相馬師常

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相馬 師常(そうま もろつね、保延5年(1139年) - 元久2年11月15日1205年12月26日))は、鎌倉時代武将千葉氏庶流相馬氏初代当主。千葉常胤の子。師常の子である六郎常家は「矢木」を称し、八郎行常は「戸張」を称した。また、初名は師胤[1]と考えられている[2]

伝承によると、師常は平将門の子孫である篠田師国胤国の子)の養子となり、その遺領を相続したと伝わる[3]

経歴

父と共に源頼朝の挙兵に参加し、頼朝の弟・源範頼の軍勢に従って各地を転戦した。文治5年(1189年)9月には奥州合戦に参加し、その功により頼朝から「八幡大菩薩」の旗を賜ったという。

建仁元年(1201年)、父・常胤が亡くなったために出家し、家督を嫡男の相馬義胤に譲る。出家後は法然の弟子になったと言われている。

元久2年(1205年)11月、鎌倉相馬邸の屋敷で端座し、念仏を唱えながら臨終したという。その信心厚い性格から信望の厚かった師常の最期は、鎌倉の民衆たちから見取られたと言われている。

1879年、師常を祀る「相馬神社」が福島県相馬市に建立された。

脚注

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関連項目

  • 九州千葉氏の系図の流れを汲む『平朝臣徳嶋系図』には「師胤」と記されている。丸井敬司は「師胤」の名が同系図以外にも『吾妻鏡』文治4年3月15日条・同5年6月9日条や『千学集抜粋』などにも記されていることから、相馬師常は文治5年(1189年)以降に「師胤」から「師常」に改名したとする。
  • 丸井敬司『千葉氏と妙見信仰』(岩田書院、2013年) ISBN 9784872947946 P32-35
  • 『姓氏』(丹羽基二:著/樋口清之:監修)による。