聖バレンタインデーの虐殺
聖バレンタインデーの虐殺(せいバレンタインデーのぎゃくさつ、英: St. Valentine's Day Massacre)とは、1929年2月14日にシカゴで起きたギャングの抗争事件である。別名、聖バレンタインデーの悲劇、血のバレンタインとも呼ばれる。
事件はアル・カポネが指揮していたと言われ、抗争を繰り広げていたバッグズ・モラン一家のヒットマン6人及び通行人1人の計7人が殺害された。この事件は犯人たちがパトカーを使い警官に扮していたこともあり、全米中のマスコミの注目を集めた。
事件概要
モランとヒットマンたちは、デトロイトの密造酒業者が強奪したウィスキーを、シカゴ北部のSMC運送会社の倉庫にあるモランの本部に配送することになっていた。モランの手下6人が倉庫に入り、たまたまそこを通りかかった眼鏡屋ラインハルト・シュヴィマーと話をしていると、5人の警察官に扮したアル・カポネ側のヒットマンが車庫に入って来た。偽警察官は7人を壁に並ばせると、マシンガンを取り出して一斉に発砲し彼らを殺害した。時間はわずか8分ほどで、素早く行われた。しかし、モランは倉庫に到着するのが数分遅れたため倉庫の前に偽物のパトカーが止まっているのを見て警察の手入れを恐れて、2人の連れのマークスとニューベリーとその場を逃げ出し、事なきを得た。
事件は、モランを殺すためにアル・カポネと部下のジャック・"マシンガン"・マクガーンによって計画されたものだった。マックガーンは暗殺部隊としてカポネの用心棒フレッド・”キラー”・バーク(Fred Burke)、ジョン・スカリーゼ、アルバート・アンセルミ、ジョゼフ・ロロルド、キューウェル兄弟(デトロイトのパープル・ギャング)の6人のチームを編成し、モランを待ち伏せて殺害するつもりだった。一部資料によると、ヒットマンの中にトニー・アッカルド、サム・ジアンカーナもいたという説もある。
カポネは事件当時はフロリダで事情聴取を受けていた。マックガーンは事件後起訴されたが、アリバイを主張して無罪となった。結局、この虐殺の罪では一人も逮捕されなかった。事件後、モランはカポネに対して最早重要な脅威ではなくなり、1957年まで彼は生き永らえた。
事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになる。
ちなみに事件現場の倉庫は1967年に取り壊され、現在は隣接する老人ホームの庭園及び駐車場となっている[1]。
事件を扱ったテレビ番組
- ドキュメンタリー『失われた世界の謎』シリーズ 第25回『アル・カポネの暗黒の街』(ヒストリーチャンネル)
- 『世界に衝撃を与えた日(The Days That Shook the World)』シリーズ 第27回『OK牧場の決闘と聖バレンタインデーの虐殺』(BBCワールドワイドジャパン)