相馬師常
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
相馬 師常(そうま もろつね、保延5年(1139年) - 元久2年11月15日(1205年12月26日))は、鎌倉時代の武将。千葉氏の庶流。相馬氏初代当主。千葉常胤の子。師常の子である六郎常家は「矢木」を称し、八郎行常は「戸張」を称した。また、初名は師胤[1]と考えられている[2]。
伝承によると、師常は平将門の子孫である篠田師国(胤国の子)の養子となり、その遺領を相続したと伝わる[3]。
経歴
父と共に源頼朝の挙兵に参加し、頼朝の弟・源範頼の軍勢に従って各地を転戦した。文治5年(1189年)9月には奥州合戦に参加し、その功により頼朝から「八幡大菩薩」の旗を賜ったという。
建仁元年(1201年)、父・常胤が亡くなったために出家し、家督を嫡男の相馬義胤に譲る。出家後は法然の弟子になったと言われている。
元久2年(1205年)11月、鎌倉相馬邸の屋敷で端座し、念仏を唱えながら臨終したという。その信心厚い性格から信望の厚かった師常の最期は、鎌倉の民衆たちから見取られたと言われている。
1879年、師常を祀る「相馬神社」が福島県相馬市に建立された。