牧野忠雅
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牧野 忠雅(まきの ただまさ)は、越後長岡藩の第10代藩主。長岡藩系牧野家宗家11代。第9代藩主・牧野忠精の四男。老中となり海防掛担当。
生涯
寛政11年(1799年)に江戸藩邸にて生まれた。四男であるが、父の息子で正室出生は長兄の忠鎮と忠雅、夭折した一女のみである。文化5年(1808年)、忠鎮が死去すると、庶出の兄石川総親は既に下館藩主家石川氏を相続し、同じく庶出の兄の銀三郎も既に死去していたため、嗣子となる。
文政4年(1821年)に大久保忠真の娘である逸姫を正室に迎え、天保2年(1831年)に忠精が隠居すると家督を相続する。奏者番、寺社奉行、京都所司代を経て、老中となり海防掛担当となる。閣内の席次は阿部正弘に次ぎ、終始阿部に歩調を合わせていたが、阿部死去後、堀田正睦が名実ともに実権を握ると、老中を辞任した。翌年に死亡し、家督は養子の忠恭が継いだ。
幕職年譜
- 天保5年(1834年) 奏者番
- 天保7年(1836年)2月26日、寺社奉行兼任
- 天保10年(1840年1月13日、京都所司代に転ずる
- 天保14年(1843年11月1日、老中
- 安政4年(1857年9月10日、老中辞任・溜詰格
- 安政5年(1858年10月25日、卒去。享年60
人物
1982年の済海寺での牧野家改葬にともなう緊急遺骨調査によると、推定身長は155.4cmと当時としては比較的低身長であるが、太さは歴代藩主中で最大もしくは大きい部類に入るとしている。なお、父の忠精や兄の忠鎮は150cm代であったが、体格は華奢である。加えて、正室の逸姫の推定身長は150.3cmで、牧野家正室の中でも太い部類に属する。
主要家臣
以下は『改訂増補 大武鑑 中巻』(名著刊行会)を参考としたもの。各役職は越後長岡藩#職制を参照。
【安政元年(参考文献では嘉永7年)頃】
- 中老格奉行
- 九里孫左衛門
- 倉沢忠左衛門(定府)
- 杉田弥次兵衛
- 池田小左衛門
- 柿本庄右衛門
- 深澤右膳
- 稲垣林四郎
- 名児那定之丞
- 能勢三郎右衛門
- 小島助右衛門
- 深澤三郎兵衛(定府)
- 菅沼助八郎(定府、公用人兼務)
- 渡辺左近右衛門(定府、附兼務)
- 斎田轍(定府、公用人兼務)
- 伴権六(定府、公用人兼務)
- 倉沢仁輔(定府、公用人兼務)
- 取次頭取
- 仙田弥市郎
- 高野七左衛門
- 小林儀右衛門
参考文献
- 橋本傳『改訂増補 大武鑑 中巻』(1965年・名著刊行会)
- 済海寺遺跡調査団(鈴木公雄)「港区三田済海寺 長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書」(1986年・東京都港区教育委員会)