第五航空戦隊
テンプレート:日本海軍 第五航空戦隊(だい5こうくうせんたい)とは、日本海軍の部隊の1つ。太平洋戦争開戦直前に編成された空母機動部隊。
概要
当時の日本海軍の空母建造技術の粋を集めた最新鋭艦、翔鶴型空母「翔鶴」、「瑞鶴」と護衛の駆逐艦「朧」、「秋雲」で編成されていた。ミッドウェー海戦での敗北後に解隊され、「翔鶴」と「瑞鶴」は新たに編成された第一航空戦隊に所属した。
練度
航空隊の練度については同じく第一航空艦隊を形成していた第一航空戦隊の赤城・加賀、第二航空戦隊の飛龍・蒼龍に及ばないものとして扱われ、珊瑚海海戦での航空機の大量損失も搭乗員の練度の低さが原因とされた。ただし赤城から1941年5月翔鶴の戦闘機隊に異動した小町定は「陸上基地から配置転換されたばかりで、練習不足の者も数人はいましたが、他艦で訓練を積んでから異動して来た者もおり、必ずしも全員が練度不足というわけではない」と書いている[1]。
真珠湾攻撃時の編成
第一次攻撃隊では第二集団急降下爆撃隊と、第三集団制空隊のうち第五制空隊と第六制空隊を担った[2]。
第二集団急降下爆撃隊はフォード島のヒッカム飛行場とホイラー飛行場への攻撃を担当した[2]。使用機材は九九式艦上爆撃機。高橋赫一少佐が指揮官であった[2]。翔鶴の第十五攻撃隊は26機で攻撃隊指揮官は高橋赫一少佐が兼任した[2]。瑞鶴の第十六攻撃隊は25機で攻撃隊指揮官は坂本明大尉が担当した[2]。真珠湾攻撃における航空攻撃の初弾は第二集団急降下爆撃隊がホイラー飛行場に投下した250kg爆弾である[2]。
第五制空隊と第六制空隊はカネオヘ航空基地上空の制空を担当した[2]。使用機材は零式艦上戦闘機[2]。瑞鶴の第五制空隊は6機で指揮官は佐藤正夫大尉[2]。翔鶴の第六制空隊は5機で指揮官は兼子正大尉[2]。
第二次攻撃隊では第一集団水平爆撃隊を担った[2]。使用機材は九七式艦上攻撃機。嶋崎重和少佐が指揮官であった[2]。翔鶴の第六攻撃隊は27機で指揮官は嶋崎重和少佐が兼任し、カネオヘ航空基地への攻撃を担当した[2]。瑞鶴の第五攻撃隊は27機で指揮官は市原辰雄大尉[2]。フォード島のカネオヘ飛行場への攻撃を担当した[2]。
編制
- 1941年(昭和16年)12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第一航空艦隊所属)
- 翔鶴、瑞鶴
- 朧、秋雲
- 1942年(昭和17年)4月10日 第10戦隊新編時の編制(第一航空艦隊所属)
- 翔鶴、瑞鶴
- 1942年(昭和17年)7月14日 解隊
歴代司令官
- 原忠一少将:1941年(昭和16年)9月1日 - 1942年(昭和17年)7月14日
出典
参考文献
- 『歴史街道』2001年9月特別増刊号『真珠湾攻撃』PHP研究所