玉取藩

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玉取藩(たまとりはん)は、常陸国新治郡玉取(現在の茨城県つくば市玉取)に存在した。居館は玉取陣屋

藩史

堀秀政の弟・堀利重は、関ヶ原の戦いでは徳川氏のもとへ人質として差し出されていた。しかし徳川氏の家臣として召しだされて8000石を与えられ、関ヶ原でも武功を挙げている。慶長19年(1614年)、大久保長安事件の余波を受けて大久保忠隣が失脚すると、利重は忠隣の縁者であることから奥平家昌預かりの身となって下野宇都宮藩に蟄居となった。しかし大坂の陣で武功を挙げたことから罪を許され、1622年、新たに常陸新治郡に1万石を与えられて玉取藩を立藩した。

利重はその後、書院番頭大番頭寺社奉行など要職を歴任したため4000石の加増を受け、寛永15年(1638年)に死去した。死後、家督は長男の堀利長が継いだ。このとき、弟の堀利直に2000石を分与している。しかし利長には男児がなかったため、養嗣子として堀通周を迎えて、万治元年(1658年)閏12月に家督を継がせた。

しかし通周は延宝7年(1679年)12月に発狂して家臣を殺害したため、幕命により改易され、玉取藩は廃藩となった。その後、玉取堀氏は堀利雄(通周の実弟・養子)が3000石の交代寄合となって名跡存続を許された。

歴代藩主

堀家

1万石→1万4000石→1万2000石 外様

  1. 堀利重(とししげ)
  2. 堀利長(としなが)
  3. 堀通周(みちちか)


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