豊田喜一郎
テンプレート:Infobox 人物 豊田 喜一郎(とよだ きいちろう、1894年6月11日 - 1952年3月27日)は、日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者[1]。
トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会 会長(第2代)などを歴任した。
来歴・人物
里帰り出産のため静岡県敷知郡吉津村山口(現在の湖西市山口)で生まれ祖父母の家で育つ。[2]3歳で父・佐吉の住む愛知県名古屋市(現・同市東区)に転居し、東区武平町や西区島崎町、栄生町の工場内に住む。のち名古屋市白壁町の家に住む[2][3][4]。高岳尋常小学校[1]、現・名古屋市立東桜小学校、愛知県師範学校附属小学校(現愛知教育大学附属名古屋小学校)[1]、旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、第二高等学校(現東北大学)甲組工科を経て、1920年東京帝国大学工学部機械工学科卒業[2]。
卒業後、父・佐吉の意向で、経営者になるため9月から東京帝国大学法学部で1921年3月まで学んだ。その後地元の名古屋に戻った喜一郎は、豊田紡織に入社。1921年7月から1922年2月まで豊田利三郎夫妻とともにサンフランシスコ、ロンドン、オールダムなどを視察しマルセイユから上海経由で帰国した。父には発明より経営に重点を置くように指示されていたが、碧海郡刈谷町に試験工場を作り、自動織機の開発を開始。1926年に豊田自動織機製作所を設立し、常務取締役に就任。1929年から1930年4月まで欧米に出張し、当時、黎明期にあった自動車産業が将来大きく発展すると考え[2]、1933年9月1日に豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(のちに自動車部)を新設。1936年に自動車製造事業法の許可会社に指定されたことから、これが1937年にトヨタ自動車工業株式会社として独立し、同年同社の副社長に就任。1941年には社長に就任した[2]。1936年から事業のため一家で東京市本郷区曙町(現本駒込)の借家に転居[2]。1938年、工場のために田畑を移すのを避けたいという思いから、愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の荒地だった58万坪の土地を取得し、自動車工場を建設した。同年赤坂に家を買い転居したが、1945年5月に空襲により焼失。名古屋市八事の別荘「南山農園」で終戦の日を迎える。終戦後は食料確保のため庭でドジョウの養殖や、ウズラの飼育を行った。別荘はその後1997年まで豊田章一郎一家が住んだのち、トヨタ鞍ヶ池記念館に移築された[5][6]。
1949年のドッジ・ラインの影響で不況に陥った中、トヨタ自動車の債務も増大し、早期優遇退職を行う経営側と全日本自動車産業労働組合トヨタコロモ分会の対立が激化。事態の責任をとるため、1950年6月に社長を退任し、東京に研究所を設立し、エンジンの研究などを行った。1952年には再び社長に就任することが内定するが、同年死去[7]。
愛知県豊田市(挙母市)の発展に大きく貢献した実績から、豊田市役所の広場には銅像が立てられている。
親族
- 父は、豊田自動織機創業者の豊田佐吉。
- 妻は飯田新七(元高島屋社長)の娘の豊田二十子。
- 長男はトヨタ自動車名誉会長(第6代社長)の豊田章一郎。
- 二男は相談役(第7代社長)の豊田達郎。
- 長女は西田嚇(全トヨタ労働組合連合会会長、西田太郎(元日本勧業銀行(現みずほ銀行)総裁の息子)の妻の西田百合子。
- 二女は斎藤滋与史(元静岡県知事、元建設相、大昭和製紙創業者一族、斎藤了英(元大昭和製紙会長)実弟)の妻の斎藤和可子
- 従兄弟は最高顧問(第5代社長)の豊田英二。
- トヨタ自動車工業先代の豊田利三郎は義弟(異母妹の夫)。
- 現トヨタ自動車社長の豊田章男は孫(章一郎の長男)。
関連書籍
- 豊田喜一郎伝(和田一夫 由井常彦 トヨタ自動車歴史文化部 名古屋大学出版会)
- 「G型無停止杼換式豊田自動織機は、実は豊田佐吉ではなく豊田喜一郎が開発を手掛けていた」など、これまでの“通説”を覆す記載がある。ISBN 4815804303
- 豊田喜一郎文書集成(豊田喜一郎 和田一夫 名古屋大学出版会)
- 豊田喜一郎が発表した文書やインタビュー記事。ISBN 4815803587
- 夜明けへの挑戦~豊田喜一郎伝(木本正次 学陽書房)
- 毎日新聞社が刊行した当時の題名は『反逆の走路~小説 豊田喜一郎』(改題)。 ISBN 4313751602
- 劇画トヨタ喜一郎(影丸譲也 木本正次 産業技術記念館)
- その時歴史が動いた コミック版 誕生・創業編(ホーム社)
- 『走れ!AA型 国産自動車誕生物語』作画 萩原玲二
モデルとして演じた人物
脚注
関連項目
外部リンク
- 豊田喜一郎特集 - 喜一郎に関するさまざまな通説を覆す新事実を示した「豊田喜一郎伝」を元に構成。
- 豊田 喜一郎:作家別作品リスト(青空文庫)
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
豊田利三郎
|style="width:40%; text-align:center"|トヨタ自動車工業社長
第2代 : 1941年 - 1950年
|style="width:30%"|次代:
石田退三
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
浅原源七
|style="width:40%; text-align:center"|自動車技術会会長
第2代 : 1950年 - 1951年
|style="width:30%"|次代:
楠木直道
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