秋田中央交通線
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|} 秋田中央交通線(あきたちゅうおうこうつうせん)は、かつて秋田中央交通が運営していた、秋田県南秋田郡八郎潟町の八郎潟駅と同郡五城目町の五城目駅とを結んでいた鉄道路線。
僅か3.8kmと短い路線だった。一時は五城目から上小阿仁村、鷹巣町(現北秋田市)方面へ抜ける路線網を延伸する構想もあったものの実現には至らず、1969年(昭和44年)夏に全線が廃止された。 代替輸送として、同社が路線バスを運行している。
当線を走った電気機関車と客車は長らく五城目小学校のグラウンドに展示されていたが、老朽化が激しく2003年に廃棄処分となった。
路線データ
歴史
- 1919年(大正8年)10月 一日市 - 五城目間を軽便鉄道法による免許申請
- 時期不詳 却下されたため軌道条例による出願に改める
- 1920年(大正9年)8月13日 軌道特許状下付(南秋田郡一日市村-同郡五城目町間 動力瓦斯)[1]
- 1921年(大正10年)1月15日 五城目軌道設立[2][3]
- 1922年(大正11年)4月21日 五城目 - 東五城目間 (3.8km) 開業[3]
- 1926年(大正15年)11月1日 五城目を一日市(ひといち)に改称
- 1927年(昭和2年)1月1日 東五城目を五城目に改称
- 1943年(昭和18年)6月26日 秋田市・南秋田郡の鉄道・バス事業者統合の存続会社となり秋田中央交通に改称
- 1950年(昭和25年)1月20日 全線電化
- 1965年(昭和40年)6月1日 一日市を八郎潟に改称
- 1969年(昭和44年)7月11日 八郎潟 - 五城目間3.8km全線廃止
駅一覧
事業者名・所在地の自治体名等は廃止時点のもの。全駅秋田県に所在。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
八郎潟駅 | 0.0 | 日本国有鉄道:奥羽本線 | 南秋田郡八郎潟町 | |
川崎駅 | 1.9 | |||
高校前駅 | 2.9 | 南秋田郡五城目町 | ||
五城目駅 | 3.8 |
車両
開業時に用意された車両はガソリン機関車2両客車2両貨車4両。ガソリン機関車は同年に開業した仙台軌道(仙台鉄道)と同じアメリカミルウォーキー社製で一般営業した鉄軌道では最も早いガソリン機関車導入とされる[4]。ただ非力であり脱線もすることから1925年から蒸気機関車が導入され置き換えられた[5]。
戦後は石炭費の高騰に苦しめられた。新潟鉄道局の指導もあり電化されることになり南海より電気機関車を購入した。しかし旧国鉄ED40形(出力230KW)には変電所の回転変流器100KW2台では過大であり、重量も重すぎた。結局1951年東急より電動貨車を購入。後に2両増備した[6]。1967年越後交通よりEB1111を購入するも僅か2年で廃止となる。
輸送・収支実績
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1922 | 52,336 | 2,510 | 13,796 | 13,388 | 408 | |||
1923 | 51,636 | 2,278 | 27,292 | 18,850 | 8,442 | 償却金500 | 2,356 | |
1924 | 83,384 | 3,211 | 27,049 | 22,885 | 4,164 | |||
1925 | 78,703 | 2,330 | 25,030 | 22,010 | 3,020 | |||
1926 | 85,316 | 4,627 | 27,344 | 20,474 | 6,870 | 償却金6,000 | 290 | |
1927 | 91,622 | 7,697 | 31,370 | 18,121 | 13,249 | 償却金8,000 | 8 | |
1928 | 84,823 | 8,580 | 29,290 | 17,699 | 11,591 | 自動車287 | 償却金11,000 | |
1929 | 61,078 | 6,872 | 23,247 | 17,717 | 5,530 | 自動車3 | 償却金5,347 | |
1930 | 59,696 | 7,238 | 23,021 | 15,950 | 7,071 | 自動車454 | 自動車及償却金2,301 | |
1931 | 61,056 | 7,544 | 22,886 | 14,581 | 8,305 | 自動車及償却金4,119 | ||
1932 | 58,010 | 7,906 | 22,516 | 12,872 | 9,644 | 償却金2,648 | ||
1933 | 72,327 | 6,842 | 26,330 | 12,760 | 13,570 | 償却金2,000自動車3,176 | ||
1934 | 82,373 | 10,175 | 30,380 | 17,364 | 13,016 | 償却金4,000自動車2,103 | ||
1935 | 104,448 | 12,220 | 31,914 | 21,818 | 10,096 | 償却金2,800自動車1,077 | ||
1936 | 116,524 | 12,441 | 32,725 | 19,834 | 12,891 | 償却金5,000自動車906 | ||
1937 | 132,491 | 9,270 | 32,996 | 20,547 | 12,449 | 償却金4,547自動車1,909 | ||
1948 | 557,608 | 16,012 | ||||||
1949 | 518,745 | 24,358 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、鉄道統計年報、地方鉄道軌道統計年報各年度版
脚注
- ↑ 「軌道特許状下付」『官報』1920年8月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第30回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 3.0 3.1 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 湯口徹『石油発動機関車』ネコパブリッシング、2009年、37頁
- ↑ 「ガソリン機関車」ハ現今実牽引力トシテ10噸内外ヨリ認メ難ク(中略)日増客貨ノ増加ニ伴ヒ今後之ガ改善ノ要ヲ認メ蒸気機関車一台ヲ常置シ(中略)在来ガソリン機関車ハ軽量貨物ノ運送ニ専用スルガ如ク(No.8「動力変更の件」『五城目軌道(一)・自大正九年至大正十五年』208頁、国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- ↑ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.211、39-40頁
参考文献
- テンプレート:Cite journal(再録:テンプレート:Cite book)
- テンプレート:Cite book
- 岸由一郎「秋田中央交通沿革史」『鉄道ピクトリアル』No.636