疫病

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テンプレート:Sister 疫病(えきびょう)


疫病(えきびょう)とは、流行病・はやり病のこと。古くは役病疫気疫癘(えきれい)、時疫時気時行などとも表記され、「えやみ」「えのやまい」「ときのけ」などとも読まれていた。

概要

日本の歴史上、疫病として流行したと考えられているものに、痘瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・赤痢コレラインフルエンザ結核梅毒などがあげられる。こうした病気は元々特定の地域の風土病であったが、文明文化社会の発展と異世界との交流拡大による人や文物の往来に伴い、これまで同種の病が存在しなかった地域にも伝播し、中には世界的に流行するようになったと考えられている。例えば、コレラは日本では19世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかったとされている。

日本書紀』には垂仁天皇の時代に役病が流行していたことが記され、『倭名類聚抄』には“疫”の字の意味について「民が皆病むなり」とある。

古くは疫病の原因として、荒振る神疫神(えきじん/やくしん、疫病神)・疫鬼怨霊の仕業とか仏罰神罰によるものであるという超自然的なものに原因を求める考え方が前近代においては広く行われ、神仏を鎮めるための加持祈祷や各種祭礼(鎮花祭道饗祭四角四境祭鬼気祭疫神祭御霊会など)などが行われた。疫病に関わる民俗風習は今日でも広く名残を残している。

一方、漢方医学の分野では天地の気の乱れや陰陽不順による邪気寒気悪気毛穴を通じて体内に侵入して生じると考えられ、鍼灸やによって体内の陰陽のバランスを回復させることに主眼が置かれていた。疫病の原因がはっきりとするのは19世紀後期(日本では幕末から明治)に細菌学が進歩した後のことであったが、江戸時代には病気が病人から伝染することが漢方医の間でも知られており、香月牛山の『国字医叢』の中にも中国大陸から今まで知られていなかった病気が日本に伝わってきたことや病が伝染するものであることが記されている。

政治的には朝廷典薬寮勘申を受けた太政官符や幕府医官の意見を受けた江戸幕府御触書時疫御触書)を出して、薬療食療による治療が奨励された。明治以後、限られた予算の中で内務省厚生省を中心として公衆衛生の強化が図られた。

疫病菌の発見

主な疫病菌の発見は以下の通りであり、19世紀後葉から20世紀初頭にかけての時期に集中している[1]

発見年 病名 病原菌発見者
ハンセン病 1875年 アルマウェル・ハンセン(ノルウェー)
マラリア 1880年 シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン(フランス)
腸チフス 1880年 カール・エーベルト(ドイツ)
結核 1882年 ロベルト・コッホ(ドイツ)
コレラ 1883年 ロベルト・コッホ(ドイツ)
破傷風 1884年 テンプレート:仮リンク(ドイツ)
ブルセラ症 1887年 デビッド・ブルース(イギリス)
ペスト 1894年 テンプレート:仮リンク(フランス)、北里柴三郎(日本)
赤痢 1898年 志賀潔(日本)
梅毒 1905年 テンプレート:仮リンク(ドイツ)
百日咳 1906年 ジュール・ボルデ(フランス)
チフス 1909年 シャルル・ジュール・アンリ・ニコル(フランス)

脚注

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参考文献

  • 杉田暉道「疫病」(『国史大辞典 2』(吉川弘文館、1980年) ISBN 978-4-642-00502-9)
  • 立川昭二「疫病」(『日本史大事典 1』(平凡社、1992年) ISBN 978-4-582-13101-7)
  • 新村拓「疫病」(『日本歴史大事典 1』(小学館、2001年) ISBN 978-4-095-23001-6)
  • 倉持不三也『ペストの文化誌-ヨーロッパの民衆と疫病-』朝日新聞社<朝日選書>、1995年8月。ISBN 4-02-259633-3

関連項目

  • 倉持(1995)pp.315-323