玄沙師備

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テンプレート:Infobox Buddhist 玄沙師備(げんしゃ しび、835年 - 908年)は、中国五代禅僧である。諡号宗一大師、俗姓は謝氏。

生涯

福州(福建省)の謝家に三男として生まれ、30歳まで漁師をしていたが(異説あり)、突然出家を思い立ち、芙蓉霊訓の所で出家したとされているが、芙蓉霊訓の没年は851年であるため整合がつかず、真相は不明である。

その時に福建地方に戻っていた兄弟子に当たる雪峰義存と意気投合して、共に雪峰山に登って寺院を開創した。

雪峰門下においては堅固な求道者ぶりから「備頭陀」と称されるほどで、一番弟子として布教を行い、王審知の帰依を受け、師の雪峰と共に政庁で供養を受け、紫衣と宗一大師の号を賜った。

のちに独立して玄沙院で布教活動を続け、雪峯の禅風を発展させて「十方世界は一顆の明珠」という独自の思想を開発し、やがてそれは羅漢桂琛法眼文益と受け継がれ、五家七宗の一つである法眼宗へと発展していった。

略歴

  • 835年 福州閩県にて誕生
  • 864年 出家、豫章江西省)の開元寺の道玄律師のもとで具足戒を受ける
  • 866年 雪峯義存に嗣法
  • 898年 安国院に移転
  • 908年11月27日 示寂。春秋74、法臘44。

思想

この世界は全て悟りその物であるという、「尽十方世界は一顆の明珠」という思想を成し遂げ、その豪快な禅風は、多くの弟子を教化した。また、謝家に三男として生まれたことから、しばし「謝三郎」と自称し、馬大師(馬祖道一)、王老師(南泉普願)と共に、僧侶としては数少ない俗姓呼称者でもある。

語録

弟子

羅漢桂琛国清師静

伝記


師:雪峰義存禅宗弟子:羅漢桂琛
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