舘豊夫
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テンプレート:出典の明記 舘 豊夫(たて とよお、1920年1月3日 - 1998年4月9日)は日本の実業家。
略歴
- 1920年1月3日、現・東京都千代田区平河町(当時は東京府東京市麹町区)に大日本炭鉱の専務を務めた舘香緑・すえ夫妻の四男として生まれる。舘家は旧伊勢国桑名藩士の家柄。旧制東京高校を卒業。
- 1942年:東京帝国大学経済学部を卒業して三菱重工業に入社。
- 1965年:三菱商事に移籍。
- 1970年6月1日:三菱重工の自動車部門の分離独立に伴い三菱自動車工業に移籍。
- 1971年:三菱自動車総務部長に就任。
- 1974年:企画経理本部企画部長に就任。
- 1977年:取締役に就任。
- 1979年:常務に就任。
- 1983年:社長に就任。
- 1989年:会長に退く。
- 1993年:相談役に退く。
- 1995年:取締役を辞任。
- 1998年4月9日:78歳にて没。
業績
社長時代の1988年に三菱自動車工業を東証1部に上場させ「三菱自動車中興の祖」と呼ばれた。
親族
舘豊夫は5人兄弟の末っ子で、3人の兄と1人の姉がいる。豊夫の兄・稲麻呂(香緑の三男)は大昭和製紙の創業者・齊藤知一郎の長女と結婚し、大昭和製紙の代理店・日昭物産(その後コミネ日昭を経て日本紙通商となる)の社長を務めた。稲麻呂の長女がトランスワールドインダストリー社長・渡辺紀久男に嫁いだが、紀久男の弟が岩崎忠雄の婿養子となったため、舘家は渡辺家を通じて三菱財閥の創業者・岩崎家と姻戚関係で結ばれた。また豊夫の姉・久楽子は元山下汽船常務・漆野寿一の弟・東吉(元一興産業社長)に嫁ぎ、東吉との間に1男1女をもうけた。