遊佐信教
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遊佐 信教(ゆさ のぶのり、大永4年(1524年)- 天正2年4月12日(1574年5月2日))は戦国時代の人物。高屋畠山氏(政長系畠山氏、尾州家)の重臣。河内国の守護代。父は遊佐長教。河内守。新次郎。
生涯
父同様の野心家で、1569年には、安見宗房(直政)らと図り主君の畠山高政を追放して弟の畠山昭高を擁立し、これを傀儡として主家を牛耳った。これに不満を持った昭高が織田信長と手を結ぶと、身の危険を感じて1573年に昭高を殺害し、昭高の援護のため挙兵した高政を敗走させ、三好康長と共に信長に対し反攻した。しかし、これに対して怒った信長の攻撃を受けて高屋城において戦死(高屋城の戦い)した。
歌道に優れていたとも言われている。