詩篇

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詩篇』または『詩編』(しへん、テンプレート:Lang-he Təhillīm, テンプレート:Lang-en)は、旧約聖書に収められた150篇のヤハウェ)への賛美

文語訳聖書では「詩篇」と表記し、新改訳聖書もそれを引き継いでいるが、新共同訳聖書では「詩編」と表記している。正教会での聖詠に相当する。詩篇と聖詠は内容もほぼ同一であるが、区切り方と数え方に相違がある(詳細は聖詠を参照)。

概要

ほとんどの詩が典礼礼拝奉神礼)に用いられた詩と神への感謝の詩に分類することができる。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ。ラテン語で詩篇を意味する『Psalmi』は七十人訳聖書における詩篇のギリシャ語タイトル『プサルモイ』(心を動かすもの、複数形)に由来する。ユダヤ教聖書の配列では「諸書」(ケスビーム)の1つ。

本来歌唱を伴い、いくつかのものには調べの指定が注釈として残されている。ヘブライ語テキストに本来つけられたは失われているが、「セラ」「ミクタム」などの曲の用語が残されている。またテキストから、弦楽器・管楽器(ラッパなど)・打楽器(シンバルなど)を用いたことが知られる。現在、ユダヤ人の伝統的楽器を用いて曲を復元する試みがなされている。またキリスト教の伝統的教派では、多く詩篇は歌唱されるものであり、さまざまな音楽家によって作曲され、多彩な音楽的表現を生む土壌ともなってきた。

なお古代からの伝承ではその多くがダビデの作であるとされているが(73の詩篇の表題にダビデの名が現れる)、近代聖書学高等批評的には否定されている。

市販の聖書の中には、新約聖書全巻に加えて旧約聖書の中から詩篇のみを抜粋して併せて収録し、『新約聖書 詩編付き』などのタイトルで発行されているものもある[1]

分類

マソラ本文において、詩篇は以下のように全五巻に分けられる。それぞれの巻の終わりはかならず二回の「アーメン」(そうなりますように)という言葉で結びられている。これは内容にもとづくよりは形式的な区分であり、モーセ五書の五部構成と対応させたユダヤ教の学者たちによるものとされている。

  1. 第1篇から第41篇
  2. 第42篇から第72篇
  3. 第73篇から第89篇
  4. 第90篇から第106篇
  5. 第107篇から第150篇

第72篇の末尾に「エッサイの子ダビデの祈りの終り。」とあり[2]、ここまでがダビデによる祈りとされている。

なお、本文の切り方は、マソラ本文と七十人訳で異なるが、150篇に分割することは同じである。七十人訳およびこれを継承する正教会の聖書には、この150篇の本編に加え、ダビデの作とされる一篇が収録されている。

礼拝における使用

詩篇はそれぞれが独立した祈祷文として用いられる。ユダヤ教やキリスト教において詩篇が「朗読」「朗誦」されるとは、定式化された式文による祈祷、それも多くは歌唱を伴うもの(賛美歌、聖歌)が行われていることに他ならない。

ユダヤ教徒は毎日節に分けて(一週間で一巡りするように)朗読する。またシナゴーグにおける礼拝では、定められた詩篇が朗読される。この習慣は伝統的キリスト教の諸教派にも継承されている。

以下、その一例として正教会における『詩篇(聖詠)』の使用の例をいくつか示す。

  1. 時課ごとに定められた個所を祈る。用いる個所は通年で固定されている。
  2. 祭日の各時課ごとに定められた個所を祈る。
  3. カフィズマ(坐誦経、カシスマとも)
    • 『詩篇(聖詠)』を20に分割し、曜日ごとに定められた個所を朗読する。一サイクルは、土曜(スボタ)の晩祷から始まり、翌週の土曜の早課で終わる。カフィズマはギリシア語で「座って聴くもの」の意。第1コンスタンティノポリス公会議以降、公祈祷における祈祷の姿勢は立礼と定められているが、カフィズマにおいては座っていることが許される。
  4. 通夜の席における朗読。納棺の後、近親者・知人などが集まり、夜を徹して交互に聖詠を一篇一篇詠むことが行われる。
  5. 食事の席における朗読。修道院などでは、食事の際、詩篇の朗読が行われる。

脚注

  1. 日本聖書協会NI353、新日本聖書刊行会SP-20など
  2. 日本聖書協会 新共同訳聖書より

関連項目

外部リンク

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