溝口 政良(みぞぐち まさよし、? - 天和3年6月1日(1683年7月24日))は、越後沢海藩の第3代藩主。父は第2代藩主・溝口政勝。母は新発田藩主溝口宣勝の娘。幼名金助。初め政胤(まさたね)と称し、後に政良と改める。正室は池田長常の娘、継室は加藤明成の娘。官位は従五位下、伊予守。
寛文10年(1670年)、父の死去により跡を継ぎ、藩政に尽くした。天和3年(1683年)6月1日に死去した。実子の金十郎は早世していたため、縁戚の加藤氏から継室の甥にあたる政親を養嗣子として迎えて跡を継がせた。法号は雄巌俊英涼雲院。墓所は新潟県新潟市江南区沢海の大栄寺。
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