赤城村
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赤城村(あかぎむら)は、群馬県西北部にあった勢多郡の村である。
2006年2月20日に渋川市、北群馬郡伊香保町、小野上村、子持村、勢多郡北橘村とともに対等合併した。合併後は「赤城町(あかぎまち)」として残る。
目次
[非表示]地理
赤城山の西麓に位置し、西に隣接する子持村との村境に利根川が流れている。
利根川沿いの河岸段丘が地形上の大きな特徴であり、隣接する昭和村と沼田市にも同様の特徴がある。また、昭和村および沼田市と接する綾戸峡は古くから交通の難所となっている。
隣接している自治体
歴史
沿革
- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、南勢多郡に横野村・敷島村が誕生。
- 1896年4月1日 - 東群馬郡と南勢多郡が合併し、勢多郡発足。
- 1956年9月1日 - 横野村・敷島村が合併し、赤城村が発足。津久田の旧敷島村役場を赤城村役場とする。
- 1958年3月 - 村役場が敷島に移転する。(合併後の現在も渋川市の赤城総合支所として使われている)
- 1966年7月 - 村章が制定される。
- 1972年4月 - 渋川地区市町村圏振興整備組合が発足する。
- 1984年12月 - 村の木と村の花が制定される。
- 2006年2月20日 - 赤城村が北橘村・(旧)渋川市および北群馬郡伊香保町・子持村・小野上村と合併し、渋川市が発足。旧村域は渋川市赤城町となる。
行政
歴代村長
- 木暮佐市(1956年10月6日 - 1957年2月10日)※在任中に死去
- 永井丑之助(1957年3月9日 - 1961年3月7日)
- 下田八洲太(1961年3月8日 - 1985年3月7日)
- 三富晴雄(1985年3月8日 - 1989年2月10日)※在任中に死去
- 齋藤光雄(1989年3月5日 - 2001年3月4日)
- 永井良一(2001年3月5日 - 2006年2月19日)※渋川市の発足後、市長選出まで市長職務執行者を務める。
地域
大字一覧
- 勝保沢(かつほざわ)
- 上三原田(かみみはらだ)
- 北上野(きたうえの)
- 北赤城山(きたあかぎさん)※「きたあかぎやま」ではない。
- 栄(さかえ)
- 敷島(しきしま)※敷島村時代および赤城村発足時は「猫(ねこ)」であった。1957年1月に名称変更。
- 滝沢(たきざわ)
- 棚下(たなした)
- 樽(たる)
- 津久田(つくだ)
- 長井小川田(ながいおがわだ)
- 溝呂木(みぞろき)
- 見立(みだち)
- 南赤城山(みなみあかぎさん)※「みなみあかぎやま」ではない。
- 三原田(みはらだ)
- 宮田(みやだ)※一部の道路地図などで振り仮名が「みやた」になっているが、これは誤りである。
- 深山(みやま)
- 持柏木(もちかしわぎ)
教育
- 小学校
- 村立南雲小学校
- 村立三原田小学校
- 村立三原田小学校栄分校
- 村立刀川小学校
- 村立津久田小学校
- 中学校
- 村立北中学校
- 村立南中学校
- 廃校
- 村立棚下小学校 - 1998年閉校。現在では「赤城工房」として使われている。
交通
鉄道路線
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 群馬県道(県道名は合併前のもの)
- 群馬県道70号大間々子持線
- 群馬県道151号津久田停車場前橋線
- 群馬県道157号赤城山敷島停車場線
- 群馬県道158号宮田吹屋線
- 群馬県道159号持柏木寄居線(この村を通る区間はすべて国道353号と重複)
- 群馬県道255号下久屋渋川線
名所・旧跡・観光スポット
文化財・天然記念物
国指定
- 石造不動明王立像(重要文化財)※毎年1月28日が開帳日である
- 上三原田歌舞伎舞台(重要有形民俗文化財)
- 滝沢遺跡(史跡)
- 敷島のキンメイチク(天然記念物)
県指定
- 津久田の人形舞台および人形(重要有形民俗文化財)※敷島のキンメイチクと同一敷地内にある。
- 長井坂城跡(史跡)※直下を通る関越自動車道の長井坂トンネルの名の由来である。
- 桜森のヒガンザクラ(天然記念物)※敷島のキンメイチクと同一敷地内にある。
- 溝呂木の大ケヤキ(天然記念物)
- ヒメギフチョウ(天然記念物)
村指定
- 上記以外の指定文化財が15、合併後に渋川市の指定を受けた文化財が1つある。
出身有名人
参考文献
- 合併30周年記念村勢要覧(1986年、赤城村役場企画課)
- 赤城村勢要覧(2002年、赤城村役場企画課)
- 赤城村閉村記念誌(2006年、赤城村役場企画課)
関連項目
外部リンク
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