遠山友春
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遠山 友春(とおやま ともまさ、寛文元年6月6日(1661年7月2日) - 正徳4年2月26日(1714年4月10日))は、美濃苗木藩の第4代藩主。
第3代藩主・遠山友貞の長男。正室は伊東長貞の娘。継室は織田長政の娘。子に遠山友由(次男)、遠山友央(三男)、娘(阿部正晴正室)、娘(新庄直祐正室)。官位は従五位下、和泉守。
苗木に生まれる。幼名は五郎八。延宝3年(1675年)、父の死去で家督を継ぐ。同年9月には藩内における奉行の不正取締りを行なった。その後は鳥羽藩の内藤忠勝改易後の在番、駿府加番、半蔵門番、丹羽氏音の岩村城受け取り役などを務めた。正徳2年(1712年)2月16日、家督を次男の友由に譲って隠居し、正徳4年(1714年)2月26日に54歳で死去した。墓所は中津川市苗木の雲林寺。