立川談四楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年2月24日 (月) 16:47時点における松本亙章 (トーク)による版 (本名にふりがな追加。)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
ファイル:3matsu01.jpg
丸に左三蓋松は、立川流の定紋である。

立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 - )は、群馬県邑楽郡邑楽町生まれの落語家作家。本名、高田正一(たかだ まさかず)。出囃子は『喜撰』。

落語立川流のなかで若手・中堅への貴重なお師匠番として重宝されている。(兄弟子やすぐ下の弟弟子のふがいなさも相まって)また彼ら若手中堅を引っ張るリーダーともなっている。落語家とともに小説家としても名を成した稀有な人材。

1970年、(昭和45年)群馬県立太田高等学校を卒業、同年3月立川談志に入門。前座名は寸志。1975年11月の二つ目昇進後談四楼と改名。1980年NHK新人落語コンクール優秀賞受賞。1983年落語協会での真打昇進試験において、談四楼と兄弟子の小談志(後に談志門下を離れ喜久亭寿楽になる)が不合格になる。(これをきっかけに談志は弟子をつれて落語協会を離れ、落語立川流を結成)同年5月、落語立川流真打に昇進。

落語界の将来に疑問を持ち、上記にある自身の真打試験失敗経験などを書きつづった小説集『シャレのち曇り』で1990年に作家デビュー。

TVラジオ出演、新聞雑誌の連載など幅広く活躍中。また150回を越えた東京・下北沢北沢八幡宮での独演会をはじめ、講演における「話し方教室」で全国行脚を展開中。

昨今、居住地に因み、『豪徳寺の師匠』と呼ばれることもある。

BURRN!誌2004年10月号のコラムによれば、2ちゃんねるを嫌悪してるとのこと。

ボクシング

小説家として、もちろん落語・落語界を題材にとることが多い。またそもそも談四楼自身はボクシングの大ファンであるため、ボクシングを主題にした作品「ファイティング寿限無」がある。

プロボクサーの高田小次郎は談四楼の実子。当初は地元東京世田谷のジムに入ったが、一念発起し単身、大阪(六島ボクシングジム。一時期の世界王者名城信男を擁する)に移り、2011年に負けなしの8連勝でA級に昇格した。

著作

原作

  • ヤスとヒコ三河物語(1994年9月、NHK-FM

弟子

外部リンク