003年)
- オペラシアターこんにゃく座『オペラ・まげもん-MAGAIMON-』(2002年)
- 海のサーカス『杏仁豆腐のココロ』(2000年)
- オペラシアターこんにゃく座『ロはロボットのロ』(1999年)
- 新宿梁山泊『青き美しきアジア』(1994年)
- 新宿梁山泊『それからの夏』(1993年)
- 流山児★事務所『ザ・寺山』(1993年)
- 新宿梁山泊『愛しのメディア』(1992年)
- 新宿梁山泊『映像都市(チネチッタ)』(1990年、1991年)
- 新宿梁山泊『人魚伝説』(1990年、1995年)
- 新宿梁山泊『千年の孤独』(1988年、1989年、1999年)
- 新宿梁山泊『カルメン夜想曲』(1987年)
映画
- 信さん・炭坑町のセレナーデ(2010年)
- お父さんのバックドロップ(2004年)
- 血と骨(2004年)
- OUT(2002年)
- 刑務所の中(2000年)
- 愛を乞うひと(1998年)
- 犬、走る DOG RACE(1998年)
- 岸和田少年愚連隊(1996年)
- 平成無責任一家 東京デラックス(1995年)
- 世にも奇妙な物語-青い鳥(1992年)など。
- 月はどっちに出ている(1993年)など。
テレビ
著書
- 千年の孤独/愛しのメディア(ペヨトル工房 1989年)
- 明日、ジェルソミーナと/カルメン夜想曲(ペヨトル工房 1994年)
- ザ・寺山(白水社 1994年)
- アンドレアスの帽子 舞台のある風景(丸善ブックス 1995年)
- 冬のサボテン(新水社 1997年)
出演作品
映画
- 月はどっちに出ている(1993年)
- ユメノ銀河(1997年)
- 五条霊戦記 GOJOE(2000年)
テレビ
- 課外授業 ようこそ先輩 「生まれた日の物語〜劇作家・演出家 鄭義信〜」(NHK・2009年)